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百軒店

 渋谷の百軒店(ひゃっけんだな)は学生の頃、割と良く行ったものだった。ブラックホークはまだ自分にとっては敷居が高い感じがしたが、数回は入店した事があるし、ホーカーズヴィレッジでは何度か先輩がやっているサザンソウルのバンドのライヴも観た。が、やはりよく足を運んだのがB.Y.G.か。とにかくここでは、気になるアメリカンロックの新譜は必ず聴く事が出来たので、よく行ったものだった。ある日発売されたばかりのLevon Helm & the RCO All Starsを買った帰りに寄ったら、そのアルバムがかかっていた。内容は素晴らしいが、ちょっと残念な気持ちにもなった。が、それは自分が迂闊だっただけのことだ。それから、とにかくこの店では、C.S.N.&Y.の4way Streetをよく聴いた。しょっちゅうかかっているので、自分で購入したのはCDになってからだった。

 さて、そんなB.Y.G.に久しぶりに行った。ロンサム・ストリングスとノア・ルイズ・マーロン・タイツのライヴ以来なので、かれこれ、6〜7年ぶりではないだろうか。今回は福岡史朗『朝のステーキ』発売記念ライヴのゲスト参加である。

 福岡史朗が素晴らしい事は言うまでもないので、ここでは書かない。この日は『朝のステーキ』のプロデューサーでもある麻田浩さんがお見えになっていて、実はきちんと会話をしたのが、はじめてだったのである。
 終演後、打ち上げの席でビールを飲みながら、まだリリース前のLonesome Strings and Mari Nakamura 『Folklore Session』をお渡しすると、評判は聞いています、楽しみだなぁ、と一言。そして、マーク・リーボウが来日するんで、ロンサム前座という声もあるけど、どう? なんていきなり言われたのだが、いやぁ、福岡君が良いでしょう、と即答すると、うん、と納得の様子。


 そして、話は昔のトムズ・キャビンにお世話になったことに遡る。なにせ、私は初めて観たコンサートが、トム・ウェイツの久保講堂。その後、ローリング・ココナッツ・レヴューやデヴィッド・ブロムバーグやレヴォン・ヘルム等等、とにかくその辺りのコンサートには足を運んでいたのだ。そして、それらのほとんどを招聘していたがトムズ・キャビンだといっても過言ではない。そんな話から今度はミシシッピー・ジョン・ハートの話まで遡る。鞄の中から、当時のアメリカのフォーク雑誌を取り出して見せてくれた。ランブリン・ジャックもブラウニー・マギーも同じように語られているではないか。なんでもその小冊子は60年代後半の頃なのか、麻田さんがアメリカで手に入れたものとの事だが、その時のアメリカ行きの動機がミシシッピー・ジョン・ハートを詳しく知りたい、という事だったと言うから、そりゃ興味深い。今よりも遥かに情報が少ない時代であるから、知りたい、と言っても生半可な事ではないし、その探究心と行動力には興味津々で私は話を聞いていた。

 そんな話を全部聞くには、時間が短すぎたが、私が多大な影響を受けたとある雑誌にも麻田さんは関わっていて、その話も少し出来たのは、嬉しかった。

 以前に、自分のサイトに書いたコラムだが、長いけど案外面白い。全部掲載しよう。以下。

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 '75年に発行された「9月号増刊 ライト・ミュージック アコースティック・ギター」という本がある。特に大事にしておいた訳ではないのだが、いくつかの引越時の危機を乗り越えいまだにぼろぼろになったとはいえ、本棚の片隅におさまっている。私がギターを手に入れたのが中学二年の時だから、おそらくこの本を手に入れたのは翌'76年かもしれないが、その辺は定かでは無い。たしか錦糸町あたりの楽器店では無い店で6,000円くらいのクラシック・ギターとGUTS(音楽雑誌、コードブックも付いていたのでは)を買い、それから適当に練習をしてストローク、アルペジオとスリーフィンガー(どれも右手のギター奏法)をマスターした気になり、サイモンとガーファンクルのコピーの励むようになった。いわゆる耳コピーではなく、教則本で練習したわけだが、その楽譜、タブ譜集(S&G GREATEST HIT'Sと似たような表紙)の最後のページに、ポール・サイモンが影響を受けたギタリストとしてバート・ヤンシュの名が上げられていた。一体、誰?と思ったのだが、今のように直ぐさま情報を得られる訳ではない。当時の情報は何といってもラジオが一番でAMでは「日立ミュージック・イン・ハイ・フォニック」「全米トップ40」「馬場こずえの深夜営業(Steve Goodmanがテーマソング)」FMでは「中村とうようのニュー・ミュージック・マガジン」「渋谷陽一ヤングジョッキー」なんかを良く聴いていたし、FM雑誌を図書館で読んではエアチェックする番組に目星を付けたりしていた。(カセットテープもそんなに安い時代ではなかったので、片っ端からというわけにはいかなかった)同時に図書館ではレコードも貸し出していて、これは本当によく活用していた。おかげで中学生の時からウェイロン・ジェニングスやB.W スティーブンソンをなんだか解らず聴いているし、MUDDY WATERSやROBERT JOHNSONを知る前に「RCAブルースの古典」を聴いていたり、好奇心だか格好つけているのだか、という感じか。

