〈浪花節だよ人生は〉のこと

「浪花節だよ人生は」は、添翼さんの歌唱が圧倒的に好きです。圧倒的添翼最高歌唱…

この歌も、「襟裳岬」や「北国の春」のように、昔の日本人の生き方を伝えていると思います。
我慢する、堪える、耐える。
自己主張をしたり、自分の道を自分で決めたりしない。
わたしの親の世代はそのように生きて、子供たちにも同じ生き方をすることを望みました。
その子供であるわたしの世代は、逆に、個人の選択を重視する生き方を選びました。
(でもそのせいで、新自由主義社会、過度な競争社会、自己責任社会を作ってしまいました。わたしの世代もいま批判されています)

「浪花節だよ人生は」の歌詞に出てくる「浪花節」とは、なんでしょう?
これは「自分からは選択しない。その結果、誰かの選択に振り回されて、犠牲になったりしても、泣き笑いして我慢する」こと。この「我慢の精神」こそ日本の美徳であるという、古い時代の言葉だと感じます。

でも、添翼さんが歌う「浪花節」は、全然違って聞こえます。
自分の中に、ない言葉、ない価値観が歌われているように感じます。
そのことにわたしは強く心を揺さぶられています。

知っている言葉の中で、近いものを探すと、スペイン語の「Que Sera Sera(なるようになるさ)」になります。

もしくは、漢詩や中国の思想にありそうです。
「人生には良いことも悪いことも起こる。その一切合切は、時と共に流れすぎていく。良いことも悪いことも、とどまるものはない。だから変化を受け入れ、自分も水のように流れていく。これが人生の極意だ。だから、たとえ何が起こっても元気にやっていこう!」
って、説明が長くなったけど…。こういう意味を表す日本語がないから…。
このようなニュアンスを感じます。
圧倒的な明るさ。論理的な人生讃歌。
添翼的「浪花節」は、日本人のわたしにはこんなふうに聞こえていて、だからとくに大好きです。紅白のトリはこれがいいと思う。

中国という異文化から。そして90年代生まれの新世代から。こんなふうに歌がリブートされていく。
異なる世代の一人の日本人として、爽快です。「襟裳岬」も「北国の春」も「浪花節だよ人生は」も新しく生まれ変わった。
そして、わたしがこれらの新しい歌唱からいつも感じているのは、歌い手が持つ教養(哲学、古典、思想)です。

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