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[地球一周165〜174日目part2] 帰国〜クリスマス


エジプトで最初の日を除き朝食はいらないと伝えていたが、最終日に「ホテルの朝食が口に合わなかった?」と聞かれ正直に伝えると「なぜ言わなかったの?」と言われる。そういう選択肢があることすら頭に浮かばなかった私は、ここは生まれた時から交渉する文化なのだとまた気づく。

11月からクリスマスの雰囲気が街中に溢れ始める日本で育って、そんなどころではない日常を過ごすのに精一杯な街の雰囲気に触れると、それは普通のことではないことにも気づく。

ボリビアでは人件費がかかるという理由で、道路の舗装は十分に行き届いてはいない。塩の生成の技術に対しても賃金は低いままだ。それでも読み書きの教育がされてない人が多い中では知識を得ることすら難しいのだという。

なんとなくカイロ国際空港は暗い雰囲気だと思うのは照明のせいかと思っていたが、実は全体的に香水とタバコの臭いがしていて、カジノと似ている。チェックインカウンターに行く前、審査前、出国審査、審査後(2回)の5度に渡って荷物チェック、身体を触られての検査、パスポートとチケットの何かしらの確認があった。今回行った国の中で唯一ビザが必要だっただけあり、最も出国審査が厳重だった。
上空からのアブダビ空港は定間隔でLED電灯が並んでいて、完璧に道路の舗装がされている。空港内はどこも煌々と明かりがついている。クリスマスツリーに違和感を感じていた理由はイルミネーションがなかったからだと気づく。少しずつ日本人の顔が見えてきて、文字が出てきて、言葉が聞こえてくる。

3人のエジプト人から「日本人は礼儀正しくて好き」と言われた。飛行機で隣席になったおじさんは、日本人は素敵だ、ドラマの「おしん」も日本も大好きだと目を輝かせて熱く語る姿が印象的だった。エジプト人は南米の人たちと似て、おしゃべりで人懐っこい気がする。

機内食にネギつきざるそば、砂糖醤油味の魚の煮つけやチキン照り焼き、弾力があってしっとりなパンが出現し始める。食べ慣れているものに近い味に胃は一足早く帰国の準備をし始める。安心すると同時にどこか切なくやるせない。
飛んでる間中、機内を歩いている妊婦さんだったり、立ちながらおしゃべりしていたり、ストレッチしている人も小さな子どもたちも見かけない。
夜明け色のライトが機内を染めている。
だんだんといつも周囲に注意を払っていた
後頭部の糸がゆるんでいく。ブランケットを畳むのは日本的だ。お箸を持つといただきますとご馳走様を思い出す。

慣れた明るい青い空と白い雲が見えてきた。右前の非常口に近い席のおじさんが辛そうな咳をしている。
成田に着くとアルコールの匂い。3名のおじさん達が持ち手が取りやすいようにスーツケースを整然と並べている。日本に着けば荷物は大丈夫だと安心できる。
トイレに行きたいと探すと10m先にあると書いている。入口からは音声案内が流れ続ける。

案内する人が随所にいて、しかも案内板まである。たくさんのアナウンスは輪唱する。
赤ちゃんの泣き声が日本語だ。
緑がいっぱいで綺麗で整備されてて
大きな見えるところは欠けたり汚れたり壊れたりしてない。飛行機の飛ぶ音や電車音まで慇懃。次は品川駅で、あと3分で発車するらしい。
お弁当の匂いと転ばぬ先の案内表示。
燃えるような夕焼け、うちなーぐちにホッとする。

もうパスポートは使わないのだと気づく。
事務所から職場に入る時とフライトアテンダントの着席時のお辞儀は日本的だ。SKYWARDを読む。完璧に換気が行き届き光が行き届いている機内。飛行機が飛び立つ目下にはカラフルなライトがクリスマスツリーのように地面を彩っている。いつも綺麗だなと思っていたLEDのまばゆい東京の夜景は今日の私には胸をしめつけるような苦しさと何ともいえない涙を覚えさせた。乾燥で更に乾く目の痛み。
髪の毛をきちんと留めて乱れのない制服のフライトアテンダントは、お弁当に対して手拭きを「良かったらご利用ください」とくれる。ゴミの回収時には「食後にお飲み物はいかがですか」とまで尋ねられる。

男の子はスマホで大作の「緑のエイリアン」の絵を完成させたらしい。
沖縄に着いたらランの匂いがしていた。うちなー訛りの男の子は自分の身体の半分ほどあるスーツケースをおばあちゃんの代わりに受け取って、「力持ちさぁ」と言われる。
タクシーの運転手に地元の名前を伝える声帯の震えが懐かしい。窓を開けられ、マスクを外して散歩できる幸福。柳卓のラジオと民謡が流れ、時報が聞こえる。さぁたぁちゃんの天気予報がやってる。

家に帰って、恐らく夢にも出てきていたであろう「トゥンジージューシー」や「味噌汁」や「餃子」を温かく家族と食べる。
ひどい肩こりに気の張り具合を感じ、腰とお尻の緊張感には長時間フライトの名残がある。

久しぶりのハローワークで復帰の手続きをしてくれたスタッフは、私の1の質問に対してエスパー並の答えをくれる。スーパーでは音楽もご飯もファッションもイルミネーションも全てがいつものクリスマスを奏でている。
帰ってきて2日目の夜に畳と家族の匂いのほのかにするブランケットにくるまれて、ようやく帰ってきたのだと実感する。流れるようにやっていたご飯を炊く、洗濯する、日本円を使うという行為がたどたどしい。畳から立ち上がる、家事の行為は今回の旅では使わなかった筋肉だ。

毎年恒例のクリスマスMステ。ゴールデンボンバーの3択投票に参加する。女々しくてと激辛料理と熱湯ときつねダンスをすることになったみたいだ。
Adoの「新時代」を見ていると、バーチャル歌手のバックに人間のダンサーが踊っている。今年はAIを使って飛躍的に誰もがアーティストになれる時代が来た。テキストから数秒で美しい絵ができたり、曲を作れたり、映画を作ったり、論文でさえ書いてくれる。美しさも強みの一つとなっていた歌手が、顔を出さずともビリーアイリッシュ並に動画は再生される。

何もわかってなかったのだとわかる。百貨店で働いていた時には私にとっていつからかクリスマスは空気のように当たり前で、義務のようになっていた。ウユニで停電の中キャンドルの灯りで夜ご飯を食べたが、1人部屋で寝る時には目を開けても閉じても同じ真っ暗闇が広がっていた。キャンドルの灯りで過ごしているというウクライナの人達に、世界中に穏やかで少しでも温かなクリスマスが訪れることを願う。そして、今年もいつものクリスマスを過ごせることに深い深い感謝を。

今日の音楽:マライア・キャリー「恋人たちのクリスマス」
13度 身体は冬に 追いつかぬ

ひとりの人間の真摯な仕事は  おもいもかけない遠いところで  小さな小さな渦巻きをつくる           「小さな渦巻き」茨城のりこ