 話しは逸れたが、そんなときこの「9月号増刊 ライト・ミュージック アコースティック・ギター」を手に入れた。この本によってバート・ヤンシュが何者なのかはすぐに解るが、それ以上に本の内容には刺激された。当時の私にとってはバイブルだった。表紙のいくつかの写真はマンドリンを弾くRy Cooder、Neil Young、月形サウンドホールのギターを弾くDonovan、エヴァリー・ブラザーズモデルを持つPaul McCartney、Martinを弾くPaul Simon、Joni Mitchell等。グラビアもNeil Young、James Taylor、Phoebe Snow等。そしてマッケイブス・ギター・ショップの写真。その後の内容はカーター・ファミリー、チャーリー・パットンからJT,S&Gまでの歴史。日本フォーク界の流れを変えた高田渡。そして極め付けJohn Faheyインタビュー、等。その他もちろんブルース、ラグタイム、フラット・ピッキング、オープン・チューニングの教則の譜面はその後随分練習した。そしてこの本の終わりにディスクガイドがある。麻田浩選全24枚なので全部上げてみよう。

・THE IMMORTAL MISSISSIPPI JOHN HURT
・BERT AND JOHN/BERT JANSCH&JOHN RENBOURN
・NITTY GRITTY DART BAND/WHEN THE CIRCLE BE UNBROKEN
・JAMES TAYLOR/GORILLA
・BLIND BLAKE 1926-30
・DAVID BROMBERG
・NORMAN BLAKE/ BACK HOME IN SULPHUR SPRINGS
・THE LEGENDARY THE ORIGINAL CARTER FAMILY COLLECTION
・RY COODER/PARADISE AND LUNCH
・STEFAN GROSSMAN/HOT DOGS
・JIM CROCE/YOU DON'T MESS AROUND WITH JIM
・RICHIE HAVENS/MIXED BAG
・C.S.N&Y/DEJA VU
・LEO KOTTKE/MY FEET A SMILING
・JOHN DENVER/ROCKY MOUNTAIN HIGH
・JIM KWESKIN/RELAX YOUR MIND
・GORDON LIGHTFOOT/SUNDOWN
・sing songs of THE NEW LOST CITY RAMBLERS
・JONI MITCHELL
・PAUL SIMON/THERE GOES RHYMIN' SIMON
・JOHN PRINE/DIAMONDS IN THE ROUGH
・MERLE TRAVIS
・BONNIE RAITT/GIVE IT UP
・DOC WATSON

 4ページにわたって掲載されているのだが、最初の見開き2ページではカーター・ファミリーまでの8枚で、そのうち最初の4枚は扱いも他に比べて大きい。そして次に見開き2ページで残りの16枚が紹介されている。すぐに挫折することになるが、とりあえずこれらを全部買おう、もしくは聴こうと思った。問題はその順番だ。ABC順、あいうえお順、年代順になっている訳では無い。しかも最初の4枚は扱いが大きい。「ベスト・アルバム24」と書いてある。何も知らない私としてはこれをベスト順と考えたのだ。そしてこの中で唯一持っていたのがPAUL SIMONでこのアルバムは大好きだった。だから「これより良いアルバムが19枚もあるのか!」と躍起になったのかも知れない。もちろん他にも聴きたいものは多々あったが、とりあえず一年間ぐらいのレコード購入の指針みたいなものだ。さてその「第一位」であるが、「THE IMMORTAL MISSISSIPPI JOHN HURT」。いきなり二枚組だ。4,000円。もうつまずく。二枚組は当時の小遣ではおいそれと手が出せないのだ。

