〈緑島小夜曲〉の歌詞

「緑島小夜曲」
这绿岛像一只船,
在月夜里摇呀摇。
姑娘哟,你也在我的心海里飘呀飘。
让我的歌声随那微风,
吹开你的窗帘。
让我的衷情随那流水,
不断地向你倾诉。
椰子树的长影,
掩不住我的情意。
明媚的月光,
更照亮了我的心。
这绿岛的夜已经这样沉静。
姑娘哟,你为什么还是默默无语

(翻訳)
この緑島は船のようです
月の夜に揺れています
お嬢さん、あなたも私の心の中にふわふわ漂っています
私の歌声をそのそよ風に任せて
あなたのカーテンを吹き飛ばしてほしい
私の気持ちをその流れに任せて
絶え間なくあなたに打ち明けます
ヤシの木の長い影
私の気持ちを隠すことができません
明るい月光
私の心をもっと明るく照らします
この緑の島の夜はもうこんなに静かです
お嬢さん、なぜあなたはまだ黙っているのですか?

・歌の成り立ち
「緑島小夜曲」は1954年に台湾で作られた歌です。潘英傑が作詞し、周藍萍が作曲し、祖康が原唱しました。

1954年のある真夏の夜。
潘英傑は、中央音楽幹訓班の元同窓生である周藍萍と、独身寮でお喋りしていました。
中国語圏には有名なセレナーデが足りないので、緩やかで感動的なセレナーデを作ろうと話しました。

潘英傑は、台北に初めて来たとき、背の高いココナッツの木に新鮮さを感じたことを思い出しました。
彼には台湾は青々とした島だと感じられました。
さらに彼は「緑島」という言葉のほうが、「宝島」より詩的だと思いました。
翌朝、潘英傑は歌詞を完成させて、周藍萍に渡しました。

周藍萍は女子高校で合唱団の指導をしていて、同校に通っていた高校2年生の李慧倫に片思いをしていました。
彼は李慧倫を歌詞の中の「姑娘」のようにイメージし、作曲しました。音楽を通して彼女への愛を表現しました。
周藍萍も当日のうちに曲を完成させました。

二人は曲調処理の詳細を相談しました。
「这绿岛〜♬」の出だしは、2つの音のオクターブに大きな音域差があります。
「摇呀摇(揺れる)」「飘呀飘(ふわふわ)」の2つの文の「呀」の字は、後半の16分音符三連に向かって落ちていきます。
「装飾音」もあります。
つまり、歌うのがとても難しい曲です。作曲した周は、一般の人にはうまく歌えないだろうと心配になり、少し修正したいと考えました。
でも作詞した潘英傑は、修正の必要はないと考えました。このままのほうが、感情の起伏を表わすことができるからです。
作曲の周藍萍もこの意見に同意しました。
周藍萍が試唱しました。潘英傑は、自分が書いた青年男女の恋愛の雰囲気を、うまく表現できていると感じました。

周藍萍はこの『緑島小夜曲』で、李慧倫に愛を訴えました。
李慧倫は最初は断っていたはずでしたが、だんだん感動し、彼の求愛を受け入れました。
この教師と学生の恋は皆に反対され、とくに慧倫の家族全員が反発しました。でも「恋人がついに眷属になり、鴛鴦棒で区別しない」、最後には二人の愛は家族にも受け入れられ、結ばれました。


・歌詞
この曲の歌詞は計4組8句です。
外見は韻を踏まない散文詩のようですが、内在的な骨格は伝統律詩に似ています。起承転結は律詩の四連のようです。形式と意味も律詩の一連のように対偶や呼応を暗に含んでいます。各組上下句は2つ2つ相行します。

歌詞は野外の静かな夜を描いています。男が好きな女に愛を伝える。女のいる部屋の窓の下で女に話しかける。これはヨーロッパのセレナーデで、男が外で琴を抱いて歌い、女のいる部屋の窓の下で愛を求めるという、古い伝統からきています。

この愛の世界は、他人が二人のプライベートな天国に絶対に足を踏み入れてこない、二人だけの世界です。
まるで四方を海に囲まれ、誰の声も聞こえない、独立した海の中の楽園の「島」のような、世間の混乱から隔絶された愛を象徴しています。
この島は船のようでもあります。船の上で、恋人たちが助け合っているかのようです。お互いに恋の海に酔って、めまいがしているから、二人は「ふわふわ」「揺れる」のです。
そのためこの曲は、無人、無声、無紛争、無戦争、世間から隔絶された愛の桃花源のイメージなどを想起させます。

歌詞は、南の島の曖昧な空を表現しています。
そして、詞には姿を見せなかった姑娘だけに言及していています。
恋愛の細部はあえて書かず、歌っている人の感情だけを、率直に真摯に伝えています。
だから、年齢、階層、背景の異なるあらゆる人たちが、心を込めて歌うことができます。
この曲はそんな「共鳴感」で無数のリスナーを感動させてきました。

