〈海韵〉の歌詞
「海韵」という歌には、元になった詩があるみたいです。
歌のほうの歌詞です。
1974年。作詞、庄奴。
「海韵」
女郎 你为什么
独自徘徊在海滩
女郎 难道不怕
大海就要起风浪
啊 不是海浪
是我美丽的衣裳飘荡
纵然天边有黑雾
也要像那海鸥飞翔
女郎 我是多么
希望围绕你身旁
女郎 和你去看大海
去看那风浪
(わたしの不正確な訳)
お嬢さん、なぜ君は
海辺を一人で彷徨っているの?
お嬢さん、怖くないの?
海は嵐になりそうだよ
ああ、あれは波じゃないよ
浮かんでいるのは私の綺麗な服だ
空に暗い霧がかかっているけれど
私もカモメのように飛んでみたい
お嬢さん、私はどうしたらいい?
希望は君の周りにあるようだ
お嬢さん、一緒に海を見に行こうよ
嵐を見るために
元になったらしい詩歌は、1925年に作られました。
作者は徐志摩。
「海韵」
”女郎,单身的女郎,
你为什么留恋
这黄昏的海边?——
女郎,回家吧,女郎!”
”啊不;回家我不回,
我爱这晚风吹:”——
在沙滩上,在暮霭里,
有一个散发的女郎——
徘徊,徘徊。
二
“女郎,散发的女郎,
你为什么彷徨
在这冷清的海上?
女郎,回家吧,女郎!”
“啊不;你听我唱歌,
大海,我唱,你来和:”——
在星光下,在凉风里,
轻荡着少女的清音——
高吟,低哦。
三
“女郎,胆大的女郎!
那天边扯起了黑幕,
这顷刻间有恶风波——
女郎,回家吧,女郎!”
“啊不;你看我凌空舞,
学一个海鸥没海波:”——
在夜色里,在沙滩上,
急旋着一个苗条的身影——
婆娑,婆娑。
四
“听呀,那大海的震怒,
女郎回家吧,女郎!
看呀,那猛兽似的海波,
女郎,回家吧,女郎!”
“啊不;海波他不来吞我,
我爱这大海的颠簸!”
在潮声里,在波光里,
啊,一个慌张的少女在海沫里,
蹉跎,蹉跎。
五
“女郎,在哪里,女郎?
在哪里,你嘹亮的歌声?
在哪里,你窈窕的身影?
在哪里,啊,勇敢的女郎?”
黑夜吞没了星辉,
这海边再没有光芒;
海潮吞没了沙滩,
沙滩上再不见女郎,——
再不见女郎!
(わたしの不正確な訳)
一
「お嬢さん、独りぼっちのお嬢さん
なぜ懐かしいの?
こんな黄昏の海辺が?
お嬢さん、家に帰りなよ、お嬢さん!」
「いいえ、家には帰らない。
私は夕方のこんな風が好きだから」
日暮れていく海辺で、
髪がなびかせる女性がいる。
さまよう、さまよう。
二
「お嬢さん、眩しいお嬢さん
何を悩んでいるの?
こんな誰もいない海で?
お嬢さん、家に帰りなよ、お嬢さん!」
「いいえ、私の歌を聞いて。
海に向かって歌う。あなたもここに来て一緒に歌って」
星明かりの下、涼しい風の中、
女性が透き通った声で歌いだす。
高く、低く。
三
「お嬢さん、大胆なお嬢さん!
ここで怪しい物語が始まってしまった
いまこそ状況は悪くなっていくところだ
お嬢さん、家に帰りなよ、お嬢さん!」
「いいえ、私が空で踊っているのを見て。
波のない空にいるカモメみたいに」
夜の海辺で細い体が回っている。
ぐるぐる、ぐるぐる。
四
「あぁ、あの海の怒りを聞くんだ!
家に帰るんだ、お嬢さん!
ほら、波はもはや野獣のようだ。
お嬢さん、家に帰るんだ、お嬢さん!」
「いいえ、海の波はわたしを飲み込んだりしない。
私は海のユラユラした形が好き」
潮の音、波の光、
ああ、女性は海の泡の中で驚いて、もがき始めた
無駄だ、無駄だ。
五
「お嬢さん、どこにいるの? お嬢さん?
あなたの大きくて澄んだ歌声はどこに行った?
あなたのほっそりした姿はどこに消えた?
勇敢な女性よ、どこに行った?」
暗い夜が輝く星を飲み込んで、
海辺にはもう光がない。
満潮が砂浜を飲み込んで、
そこにはもう女性はいない
もう女性はいない!
●作者について
徐志摩は1897年生まれ。
イギリスに留学し、ロマン派、耽美派詩人の影響を受けました。
この詩を書いた6年後、34歳の若さで飛行機事故で亡くなりました。
添翼さんの歌唱は、歌詞の解釈があって、物語として歌われているように感じます。小説を読んでいるときのような感覚になるときがある。ストーリーや主人公の心の変化を、段階を追って伝えるための構造があるように聴こえます🌊
●追記 2024.9.20
每人心中都有一首老歌🪕
●追記2 2024.9.20
纠结才顿感无奈。现在听那时候的技术是,音色统一拉甜,语气以句为单位叹或躲。声音过分统一就成了发声机器,技术好点的就是好机器,技术差一点就变成了坏机器。好歌手听上去高级,是因为做到了字字有情绪,声声有变化。声乐学习的每个阶段都有特定的问题,歌手的素质之一就是必须会自省。(无奈🫧🧊)