中国ハンセン病快復村で”社会への扉”が開き、みんなが歩き出すまで
と笑いながら話してくれる。
広州の大学に通う中国人学生・ゴンゴン
そして、大学の大先輩の原田燎太郎さん、彼の大家さんである麦先生。
そんな三人とゆっくり車で揺られて向かうのは、広州市内から車で1時間半かかる清远という田舎町。
2018年の蒸し暑い夏に、私たちはハンセン病の快復村を目指す。
ハンセン病は「らい菌」による感染で起こる病気で、手足などの末梢神経に異常が生じたり、皮膚がただれてくる。
指が曲がったままになったり、”熱い”や”痛い”を感じれなくなる。そのため、怪我をしても気がつかず、最終的に患部が壊死して、手や足を切断する方も多くいる。
ぜひ、覚えてほしいのは...
ハンセン病は薬で治る病気だということ。
しかし、医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別と人権侵害があった悲しい歴史が確かにある。
「社会の側にある障害を、どうすればなくせるのか?」
そのヒントを見つけるために、私は17人が暮らす小さなコミュニティ・清远の快復村で彼らと共に暮らした。
3泊4日、かつて血も涙も汗も受け止めたこの大地の、微かな声を聴くために。
夜9時
村長の歐伯の部屋を訪れると、
歓迎の印である中国茶を差し出して、昨日と同じように自分の人生を語ってくれた。
ふと、清远を目指す車の中で、
燎太郎さんが話してくれた言葉が蘇る。
燎太郎さんは2004年、ハンセン病快復村でのワークキャンプをコーディネートする
NPO「家-JIA-」を立ち上げた。
中国語も分からないのに、熱い情熱で広東省へ移住したそうだ。私の心から尊敬する人でもある。
“おかしいこと”におかしいと気付くために
歐伯がずっと言っていた言葉がある。
「すごくおかしい。(很奇怪)」
日本から来た女の子が一緒にご飯食べようと誘ってくれたことも。
韓国から来た男の子が手を繋いでくれたことも。
肉まんを半分こしたことも、大きな鍋をみんなで突いたことも。
とハニカミながら言う。
目を見開いて、可愛らしい笑顔で教えてくれる。
そして、そんな光景をみて、
魚を売ってくれなかったあのおばさんも
彼らが触ったお金はいらないと怒る八百屋さんも、
いつも無視していた隣の農家の三人家族も、
少しずつ変わっていった。
雪だるまの新たな世界
よそ者は衝撃と違和感、ためらい、疑問、引っかかりをつくり、新たな風を生み出すことができる。
スノードームは大きく振り回すと、美しい。
空から白い雪が揺めき、見惚れてしまう。
この強い衝撃に、中で暮らす雪だるまはびっくりするかもしれない。
最初はショックかもしれないけど、いつもの積もる雪とはまた違う景色を見ることができる。
積もっていた雪が舞うことで、埋もれて、凍えていた動物たちに初めて気がつくかもしれない。
かつての不穏な静寂では見えなかった景色を前に、雪だるまは何を思うだろう。
私はそんな雪を高く舞わせる、よそから来たバカで、強い、木枯らしになりたい。
その風が吹く先には生きやすい世界がありますよに。