作詞家は、中国と西洋の感情表現の手法を総合的に活用して歌詞を創作しました。
彼は西洋のセレナーデが持つ「自分の感情を公に披露する」姿勢から学びました。でもその中の感情表現は、中国の伝統的な「優しくて厚い」感性を使っています。
言葉の中の感情は、博喩排比の手法で表現されています。例えば海の広大さ、そよ風、流水の長さ、明月の光、ココナッツの木の高さ。言葉の中で「愛してる」と強引に伝えたり、乱暴に「君は私を愛さなければならない」と要求したりしません。ただ愛情深く、相手の返事をじっと待ちます。
つまり、歌詞という「西洋のセレナーデの情熱的な告白」の瓶に、「含蓄婉曲な伝統的な中国詩教」の酒を入れたような仕上がりです。


・社会の影響
この曲は台湾で初めて正式に録音された標準語の歌です。
台湾で流行しただけでなく、香港と東南アジアの華人居住区でも広く広まり、やがて各種の改編バージョンが登場しました。
東南アジアでは、人気が出たせいで、時間が経つにつれ、彼らの故郷の歌だと誤解され始めました。
1970年末から80年代の初め、この曲は改革開放の風潮とともに、中国大陸でも広まりました。そして最初に大陸で「登録」された台湾の文化力の一つになりました。
1985年、アメリカの中国系宇宙飛行士の王贛駿は、「チャレンジャー号」に乗った時、宇宙でこの曲を放送しました。

・政治騒動
1955年、この曲が台湾で広まったとき。
歌詞の中の「揺れる」「ふわふわ」に、政治的な意味があると考えられ、台湾当局の情報員は不穏な気持ちになりました。
また、詞の中にある「緑島」から、当局は緑島(火焼島)の受刑者の恨みの曲だと考え、作者を大々的に追跡しました。
追跡は約10日で止まりましたが、このせいで「この曲は緑島受刑者の怨憤の曲だ」という説が一部の緑島受刑人の間に広まりました。
1957年から1958年まで、台湾海峡の情勢が緊張しました。関連当局は、この曲の歌詞の「船」「揺れる」「ふわふわ」などの言葉に対し、さらに警戒を強めました。
1966年、マレーシアでは、「緑島に拘束されたスパイ容疑者がいるので、他の場所に監禁されたカップルを創作し、この曲の歌詞を創作して広めた」と報じられました。
1984年、中国大陸の「音楽世界」誌は、「この曲は緑島(火焼島)に収監された中国共産党の地下党員が、1955年に犠牲になる前に作曲した」と報じました。
この曲の、歌詞の解釈をめぐる政治騒動が続きました。
歌が完成して約50年後の2002年。人権記念碑の完成2周年の座談会で、緑島に収監された作家の柏楊が、「この曲は緑島に拘束された囚人が、恋人や配偶者に向けて書いた詩が元になったもの」だと発言しました。
半年後。台湾の新聞は「この曲の作曲者と作詞者は緑島受刑者の高鈺铛と王博文だ」という報道をしました。
同年7月。本物の作詞者の潘英傑が台湾版『中国時報』のインタビューを受け、創作した背景について話しました。ついに創作者の身分と創作意図が明らかになりました。


(↓この後の記述は、歌唱の技術の話なので、わたしには理解できません。でもここに書いて残しておきます)
(いま漢詩の勉強で、黙読ではなく「声に出して読む」「歌う」ことについて調べています。今は理解できませんが、その勉強に、いつか役立つかもしれません…)

・曲調
歌詞だけでなく、この曲の音楽テキストも四連句律詩に近い深層構造を持っています。第7楽句という2つの句が一気に繋がる長い楽句を除いて、他の6句3組の楽句は、各組の上下句が2つあり、歌詞には対偶があり、楽句にも似たような対応関係があります。例えば、第3、4句は正面から感情を訴え、歌詞の対立が明らかであるだけでなく、楽句の対応関係も明らかです。上、下句の起音の2つの「譲」字の音程は4度差があり、この2句の上半句の句の末尾の「風」「水」の二字の音程は5度差があり、「不」の字の後ろの中音Sを無視します。o、低音Soと「吹」の字の中音Reだけを比較して、この2つの下半文の冒頭の「吹」「不」の二文字も5度の音程差があります。2つの文の音型は「絶え間なく」の拍子が少し変わった以外は、ほとんど同じです。楽句は律詩のように対偶ではないが、上下句の呼応調和は一目瞭然である。各組の楽句は上下句が2つ呼応するだけでなく,異同交錯の特徴も持っている。この曲の歌詞に潜んでいる8句4組の整然とした構造がメロディーをより整然とさせ、周藍萍は歌詞の構造がもたらす硬直した硬さを破ろうとし、メロディーを異同交錯させ、曲詞の長さがばらです。4組の楽句の長さはまったく同じではなく、この楽句の長さの伸縮変化により、この曲は四平八穏なメロディーパターンを突破した [3]。

