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本日の一曲 vol.113 ピンク・フロイド シー・エミリー・プレイ (Pink Floyd: See Emily Play, 1967)


はじめに

ピンク・フロイドは、「プログレ」(Progressive Rock)といわれるジャンルの代表格のバンドであり、「狂気(Dark Side Of The Moon)」(1973)、「アニマルズ(Animals)」(1977)、「ザ・ウォール(The Wall)」(1979)などが代表作として挙げられると思います。

1967年のデビューシングルから現在まで活動休止期間をはさんで活動を続けていますが、時期によってリーダーシップをとっているメンバーが違ったりしています。本日は、最初期にリーダーシップをとっていたシド・バレット(Syd Barrett)さんのプレイリストをnoteにしてみたいと思います。

アーノルド・レイン

シドさんは、1946年1月6日、イギリスのケンブリッジで生まれ、14歳のときにエレキ・ギターを手にし、16歳の頃から曲を書き始めました。18歳のときに、幼馴染だったロジャー・ウォータズ(Rodger Waters)さんらとバンドを組み、このバンドがピンク・フロイドの母体となり、1967年、ピンク・フロイドとして、デビューシングルの「アーノルド・レイン(Arnold Layne)」(Mar.1967)をリシースしました。1967年はシドさんが21歳の年です。下着泥棒のアーノルドさんを歌っています。オフィシャルの動画は2つ発表されています。

シー・エミリー・プレイ

次に、ピンク・フロイドの最初のヒット曲といわれる「シー・エミリー・プレイ」(Jun.1967)です。

この曲のファンは多くいます。

夜明けの口笛吹き

その後、ピンク・フロイドのファースト・アルバム(The Piper at the Gates of Dawn, Aug.1967)がリリースされました。このアルバムには11曲が収められていますが、6曲目の「神経衰弱(Take Up Thy Stethoscope And Walk)」がロジャーさんの作曲で、それ以外は、すべてシドさんの作詞・作曲です(ただし、5曲目の「パウR・トックH(Pow R. Toc H.)」と7曲名の星空のドライブ(Interstellar Overdrive)」はピンク・フロイド4名の共作になっています)。

リンゴとオレンジ

1967年11月、「夜明けの口笛吹き」から「フレイミング」がシングルカットされ、その後、ピンク・フロイド4枚目のシングル(Nov.1967)として、シドさん作詞・作曲の「Apples And Oranges」がリリースされました。

ジャグバンド・ブルース

「ジャグバンド・ブルース」は、ピンク・フロイドのセカンド・アルバム「神秘(A Saucerful of Secrets, Jun.1968)」の最後に収録されたシドさん作詞・作曲の曲です。このアルバムの製作途中でシドさんはピンク・フロイドを脱退してしまいます。脱退の原因は、シドさんの薬物過剰摂取による奇行だと言われています。

帽子が笑う…不気味に

ピンク・フロイド脱退後、シドさんは、1967年5月からレコーディングを始めますが、その後、ソフト・マシーン(Soft Machine)のメンバーや、デイヴ・ギルモアさん、ロジャー・ウォーターズさんの協力を得て、1970年1月に「帽子が笑う…不気味に(The Madcap Laughs)」がリリースされました。アルバムリリースに先行して、1969年11月には、7曲目「タコに捧ぐ詩(Octopus)」がリリースされてます。

その名はバレット

「帽子が笑う」を発表した後、1970年2月、BBCの名物番組「The John Peel Show」に出演し、「帽子が笑う」の売れ行きも好調だったことから、レコード会社は次のアルバムの制作を指示し、デイヴ・ギルモア(Dave Gilmour)さんのプロデュースで、その年の11月に「その名はバレット(Barrett)」がリリースされました。

このアルバムを最後に、シドさんは音楽活動をやめてしまいます。これまでピンク・フロイドは、「モア(More, Jun.1969)」、「ウマグマ(Ummagumma, Oct. 1969)」をリリースしますが、シドさんの影響が見られます。しかし、その後、シドさんの影響は見られなくなり、「原子心母(Atom Heart Mother, Oct.1970)」、「おせっかい(Meddle, Nov1971)」、「雲の影(Jun.1972)」をリリースし、1973年3月に大ヒットアルバム「狂気(The Dark Side Of The Moon)」をリリースします。

もはやピンク・フロイドのメンバーもシドさんのことは忘れかけていたのだと思います。1975年になり、「狂気」の次の作品のレコーディングに入りますが、レコーディング中の6月5日、そこにプラスチックのバッグを持って、頭髪と眉毛を剃り落とした、太りすぎた男がやってきました。メンバーははじめ、それがシドさんだとはわからなかったそうです。

1975年9月にピンク・フロイドは、そのレコーディングを「炎~あなたにここにいてほしい(Wish You Were Here)」としてリリースし、その中の「クレイジー・ダイアモンド(Shine On You Crazy Diamond)」はシドさんに捧げた曲だと言われています。しかし、ロジャーさんは、後年「シドさんのみに向けたメッセージではない」と発言しています。確かに、「狂気」が大ヒットした後のタイミングで、なぜシドさんのことを回想するのか、ちょっと疑問が残ります。

オペル

1988年、シドさんの「帽子が笑う」「その名は」制作時の未発表曲などを集めた「オペル~ザ・ベスト・コレクション・オブ・シド・バレット(Opel)」がリリースされました。

晩年

シドさんは、隠遁生活を続けたまま、2006年7月7日、膵臓がんのため、ケンブリッジの自宅で60歳で亡くなりました。7月18日にケンブリッジ火葬場で葬儀が行われましたが、ピンク・フロイドのメンバーは参列しなかったそうです。忙しかったのでしょう。

(by R)


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