〈襟裳岬〉日本語版、中国語版のこと

「襟裳岬」の日本語版は、子供のころテレビでよく流れていました。男性歌手が苦しそうに辛そうに歌う。
歌詞は「理不尽なことを我慢する」「黙ってひたすら働く」「そのうち本当の気持ちを言葉にすることもできなくなる」という意味だとわたしは思っていました。
サビの、
「襟裳の春は何もない春です」
は、「男にとって我慢が美徳であった日本のある時代」を表してるように感じていました。「これが日本の男の生き方だ」と。

1970~80年代の高度経済成長がバブルに至る前の歌です。このころ、俳優の高倉健の映画、ドラマ「北の国から」など、我慢する寡黙な男性が主人公(HERO)の物語が多くありました。
この「黙ってひたすら働く男性たち」が日本の高度経済成長を支えたのだろうか、と考えます。

わたしの父もきっとそういう男性でした。
だから、一人娘のわたしが「我慢しない」「やりたい仕事をやる」「東京で暮らして地元に帰ってこない」ことを、父は、理解できないような無責任な生き方だと判断したと思います。
わたしも、父の生き方を理解したことはありませんでした。わたしも冷たい娘だった。

やがて時代は変わり、日本でも「我慢は美徳ではない」と考えられるようになりました。立場の弱い人に沈黙を強いたり、無理に努力させることは「ハラスメント」で、「老害」のやることだと。
「襟裳岬」の日本語版を聴くことはなくなりました。名曲だけど、サビの「何もない春」に人々が共感することが難しい時代になったのだと思います。

そんなある日、添翼さんの歌う「襟裳岬」の中国語版を聴きました。
別れた恋人にまた会いたいと願うラブソングでした。こちらの歌詞は普遍の恋愛感情を歌っていて、コンサート会場でもとても盛り上がっています。中国では歌唱力の検定でも使われる曲のようです。懐かしい歌に再会して、異なる歌詞で、好きで、何度も聴きました。

そして昨夜、添翼さんが「襟裳岬」の日本語版を歌ってくれました。
聴いていたら涙がポロポロ出て、なぜ泣くのかと自分でも思った。
時代は変わりました。2024年の春、2500キロも離れた中国で若い世代の人が綺麗な声で歌っているのを、中国のファンと一緒に、父を亡くしたわたしも東京で一人聴いている。
「黙り通した歳月を、拾い集めて暖め合おう。襟裳の春は何もない春です…」
時代の価値観は変わり、後戻りはしない、させないけれど、あの時代をこの歌の価値観で生き抜いた人たちが確かにいたのだ、そこに人生があることに気づきました。
歌を聴いて、どうして気づいたのかはわからない。きっと歌を歌うことには、「たった一人の人間の人生」を誰かに伝える力があるんだと思います。

(追記)
昨夜こんなことを思って、寝て、今朝も寝起きに思い出してシクシク泣いてたんですが、その後、ご機嫌で「北の街では、もう〜」「悲しみを〜暖炉で〜」「燃やし始めて〜」と歌いながら家事をしていたので、情緒が謎です。日本語版も新しい歌として自分の中でリブートしてとても好きになったんだと思う。

(追記2)
父と娘は(父にとって)対等ではないので、二人ともこの世にいる時は、自分が一方的に相手に理解を示そうとしたら、心を壊されてしまう、夢を叶えることができなくなるという恐怖を感じていました。
いまはこの世とあの世に隔たれているし、父は娘を愛しているから、祟ることはない。だから安全性が確保された状態で、別の時代を生きた父という男性のことを考える(リブートする)ことができます。

さっき犬の散歩に行き、「成都」を聴きながら歩いたんだけど、途中で「如愿」にしました。
今日は、亡くなった親についての歌のように感じました。心の奥に歌が届き、「山河无恙烟火寻常」 のところで毎回泣いてしまう。でも今日は花粉が大量に飛んでいるので、泣いている人じゃなく、花粉症の人に見えたと思います。

添翼さんの歌唱は、こんなふうに心の深いところに届くことがあります。わたしのアイデンティティーに関わる何かがあるのかもしれません。まだわかりません。この歌手を愛して、存在に感謝して、美しい歌声を聴いていようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?