周藍萍が作曲スタイルで追求する「同中異、異中顕同」は、楽曲の細部でも垣間見ることができる。第3、4楽句のように、彼は似たような音型の中で細部を変化させ、楽句に変化と呼応を持たせる。第2楽句の冒頭と第7楽句冒頭の「この緑島」の三字音符はまったく同じですが、第1句は八度音程の飛び込みで、音域の差が大きく、まるで月下緑島が海から押し上がる様子を描いたようです。第7句は低八度に下がらずに歌い、出口を出すと音を高くすると、高らかで情熱的に見える。2つの句は音符は同じだが、第7句は時値が短くなり、歌者が感情を告白したいという切実な気持ちをよりよく表した。

第1楽句の後半の「船のように」と第2楽句の後半の「あなたも私」の音符も同じですが、前者は「船」の字に断句し、後者は音程が高い「の」の字に繋がり、断句の違いで全く同じ音符が重複しません。前文の「揺れる」と後句の「飄呀飄」は同じ音符ですが、前者はすべて低音で、後者はすべて中音なので、音程も八度差があります。前者は音程低八度で海の母体の中で優しく揺れる緑島に描かれています。後者は音程高八度が徐々に感情をクライマックスに持ち込み、恋人の手が届かないことを強調します。
歌は5、6番目の楽句からB楽段に移り、「ココナッツの木の長影」と「明るい月光」という二句は一字一音がより簡潔で明快で、「私の感情を隠すことができない」と「私を照らす」は音符はほぼ同じですが、最後の字「意」と「心」まで4度音程の差で呼応しました。この曲は歌うと複沓せず、音符の「小異」の存在以外に、さらに重要なのは曲詞の長さが違う。例えば「私の感情を隠すことができない」と「私の心をもっと照らす」という2つの文の字数が一致しますが、周藍萍は独創的に「更」の字を前一小節の最後の半拍に移し、「隠す」という字が小節の第一拍から始まったのとは対照的です。このような処理は2つの楽句の形式が違うだけでなく、歌も生み出します。まちまちな不規則の美しさ 。
周藍萍はメロディー、リズム、詞曲の調和で同中異を求め、「大同」のパターンに多くの「小異」を蓄積し、流行歌の約束された曲体から抜け出し、馴染みの中の新奇、繰り返し回環のスタイルを形成し、その曲が不慣れで疎外されず、繰り返しで飽きないようにします。

また、周藍萍は音楽テキストに中国の伝統音楽の要素を残し、ヨーロッパのセレナーデを模倣した痕跡もあります。まず、彼は中国音楽で最もよく見られる五音階を採用した。次に、セレナーデの音楽形式が固定されていないため、その曲がヨーロッパのセレナーデを最もよく表すところは歌自体ではなく、その伴奏部分です。ルート、ギター、マンドリンなどの楽器がセレナーデの伴奏によく現れるため、周藍萍は大量のアルペジオとビブラートをピアノ、バイオリンに使用し、マンドリンなどの楽器を弾く演奏技術を模擬します。両者は頻繁に現れるだけでなく、注目を集める小節の第一拍や再拍によく現れ、他の楽器に合わせた映衬機能をうまく発揮し、全体の伴奏でイメージが鮮明です。

この曲を作曲する時、ヨーロッパの中世にさかのぼるセレナーデの概念の特徴を取り、大同小異のループメロディー、セレナーデスタイルの伴奏技術で、多くの人の共感を引き起こす熱帯島の愛を表現しました。彼らはこの方法でポップソングの創作の道に独特なエリート路線を踏み出すことを意図しているようです。

【追記】2024.8.4
中国のサイトの説明では、上記のように、
「作者は恋の歌として作ったが、政治的メッセージがあると誤解された。台湾の政府が警戒し、作者を追跡した。作者が現れ、恋の歌だと説明した」
とあります。
でも本当に恋の歌だったのか、身の危険を感じて恋の歌だと嘘の説明をしたのか、わからないと思います。

これって、まるで唐や宋の時代の漢詩の話のようです。
当時の詩の数々は、
「恋の歌として歌われた詩に、実は政治批判の意味が隠されている可能性がある」
ということを学んだからです。

たとえば、李商隠「登楽遊原」には、「唐の時代の終わりを憂いている」説があります。また、「走馬蘭台類断蓬」で終わる無題の詩には、「形骸化した政府の役所に戻るのが馬鹿らしい」という意味が隠されている説があります。
秦観「牵牛花」にも、夜明けに咲く朝顔の花に託して「政治も今は暗いが、夜明けが近い」と歌っているという説があります。

この歌のテーマも、それに、本当の作者が誰なのかさえも、考えるほどに、何もわからなくなってきます。
歴史の中に、複数の「事実」と「伝聞証拠」が点在しています。その「点」を、わたしが勝手に想像の「線」で繋げ、結論を創作してはいけないように感じます。

歴史の水を覗き込み、沈んで消えていこうとする者たちの顔に、言葉の芸術で抗って生きて死んでいったたくさんの人たちの顔に、目を凝らしているような気持ちになります。

歌が残り、今も歌われています。添翼さんの歌唱を通して、歌を聴き続けたいと思います。
https://mp.weixin.qq.com/s/OvOkiInpkQbx92dz90tTvQ

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