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別紙「エリーゼのために」ではない「エリーゼのために」

ブログを読んでくださった方、ありがとうございました。
「そこんとこ、もっと知りたい」と思われた方のために、更に詳しい解説を追加しました。
 
1.楽譜の発見者ルートヴィッヒ・ノールが「新ベートーベン書簡集」(Neue Briefe Beethovens)の中に残したこの楽曲についてのコメントを訳してみました。筆者はドイツ語の専門家ではないので、誤訳・不適切な訳があるかもしれませんが、大意は外していないと思います。
(原文)Das nachstehende bisher unbekannte, zwar nicht eben bedeutende aber recht anmuthige Klavierstückchen stammt ebenfalls aus dem Nachlas der Frau Therese von Droßdick geb. Malfatti, die es der Frl. Bredl in München geschenkt hat. Es ist zwar nicht für Therese geschrieben, sondern enthält von Beethovens Hand die Aufschrift: “Für Elise am 27 April zur Erinnerung von L.v. Bthvn,” ―welcher Elise sich Freifrau von Gleichenstein nicht erinnert. Es möge aber hier gleichsam als Zugabe zu dem anmuthigen Verhältniß des Meisters zu der schönen braunlockigen Therese auch eine Stelle finden.
 
(訳)次に挙げるこれまで知られていない、実際大作とは言えないが実に優美なピアノ小曲もまた、元をたどればテレーゼ・ドロースディック(旧姓マルファッティ)夫人の遺品から見つかったもので、彼女がミュンヘン在住のブレドゥル嬢へ贈ったものである。この曲は実際のところ、テレーゼのために書かれたものではなく、ベートーベンの手による書き込み(銘)がついている:「エリーゼへ 4月27日(君を)偲んで ベートーベンより」―グライヒェンシュタイン男爵夫人(訳者注:テレーゼ・マルファッティの妹アンナ)は、このエリーゼが誰だったか覚えていない。マイスター*の麗しい恋人へのプレゼントとして、栗色の巻き毛をした美しいテレーゼに宛てた別の楽曲が、また発見されるかもしれない。
*(役者注:ベートーベンのこと)
 
2.別紙注
(注1)[単独で現れる(リンクする動詞等を伴わない)場合の(For)の意味について]
前後関係からリンクする動詞が特定できる場合を除いて、単独で現れる「For Elise」のような「for」というのは、辞書的に言えば、「最終的な受取人を表すfor」です。言ってみれば、この「for」は「あげる」なのです。(「君にあげる/君へのプレゼントだよ」というのは、「This is for you.」と言います) もう少しだけ補足すれば、「For (人名)(日付)」というのはプレセントや置き手紙などで用いられる常套句です。「(プレゼントカードに)エリーゼへ 死ぬほど愛してるよ ○月◯日 ◯◯より(For Elise I love you so much [date] from 〇〇」(注2)みたいに書いて、プレゼントに添えるわけです。
 
(注2)[英語に基く説明について]
ベートーベンの書き込みの原文はドイツ語ですが、英語とは同じゲルマン語族に属するいわば兄弟言語なので、大雑把に言えば対応する単語[例えばfürとfor]が基本的に意味するところはドイツ語と同じです。従ってここでは、特に英独で異なる場合を除いては、英語標記に基づく説明を行っています)
 
(注3)[動詞とリンクしている場合の(für)の意味]
この「für(=「for」)Therese」は、「書かれた(ist geschrieben)」という動詞があるので、「ために」という意味になります。ただし、この場合も「エリーゼに捧げるために」といったニュアンスを含みます。
 
(注4)[リンクする動詞がない単独の場合の(für)の意味]
この「für Elise」は文頭にあって人名を伴い、かつ関連する動詞がないので、「ために」ではなく「(エリーゼ)へ」(プレゼントの常套句)という意味になります。
(原文)
[Es ist zwar nicht für Therese(注3) geschrieben, sondern enthält von Beethovens Hand die Aufschrift : “Für Elise(注4)am 27 April zur Erinnerung von L. v. Bthvn” ]
(和訳)
この曲は実際のところ、テレーゼのために(注3)書かれたものではなく、ベートーベンの手による書き込み(銘)がついている:「エリーゼへ(注4) 4月27日(君を)偲んで ベートーベンより」
 
