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サイパンについて考えたことマガジン

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常夏の島サイパン 青い海と白い砂、南国リゾート・サイパンに移り住んで18年。 ガイドブックには載らないサイパンについて、AKARIが見たり、調べたり、考えたりしたことを集めました…
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2020年8月の記事一覧

幸せの連鎖を教えてもらったはなし

こんにちは。常夏の島・サイパン島に住んで18年になるAKARIと申します。既にご存知の方も、知らねーよ!って方もざっくり自己紹介がてらこのブログを書き始めた背景を・・・。 前回のブログでは今までの自分が10年以上書いて来たブログの因数分解に成功したんだけれど、さて・・・「来てもらう」というポイントでマネタイズ(←やっぱり、使いたいカッコイイ横文字)する形じゃない文章を書くというところまではたどり着いた。 でだ・・・。でだよ。大事なのここから。自分が一体どんな文章を書きたい

【前編】『サイパンに誘われる人々』と『靖国で再会する方法』のはなし

サイパンはかつて日本人で賑わっていた。かつてとは・・・・、日本が統治していた1920年から1945年の間。でも、これは表向きに国際連盟からの委任統治領時代。実際はそれよりもっと前に鳥の尾羽を求めて屈強なビジネスマンたちが小笠原諸島を島沿いに南下してきていたらしい。鳥の尾羽はヨーロッパの貴婦人たちの帽子の飾り羽として高く売れたんだって。 それから、太平洋戦争でサイパンは玉砕の島になったことはご存知の方も多いと思う。詳しくは、ググってください。ワタシはその話を今回書こうとしてい

【後編】『サイパンに誘われる人々』と『靖国で再会する方法』のはなし

前編はこちらからどうぞ。話がだいぶ逸れて逸れて・・・、1本で収めようと思っていたお話も2部構成・・・お時間頂戴いたします。 ビザ面接で東京へワタシはサイパンではいわゆる外国人労働者なので、日本に帰ったときは再びサイパンに戻るためのビザが必要になります。 その昔サイパンは独自の就労ビザを持っていたのですが、ま~なんやかんやありまして、現在はアメリカがサイパンの外国人就労ビザを握る形となっている。 アメリカの言い分は、「サイパンでの外国人就労も既存アメリカの非移民ビザをつか

【番外編】『サイパンに誘われる人々』と『靖国で再会する方法』のはなし

後編はこちらからどうぞ。おかげさまで『サイパンに誘われる人々』と『靖国で再会する方法』のはなし も前編・後編と書き終わりましたが、今日は番外編と称してもう1記事書かせてください。 ちなみに、 サイパンに誘われる人々 と書いたのですが、どう読んでました?? さいぱんにさそわれるひとびと ? 変換したら実は同じなんだけど、ワタシ的には「さいぱんにいざなわれるひとびと」って呼んでもらいたかったんです。日本語って難しいですね。縁って漢字も「えにし」って呼んでもらいたいみたいなね。こ

見えないものの話を聞いてきたはなし

ブログで生活費を稼ごうと始めたこのシリーズですが、ありがたいことにこのnoteのサポート機能で少しずつ収入につながっております。ありがたやーーーーーー。 このサポート機能ではサポートと一緒にメッセージも送れるのですが、そのメッセージで「サイパンの戦争の話と見えない話が好きなので待ってます!」というリクエストを頂いたので、さっそくインタビューに行ってきました!サイパン の戦争の話と見えない話ならあの人しかいない! さっそく、アポを取って取材に向かいましたが、もちろん手ぶらで