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本日の一曲 vol.246 シューマン ピアノ・ソナタ第1番嬰ヘ短調 (Robert Schumann: Piano Sonate No.1 Fis moll Op.11, 1835)

ロベルト・シューマンさんは、1810年6月8日、ドイツ・ザクセン州のツヴィッカウの裕福な家庭に生まれ、10代まで文学や音楽に親しむ生活を送りましたが、1828年の18歳のとき、親の希望でライプツィヒ法科大学に進学しました。しかし、シューマンさん自身が法律よりも音楽の道に進みたかったこと、ピアノ教師フリードリヒ・ヴィーク(Friedrich Wieck)先生との出会い、ベートーヴェン交響曲全曲演奏会、バッハのカンタータ、ロッシーニのオペラなどに触れ、さらに、ニコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini)さんの衝撃的な演奏会などがあり、ついに、1830年、ヴィーク先生の下に弟子入りすることを決め、音楽の道に進むことになりました。

ヴィーク先生には、1819年生まれの娘クララがいましたが、シューマンさんが1828年に出会ったときはまだ9歳であり、シューマンさんとクララさんの関係は兄妹のようでした。

1834年、ヴィーク先生のところに当時18歳のエルネスティーネ・フォン・フリッケンさんが新しいお弟子さんとして住み込むようになりましたが、24歳のシューマンさんは、このエルネスティーネさんと恋愛関係になり、すぐに婚約したものの、すったもんだですぐ婚約解消しました。この後、1835年には、シューマンさんとクララさんの関係は恋愛関係に発展するのです。この時、クララさんは16歳です。

ところが、お父様のヴィーク先生は、シューマンさんとクララさんとの交際には大反対で、いろいろな妨害工作をしました。シューマンさんのヴィーク家への出入り禁止、クララさんの手紙検閲や外出禁止、ヴィーク先生がシューマンさんと会ったりすると、罵詈雑言を浴びせ、顔にはつばを吐き、周囲にはシューマンさんは大酒飲みだと誹謗中傷し、エルネスティーネさんとの婚約事件を蒸し返し、クララさんの声楽教師にクララさんの恋人を演じさせたりと、シューマンさんを目の敵にしました。

さて、本日ご紹介するシューマンさんのピアノ・ソナタ第1番ですが、作曲期間は、1832~1835年、シューマンさんが音楽の道を歩むことを決め、エルネスティーネさんとの一件があり、クララさんと恋愛関係になったころで、出版は1836年、初版には、「フロレスタンとオイゼビウスによるピアノソナタ、クララに献呈」と書かれているそうです。「フロレスタン」と「オイゼビウス」とは、後に作曲する「ダヴィッド同盟舞曲集」にあるフィクションの「ダヴィッド同盟」のメンバーであり、「フロレスタン」が明るく積極的な「動」を象徴し、「オイゼビウス」が冷静で思索的な「静」を象徴する人物であるとされています。クララさんへの献呈は、出版時に恋愛関係になっていたからだと考えられ、作曲時は、クララさんへの思いはあまり関係はなかったとも考えられ、そうだとすると、音楽青年でもあり文学青年でもあったシューマンさんの芸術へ思いの純粋な発露だったのではないでしょうか。

構成は全4楽章、演奏時間は約30分と大作です。第2楽章にアリアをはさみますが、全体的に舞曲のような曲です。ご紹介するのは、惜しくも先月3月23日にお亡くなりになったマウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini)さんの演奏です。

第1楽章 Introduktion:un poco Adagio-Allegro vivace

第2楽章 Aria:Senza passione, ma espressivo

第3楽章 Scherzo e Intermezzo:Allegrissimo

第4楽章 Finale:Allegro un poco maestoso

4月13日に弊社が主催する「小林広歩ピアノリサイタル」では、小林さんがこの曲を披露しますので、ぜひご期待ください。

(by R)


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