(注5)[コーピッツのウンガーへの反論]
ウンガーへの反論については、
①楽譜発見者の「ノール」が「Therese」は「(宛名の)Elise」ではないとのべていること
②先に述べたJürgen Mayのベートーベンの筆跡のサンプル比較で、「Therese」と「Elise」に明らかな違いが見られると言っていること
③「文字合わせ」の手法により、「エリーゼのために」の出だしが「E()()S E」となっていること
を挙げています。しかし、このコーピッツの③の主張については、(L)と(I)が説明できず空白になっており、筆者はかなりマユツバものだと思っています。
コーピッツは、この手法はバッハからジョン・ケイジにいたるまで多くの作曲家たちが使っており、ベートーベンが作曲するに際して、「ELISE」という名前からこの曲のモチーフを導き出したのは明らか(apparently)だと主張するのですが、逆に筆者はこのような一種の「お遊び」のために、モチーフが制限され、作曲の自由度、柔軟性が大きく損なわれてしまうという選択肢をベートーベンがあえて取っただろうか、はなはだ疑問です。さあ、これから作曲しようという時に、E-()-()-S(D#)-Eに縛られてしまうということは、作曲家にとって自由なモチーフをなかば放棄した、あるいは放棄しようと考えた、と言うことですよね。しかも、「L」と「I」が表現できません。この曲に限って言えば、筆者にはベートーベンがそのような選択をしたとは到底考えられません。
 
(注6)[コーピッツの主張]
彼は、「Elise」にあてはまる要件として次の4つあげて、それがすべて「エリーザベット・レッケル」にあてはまると言います。
①当時のウイーンでは、「Elisabeth」と「Elise」は実質的に同じとみなされていた
②ベートーベンと「ファースト・ネーム」または愛称で呼びあう仲だった
③遅くとも1808年には、ベートーベンと出会っていた【「典拠1」(a)】(b)
④1810年4月にはベートーベンのもとを去るか、出発の日が近いことを告げていた。これがもとで、ベートーベンは楽譜に「in memory(思い出に)」(c)ということばを付け加えた。
 
aコーピッツは、エリーゼの正体に迫る典拠(source)として3つをあげています。
「典拠1」は、ベルリン州立図書館にある1808年に書かれた16小節の(「エリーゼのために」の)最初の部分の原稿、
「典拠2」は、ボンのベートーベンハウスにある全曲(the whole piece)の草稿、
「典拠3」は、ノールが1865年に発見した清書された楽譜(行方不明で、現存しない)
 
b「典拠1」に基づく上記③については、このブログの筆者が資料を入手できていないことから、多くを語る資格がありませんが、もし1808年に「エリーゼのために」の初めの部分がおおよそ出来上がっていた(この頃ベートーベンは、まだテレーゼと出会っていません)ということであったとしても、それは特に、だからといって「テレーゼ・マルファッティ」を排除する理由にはならないと思います。もちろんその可能性は否定しませんが、「エリーゼ/テレーゼへ」という書き込みについては、最初からプレゼントする相手が想定されていたというよりも、曲が出来上がってから書き込まれたと考えるほうが自然だと思われますし、ベートーベンが最初からこの楽曲を「エリーゼ」なる人へ捧げるために書いていたのではない(1808年の時点では特定の人を想定してはいなかった)という可能性も十分にあるからです。コーピッツは、例の「音合わせ」によって出だしの部分が「エリーゼ」と読め、すでに1808年には「エリーゼ」なる人物を想定していた、と言いたいのでしょうが、筆者はこの「音合わせ」の理屈は、この楽曲に限って言えば、かなり「まゆつば」だと思っており、論拠とするには薄弱すぎると思います。
 
cコーピッツは「in memory (zur Erinnerung)」を「記念に、思い出に」といった意味に使ってるように思えますが、このブログの筆者は「偲んで、想って」と訳しました。(後述)「in memory (of )」というのは、「誰々を偲んで」とか「誰々の思い出に」といった意味なのですが、普通は亡くなった人への追悼として使われます。しかし、ここでは今夢中になっている愛する人への言葉なので、「(君を)思い出しながら」「(君を)想って」と解釈するのが、妥当だと思われます。「思い出に」と訳すと、お別れ、もう会えないかも、といった後ろ向きのイメージを感じてしまい、このブログの筆者は、少し違うと思っています。
 
(注7)[コーピッツの説に対するローレンツの批判]
また、先に述べたコーピッツの「エリーザベット・レッケル」説についても皮肉を込めたタイトル「“仮面を脱いだ”エリーゼ、エリーザベット・レッケルのベートーベンの”エリーゼ”としての短いキャリア」(Lorenz, 2017 abstract) の中で、次のように批判しています。
「彼(コーピッツ)の仮説は、薄弱な証拠に基づいており、支持できない」(①)「フンメル夫人(エリーザベット・レッケルのこと[訳者注])が自分のことを”エリーゼ”と呼んだことは、ただの一度もない」(②)また、別のブログ(2013年)の中では「詳細に文献を調べてみると、コーピッツはほとんどの文書に目を通しておらず、彼のこじつけの仮説は実際の証拠資料には全く基づいていない」(③)、「コーピッツの事実に基づかない特定方法」(④)と批判しています。
 
(引用元:下記ミヒャエル・ローレンツの小論およびブログより)
①    (Die “Enttarnte Elise”, Elisabeth Röckels kurze Karriere als Beethovens “Elise”【abstract】, The Wayback Machine, 2017)
②    (ibid.)
③    (‘Maria Eva Hummel. A Postscript’ Michael Lorenz’s Own Blog Jul 8, 2013)
④    (ibid.)
 
