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101歳。わたしが世界で一番憧れる伝説のおばあちゃん、藤枝

この土曜日に父から電話があった。
「おばあちゃんが危篤だから心の準備をしておくように」と。

この4月に101歳になったおばあちゃんは、何度も奇跡の生還を遂げていて、
正直おばあちゃんは不死身だと無意識的に思わせられるほどの生命力を持つひとだった。なので101という数字だけを見たらいつ最期のときが来てもおかしくない年齢なのに、なぜかその一報が信じられなかった。

今回も奇跡の生還を遂げてほしいと思ったけど、あの不死身のおばあちゃんが、ご飯も食べられなくなり、脱脂綿での水分補給のみの状態で、医者からは「もって数日、どんなに長くても一週間です」と言われたそうだ。

おばあちゃんも生身の人間だったんだ、そんな当たり前のことをなぜか瞬間的に感じたほどだ。

もちろんわたしはすぐに会いに行きたいと話したが、コロナで危篤状態でも一日に面会できるのは子供まででたったの15分。孫のわたしは会えないという絶望的な現実を突きつけらた。大好きなおばあちゃんの死に目にあえないなんて...と言葉にできない感情がわたしの心を渦巻いた。

母が対面した危篤状態のおばあちゃんは、肌艶も良く、爪もピンク色、今にも歌い出しそうなほどだったと話していて、「おばあさんは生きるチカラが凄いから、お母さんも見習わんとと思って、今日はご飯食べずにずっとピアノ弾いててん。」とおばあちゃんの状況を教えてくれた。

母の見習い方がズレていることはさておき、確かにわたしのおばあちゃんは数々の伝説を残していて、とにかく型破りで破天荒。周りに流されず、生きるチカラ溢れたひとだった。わたしはそんなおばあちゃんが大好きで、面接で「尊敬する人は?」と聞かれたら決まって「祖母です」と答えていた。

そんなおばあちゃんの伝説を少し紹介させてほしい。

おばあちゃんは団子屋の娘に生まれ、結婚とともに大阪に移住。
根っからの商売人だったおばあちゃんは、営業スタイルも破天荒。
時間がもったいないという理由で謎にタクシーをフル活用。合理的に考えたら全く採算のあわないスタイルだが、なぜか売上は右肩上がり。おばあちゃんには論理では説明のつかない商売の才能がある不思議な人だった。

そんなおばあちゃんは仕事を息子に譲ったあともパワフルさに磨きがかかる。具体的には、

60歳で習字の世界にのめりこみ、個展前になると、とりつかれたように部屋一面に和紙を広げ、毎夜中「筆の音がうるさくて寝れん!!」とおじいちゃんに怒鳴られていた。

70歳 日本舞踊にハマる。正月に親戚で集まると、おせちを囲んでいる真ん中で、おばあちゃんが着物で登場し扇子をひらひらさせながら踊ってくれたのを今も鮮明に覚えている。わたしのエンターテイナー気質はお婆ちゃん譲りかもしれない。

80歳になるとなぜか楽器への憧れが開花し、バイオリンとピアノを習い始めた。これはあまり上達しなかった印象がある笑。

90歳を過ぎ、いとこの結婚式中という奇跡のタイミングで脳梗塞を起こすも功を奏し後遺症もなく復活。

95歳には大阪から名古屋への長旅を経てわたしの結婚式でスペシャルゲストとしてお色直しで一緒に登場、会場をわかせてくれた。

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そして100歳の誕生日、国からトロフィーをプレゼントされ、認知症でありながら毎日100マス計算と経済新聞のコラム春秋を書くことがおばあちゃんの日課だった。(結構難易度高い笑)

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そんなこんなで、昔からおばあちゃんはとにかくやりたい事しかしない主義だった。

料理もつくりたいときだけつくるので、キッチンが荒れるからむしろ料理をしないでほしいと、いつも三人娘のネタにされていた。

昭和時代は「出しゃばらず謙虚に男性をたて、一歩下がって二歩下がる」が良い女という時代なので、自分らしさ100%なおばあちゃんは当然時代にマッチしておらず、周りからはいつも破天荒だと思われていた。

でも逆に、あの時代に自分らしさ100%で自分の人生を生きている型破りなおばあちゃんは「こうあるべき」と世間体に惑わされていた当時のわたしには、とてもかっこよく見えた。

もしかしたら、わたしが自分らしい人生を送れる人を増やしたい!と心底思うようになったのは、そんなおばあちゃんの生き様に美意識を強く感じ、憧れたからかもしれない。

実際おばあちゃんは、セルフィッシュに、わがままに生きていたからこそ、とにかく周りに助けられ、親戚から桁外れに愛され、甘やかされていた。

おばあちゃんがその場にいるだけで空気がパーッと華やいで、周りにいるみんなは振り回されながらもいつも幸せそうだった。
そんな魅力を持つおばあちゃんはとにかくわたしの永遠の憧れだったし、今も世界で一番憧れている。

そんなわけで突然のラブレターだけど、
わたしもおばあちゃんみたいな人生を送ることが心底理想です!
あれほど生きるチカラに溢れたおばあちゃんにも死は訪れるのですね。
改めて人はいつか死ぬ、そんな当たり前のことに気づかせてくれたおばあちゃん。挑戦するのに年齢なんて関係ないと教えてくれたおばあちゃん、一度きりの自分の人生にワガママに破天荒に生きたっていいじゃないと教えてくれたおばあちゃん、いつも周りにハッピーをシェアしてくれていたおばあちゃん。

本当にたくさんの愛と学びと自分らしく生きることの素晴らしさを教えてくれてありがとう!!!

だいすきです!!!会いたいなぁ。桜子

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※この記事を書いた1週間後の追記

ななななんと、101歳のおばあちゃんが
蘇りました!!!!!
医者から「奇跡的に回復してご飯が食べれるように!今日はポカリスエットを400ml飲みました。こんな事、なかなかありませんよ。凄いおばあちゃんですね」て。

おばあちゃん、ありがとう泣。おばあちゃんの生きる力には本当に本当に驚かされる。
わたしも生きよう、力強く。
会える日を楽しみにしているよ、おばあちゃんも生きて、笑って人生謳歌してね!!!

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※追記:8/13/2021

緊急事態宣言が解除されたタイミングで、念願のおばあちゃんに会うことができた。話すことは出来なかったけど、おばあちゃんの大好きな歌をyoutubeで流したら「この曲知ってる!」とばかりに目を大きくして反応してくれた。もちろんお話できたらもっと嬉しかったけど、会えて手を握ることが出来て温もりを感じることが出来て本当によかった。

おばあちゃん、ありがとう!!!!

わたしもおばあちゃんに負けないように
頑張って、楽しんで、人生、生きるからね!!!

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※追記:8/24/2021
お婆ちゃんが天国に旅立ちました。101歳、大往生だね、お婆ちゃん。
ふと空を見上げたら、さっきまで雨だった空に晴れ間が出て、天国への架け橋みたいな力強い雲が。


わたしもお婆ちゃん見習って、エンターテイナーを極めるから
お婆ちゃんもまた、天国で楽しく笑顔で過ごしてね♪

そして最後に。
みんなにも今、わたしが思う言葉を届けさせてね。

大切なひとに大切だよ、と。
大好きなひとに、ありがとうを惜しみなく伝えよう。

人の命は有限、
大切なひとを大切に、自分らしい人生を生きよう。命ある限り。

-喜多桜子-

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