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金沢

 大阪での二日間の公演終了後、楽屋から楽器と手荷物を持ち、地下街を抜け大阪駅に向かう。そろそろ帰宅ラッシュ時に差し掛かろうかという時刻だったが、思いのほか駅の混雑はみられず、スーツケースを引きずる我々には好都合だ。そしてホームは更に人がまばらだった。特急サンダーバードは湖西線、北陸本線を走り北東に向かう。我々が降りる金沢まで二時間半の道程である。

 そろそろ暗くなりかけるか、という冬の夕暮れ、寒いがホームの売店でまずビールを買う。この日は一仕事終えたと言うのに、まだ飲んでいないし、楽屋での弁当も早い時間だったので、空腹感も少しある。が、ひとまず金沢までのつなぎだ。ビールは一本にしておいた。

 ビール、と書いたが、この時に買ったのは実は発泡酒である。今や、味ではビール、価格では第三のビール(発泡性リキュール)となにぶん存在意義が希薄になってきた感もある発泡酒、かくいう私も普段は殆ど飲まないが、旅先ではなんとなく普段口にしない酒を欲したりするし、この日に買ったキリン淡麗グリーンラベルの味は案外好印象なのだ。缶のラベルをまじまじと見ていると、いずれ淘汰される類いのもののような気もしたが、愛飲者もそれなりに多いであろうし、実はこの淡麗には瓶もあって、それがまた旨い、という話も聞いた事がある。

 乗車し席に着く。が、発車するまでプルタブを引けないものだ。何故か、待つのだ。いや、何故かではない、当たり前のように待つのだ。

 発車。早速、プルを引く。クシャ。発泡酒らしい軽めの清涼飲料水にも似た音だ。そして、隣でバンドネオン奏者の北村聡君が続いてプルを引く。クゥワシャ。音が重く響く。良い音だ、と彼の缶を見ると、黄金色のエビス。二人で労をねぎらい乾杯するが、この車両には今回のツアー関係者以外はほぼ乗車していないので、そこかしこで皆で乾杯が始まる。

 つまみも適度に回ってくるし、楽屋でお土産にいただいた雑穀がこの軽い酒には合う。なにより今日はもう仕事を終えたという安堵が車両に満ちていて、多少の揺れもある夜汽車は旅の一座感にあふれていて、貸し切り車両のようだ。

 なかなかに車内販売がやってこなかったが、なんとか酒を追加し、ほろ酔いになるかならないかで、金沢到着。まだ19時を少し回ったところだ。冬の金沢は多分二度目だが、雨の所為か然程寒くない。さて、この後どうするか。前乗りというのは、いつも楽しいが、明日の大千秋楽への引き締めは心の片隅には留めておく。

 宿に着くと、連絡が回ってくる。皆で何処かに行きませんか、との誘いだった。ミュージカルの仕事なので人数も多いが、どうするか迷っていたので乗る事にした。主要キャストの一人の方が提案された、最近で言えば隠れ家的な良い店、との事なので、タクシーで付いていく。金沢城趾、兼六園の脇を通る。ライトアップがまぶしいが、久しぶりにこの地に降りた事を実感する。が、3~4年程前に来たときは、例のごとく香林坊、片町辺りでしか飲んでいないので、金沢のこのような大きい景色を見るのは実は10年ぶりくらいかも知れないと思った。

 20分くらいは走っただろうか。法島町と言う所だ。車は住宅地を入っていく。こりゃ、成る程隠れ家だ、と思うが、私は別に隠れる必要は無い。

 控えめながら高級感のある店構えで、店内の階段を下りて座敷に通される。入って正面がほぼガラス張りで金沢の夜景が少し遠目に広がる。この店が斜面に建てられている構造を生かした作りになっている事を知るのは容易い。そして、居心地は何気ないとは言いがたいが良い、何だか特別な気にさせる。とは言え、夜景はたいした事は無い、と言っては金沢の方に失礼だが、このなんてこと無い夜の灯の方がむしろ落ち着く。女将の和服姿はもちろん色香を置き去りにする事は無い上品さだ。

 酒も食事もこの上なく旨い。やはり旨い事は良い。常日頃、そこそこで良いよ、なんて言っているが、旨いとやはり幸せになる。活力になる。が、忘れられないのも好きではない。酒はその場限りも旨さの方が自分の性に合っているかも知れない。と、思いつつも焼酎は進む。

 リハーサルから含めると、ほぼ一ヶ月はこの現場に入っているのだが、キャストの方とこうやって飲むのはほぼ初めてだった。ステージ上では演技、踊りと音の親密な関係ではあるが、楽屋裏では挨拶以外の会話は然程無い。だからこういう席で会話をすると如何に皆が常日頃の努力と現場の瞬発力、想像力で動いているのが分かり話が弾む。こちらの何気ない音にその時限りのタイミングで反応したりする事を聞き、わくわくする。

 30~40人はいたので、場はそこかしこで花が咲き、やかましくもなる。反して夜景はかなり大人しくなってきた。

 さて、お開き。さすがに勘定は少し覚悟したが、正式な打ち上げでは無いのにも関わらず、N女史マネージャーが私の差し出した札を拒否した。「ここはこちらで」

 スムースに済ますべくその言葉に乗り、再びタクシーで繁華街に戻る。同乗は北村聡 A.K.A 蛇腹王子とN女史である。まあ、落ち着いて軽く一杯やりたかったので、香林坊付近で皆でタクシーを降りる。まだ、日付が変わったかどうかの時間だったが、人通りは少ない。雨の所為もあっただろう。そして、落ち着いたバーを見つけ、3人でカウンターに陣取る。ピアノトリオのジャズが小さな音で流れている。ジントニックですっきりといきたいところだ。

 数年前にもこの3人で地方で飲んだ事があったのを思い出した。大阪の焼き鳥屋だったか。私はこの二人より大分人生の先輩だが、酒が進むとまあそんなことは関係ない。そして、その数年前の時は、N女史が酔ったあげくに泣き出してしまったのを思い出した。
 
 すると「ちょっと聞いて下さいよ、桜井さん」とN女史。先の事を思い出したと同時に来た。口調からして、結構酔っているようだ。隣では蛇腹王子が笑っている。

 まあN女史の愚痴は他の現場での些細な事なのだが、マネージャーという仕事はかなりのケアまで要求される事があるので、若い彼女としては第三者に話す事で落ち着きを取り戻せるのであろう。が、まあとにかく私が一緒の現場ではN女史はとても優秀はマネージャーであることは間違いない。

 二杯飲んで、宿に戻る事にした。明日は大千秋楽。早めに切り上げよう。N女史の愚痴もひとまず収まった。今回は泣かなかった。

 そして最後にN女史「すいません、さっきの店で有り金全部出しちゃいました」

 雨の中を少し歩いて帰った。

 翌日、朝食はきちんと食べ、会場入りまでの時間も随分あった。雨だが、少し散歩をした。歩くと腹もへり喉も乾く。ビール一杯にごく普通の中華そば。そして、また散策。魅力的な佇まいの酒場も何軒か見つけ、さて、仕事の時間だ。
 
 そして、気持ちよく本番を終え、打ち上げが催される事を聞いたが、旨いものは昨日で十分な気になったし、静かに軽くやりたかったので、一人で香林坊の菊一に行った。


 後日、上の写真をツイッターに載せたところ、西脇一弘さんが反応して、スケッチをして下さった。

 そう、この佇まいだったのだ。

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