(注8)[リータ・シュテープリンの説に対するローレンツの批判]
ローレンツは、彼のブログ(2014年)では、リータ・シュテープリンの「Elise Barensfeld」説について、舌鋒鋭く次のように批判しています:「(彼女の)論文は、ベートーベンの『エリーゼ』とはほとんど関係がなく、実際のところ、ただうんざりするほど長いエリーゼ・バーレンスフェルトの伝記を書いているだけだ」(⑤)」
さらに、彼女は単なる仮説を学説にすり替えているとして次のように酷評しています。「このようなセンセーショナルなやり方は、戸惑いを覚えるだけでなく、歴史音楽学一般の世評を損なうものである」(⑥)
(引用元:下記ミヒャエル・ローレンツの小論およびブログより)
⑤    (‘A Letter to the Editor of The Musical Times’ , Michael Lorenz’s Own Blog [Musicological Trifles and Biographical Paralipomena] Nov. 1, 2014)
⑥    (ibid.)
 
(注9)[ローレンツの説について]
筆者は、この説を主張するのであれば、シャハナーの人物像を明確にする必要があると思っています。シャハナーはベートーベン自筆の楽譜の重要性は当然わかっていたはずです。それを家族のために改ざんするような人物だったのかどうか、そのことについてローレンツは何も言及していません。そのような人物に「テレーゼ・マルファッティ」が自分の大事な音楽財産をすべて託したりするのでしょうか、はなはだ疑問と言わざるを得ません。また、当初の書き込みについても、「ベートーベンより」と送り主を明記しておきながら「誰それへ」という宛名を書かなかったというのは、かなり不自然だという気がします。
 
(注10)[(von)の英訳]
ウイキペディア英語版では、ドイツ語原文の訳は次のようになっています(2022年11月現在)。
“For Elise on April 27 in memory by L. v. Bthvn”
しかし、コーピッツ(2020)はこの「von」を「from」と訳しています。筆者も同感で、コーピッツの言うように、ここは「from」であって「by」と訳すのは適切ではないように思われます。もちろん、「von」には英語の「by」という意味もあるのですが、ここは文脈上「from」とするのが妥当ではないでしょうか。
筆者は以前、このウィキペディアの英訳が正当なものだと信じて、「in memory by L. v. Bthvn」を「ベートーベンが(君を)想って」と訳していましたが、本稿によって訂正させて頂きます。
「von (=from)」は、「für」とセットになっていて、最初に「エリーゼへ」と言っているのですから「ベートーベンより」とプレゼントの主を書くのが自然ですよね。
 
(注11)[雑学大全の記事について]
この「For Elise」を「エリーゼのために」と言う意味に勘違いしてしまうと「四月二七日、エリーゼの思い出のために、ベートーベン作」(雑学大全2 「エリーゼのために」東京雑学研究会 東京書籍)のように、実態を十分に表していない訳になってしまいます。「エリーゼ」が誰であれ、「For Elise」(エリーゼへ)というのは、愛する人へのプレゼントの常套句だからです。
また、「思い出に」という訳も、この1810年というのは、ベートーベンとMalfatti(マルファッティ)家との交流がもっとも盛んだった年であり、この頃ベートーベンはテレーゼとの結婚を熱望していました。テレーゼへの熱い想いが燃えたぎっていた時期なので、筆者は、「思い出に」とかではなく「(君を)想って/偲んで」と訳すのが適当だと思います。
ちなみに、雑学大全のこのコラムを読まれる方のために、誤解を避ける意味で補足させていただきます。このコラムでは「テレーゼ・マルファッティ」と「テレーゼ・フォン・ドロースディック」が別人かのような書き方をしているのですが、同一人物です。結婚して姓が変わっただけです。
繰り返しますが、ベートーベンは、この曲を「エリーゼへ」プレセントしたのです。これを「エリーゼのために」と訳したのでは、原題の意味を適切に伝えていないように思います。
 
(注12)[in memory 意味]
ここで「in memory」という言葉が使われていますが、ベートーベンがスコアに残した例の書き込みにも、同じ「in memory」があります。筆者は、どちらも同じ意味合いで使われていると考えます。つまり、「memory」は「思い出」とかではなく「記憶、思い出すこと(remembrance)」と訳すほうが適切だと思われます。
 
(注13)[小節の数え方]
ここでは「Wikipedia English【Für Elise】」の記載を尊重して小節番号を23としました。小節の数え方は楽譜によっても違うのですが、リピートの1番カッコと2番カッコを同じ小節番号として数えて23番目の小節ということです。
 

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