体の緊急強制停止で気づいたこと
久しぶりに更新します。
今までfacebookもInstagramもフォロワーは仕事の関係者も多く、どうしても商業的な発信に偏ってしまい、本当に考えていることを言葉にするには躊躇ってしまうようなことが多発していたので、ありのままの自分で発信する場所としてnoteを書いてみようと思います。
夫が救急車が呼ぶ
私は9月6日(水)突然の症状で救急車で運ばれました。
診断は過換気症候群。
過換気症候群って泣いて喚いて、息がコントロールできなくなってなるものだと思っていたのに、そうではなく、家にいたら突然、「頭がくらくらするな〜横になるね。」と夫に言った瞬間、息ができなくなり体がどんどん硬直していきました。
肘下が曲がり、指先も曲がり、顔まで痺れがきてついに目も開けなくなり・・・(テタニーという症状)
自分の体が思うようにならない、コントロール不能になったことで強烈な不安を感じました。
「あ、私死ぬのか」と思った瞬間更なる不安に襲われ、私は夫に「死にたくない!死にたくない!まだやり残したことたくさんある・・・泣」と泣きながら訴えました。
救急隊が来てから3回発作のように硬直が起きました。
自分ではリンパ浮腫の持病もあったので、「血栓が飛んだ!?脳出血?!」
いろんな不安を感じてしまい、悪化させてしまったのだと思います。(泣いてもいないのにまさか過換気とは思わず・・・)
血尿という体のサイン
実は、その日朝から血尿が出ていて・・・病院にいくと膀胱炎を発症していました。
ここ最近何をしていたか?というと仕事に集中しすぎて、トイレに行くことやご飯を食べること、息をすることを忘れてしまっていたのです。
1日に1回しかトイレに行っていない、そんな集中力・・・(逆にすごい)もちろん水も飲んでいなく、泌尿器科の先生に「それはね、なるべくしてなったと言えるね」と言われたのでした。
私の本心が望むもの
救急隊に運ばれた後、私は夫に「もっと遊びたい」と言いました。
心から遊んでいなかったなと。私の頭から「仕事」という2文字がなくなることはありませんでした。むしろそれが責任であると考えていたから・・・でもそれは同時に、期待に応えるというプレッシャーを生きていいて、遊んでいるようで心も頭も遊んでいなかったのです。
ハンドルの遊びがない高速のスポーツカー
私の性格はハンドルの遊びがない高速のスポーツカー。なんでも速い。でも遊びがないから緊張する。一瞬でも気を緩めば壁にぶつかってしまう。微調整のきくルートではなく直線しか走れない。そんなスポーツカーだったなと気づきました。
仕事で成果が出るたびにそれが嬉しく、どんどん期待に応えようとしてきた結果「自分の期待に答えること」「自分を生きること」「自分を楽しませること」
そんな「自分」のハンドルをどこかに置いてきてしまったのです。
体の停止で気づいたこと
「自分」以上に大切な存在なんていない
ということです。
すごく当たり前のことを言っているのですが、
「自分」があって初めて
仕事ができる
人を大切にできる
貢献できる
期待に応えられる
美味しいご飯が食べれる
遊びに行く頃ができる
・
・
・
そんな単純なことすら気づいていなかったのです。
私は私をこれからもっと大切にしていこうと思います。やっぱり言葉にするとすごく「当たり前」に聞こえてしまうけれど、大事なことは今を生きることだと気づいたのです。
生きることは「頑張ること」じゃなくて、
❶息をすること
❷ご飯を食べること
❸トイレに行くこと
この3つがとても大切です。命の最小単位の循環というものなのかもしれないです。
「生きること」をベースに、そこから思考や行動を生み出していきたいです。
お仕事でご迷惑おかけした方もたくさんいますが、
「あの日死んでたら、それこそ何もできないんだから」と夫に言われた言葉を励みに、また歩んでいきますので何卒よろしくお願いいたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?