見出し画像

本日の一曲 vol.312 ミニー・リパートン ラヴィング・ユー (Minnie Riperton: Lovin' You, 1974)

ミニー・リパートンさんは、1947年11月8日にシカゴの音楽一家の末っ子として生まれ、幼少の頃から音楽のトレーニングを受け、ティーンエイジャーになると地元のシカゴのボーカル・グループ、ザ・ジェムズ(The Jems)や、サイケデリック・ソウルバンドのロータリー・コネクション(Rotary Connection)で歌っていました。22歳の1970年にソロ・ファーストアルバム「カム・トゥ・マイ・ガーデン」をリリースしましたが、商業的には成功しませんでした。しかし、プライベートの方では、1968年に仕事仲間のリチャード・ルドルフ(Richard Rudolf)さんとの間に長男マークさんを儲け、1970年に結婚し、1972年には長女のマヤさんを儲けた一方で、仕事の方は引退状態になりました。

そこにエピック・レコードのインターン生がミニーさんを見つけ、デモ・テープをエピック・レコードの副社長に渡したところ、契約までに漕ぎ着け、セカンドアルバム「パーフェクト・エンジェル(Perfect Angel)」を制作することになりました。そこで、ミニーさん自身がスティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)さんをプロデューサーにしてほしいと希望したことから、それが実現し、このアルバムのプロデュースは、スティーヴィーさんとご主人のリチャード・ルドルフさんが担当することになりました。

アルバム制作の過程で、アルバムに収録する曲が足りないということで、スティーヴィーさんがミニーさん夫婦に「一番照れくさい曲(most embarrassing song)」を教えてほしいと聴いたところ、ミニーさんは、ルドルフさんとの「大人の時間(grown-up time)」を過ごすため、娘さんのマヤさんを早く寝かしつけるための子守唄(lullaby)があると話し、この子守唄が「ラヴィング・ユー」に仕上がったそうです。

「パーフェクト・エンジェル」は、1974年5月24日にリリースされましたが、当初は売れ行きが伸び悩みましたが、11月にこの「ラヴィング・ユー」を3枚目のシングルとしてリリースしたところ、徐々に売れ行きを伸ばし、翌年1975年4月にポップ・チャート1位にのぼりつめたのでした。

ところが、1976年の年頭にガンに侵されていることが分かり、手術、再発を繰り返し、1979年7月12日にご主人の腕の中で息を引き取ったのでした。

(by R)


読んでくださってありがとうございます!サポートしていただけるととても嬉しいです!