 話はまた逸れるが、当時、だいたいレコードは秋葉原・石丸電気で買っていた。極まれに輸入盤も買ったが、まだまだやはり解説が有り難かったのだ。秋葉原まで出かけ一日かけて一枚のレコードを買う。吟味に吟味を重ねた。中学生なので周りも顧みずその場で中の解説を読んだりして、店員に注意されたりした。ある日図書館で借りて気に入ったGREATFUL DEADのアルバムを買おうと、秋葉原に出かけた。図書館で借りたのはWORKINGMAN'S DEADでたしかBLUES FOR ALLAHが新譜で出ていた頃だ。吟味に吟味を重ねる私としては、GREATFUL DEADのコーナーの前で、店員の目を盗みながら解説を読んだりして、おそらくそこに二時間ぐらいはいたであろう。そして悩んだ挙げ句「LIVE/DEAD」の購入に踏み切ろうとした時、となりにいた大学生ぐらいの兄さんが言った。「それ、良く無いよ。」「えっ」と聞き返すも、再び「それ良く無いから、止めた方がいいよ。」。彼としては親切だったのだろうが、私の勇気はふみにじられた。そしてその日は手ぶらで帰った。その後「LIVE/DEAD」を聴く事ができたのは、CD化されてからだから、最近といえば最近だ。

 話を戻そう。ようするに小遣も足りないが、「二枚組」の嫌な経験も重なり 「THE IMMORTAL MISSISSIPPI JOHN HURT」に手が出せない。そこで私は順番にそろえる事を諦め、最初の見開きの八枚の手に入りやすいものから、という方針に変える。「BERT AND JOHN」は友人の兄貴が持っていて、それをダビングした。JTもDAVID BROMBERGもすぐに手に入れた。BLIND BLAKEは輸入盤なので、後回し。NORMAN BLAKEは図書館にある。問題はこの先だ。先の「THE IMMORTAL MISSISSIPPI JOHN HURT」は二枚組。これはまだいい。「NITTY GRITTY DART BAND/WHEN THE CIRCLE BE UNBROKEN」これは三枚組だ。6,000円だ。「ALL THINGS MUST PASS」も持っていないのに。そして「THE LEGENDARY THE ORIGINAL CARTER FAMILY COLLECTION」にいたっては10枚組、18,000円だ。麻田め。この計画が3ヶ月程で頓挫した事は言う間でも無い。そしてもちろん他にも聴きたいレコードは山程あるので、この「ベスト・アルバム24」から離れて聴き漁る事となるが、この「ベスト・アルバム24」の次の見開きの最初が「RY COODER/PARADISE AND LUNCH」であるのに再び気が付いたのは、それから2〜3ヶ月は経ってからであろうか。
 
 中学生当時私はサッカー部にいたのだが、どういうわけだか部内の同年代は音楽ファンが多かったし、クラスにも何人か音楽ファンはいた。同じクラスの野球部のEは外見は想像もつかなかったが、熱烈なYARDBIRDSファン。いつも口笛で「グッドナイト・スイート・ジョセフィン」を吹いていたが、JEFF BECK、JIMMY PAGEやERIC CLAPTONにはあまり興味がなかったらしい。帰宅部のOは放課後私がギターを弾いているのを見て、レコードを貸してくれた。それまでOとはほとんど話をしたことがなかったが、いきなり2枚のレコードを持ってきた。MIKE BLOOMFIELDとALLMAN BROS.だ。私は感激し翌日彼に返却。他に何を持っているのか、と尋ねると、「これだけ、この二枚だけ」と言った。大の日本のフォークファンのNはじつはCHICAGOの大ファンだった。ほとんどのアルバムは持っていたし(そしてほとんどが二枚組)今度「Chicago At Carnegie Hall」を買うとも言っていた。これは4枚組ぐらいだったと思うが、それ故彼のCHICAGOに対する思いは相当だということは伝わったし、ガルシオ(シカゴのプロデューサー)が新しくプロデュースするバンドGerardの事も熱く語っていたが、彼はそれら以外の洋楽を全く知らなかった。ようするに情報が無い故の偏りだが、そのような音楽ファンは案外少なく無かった気もする。その反面、当時のポップスにやたらに詳しい奴もいたし、昼休みにはWINGSやCARPENTERSが校内放送で流れた。そんな中サッカー部の音楽ファンはギターを弾く奴が多かった。最初はBeatlesやS&Gの簡単な曲をかき鳴らしていただけだが、そこにハードロックの波だ。昼休みのMY SWEET LORDがある日突然SMOKE ON THE WATERに変わったのだ。同じクラスでしかもサッカー部のHはフォークギターを買った翌月にエレキギター(しかもブライアン・メイ・モデル)を手に入れ、QUEENのコピーをしていた。そんな友人達が熱心に勧めるものの私はハードロックの波には乗れなかった。乗らなかったのではない、なにせ私はまだ¥6,000のクラシック・ギター(ナイロン弦)だったからだ。なのでおのずと一人でギターを弾く事が多くなった。EAGLESやAMERICAなど共通のレパートリーもあったのだが、どちらかというと一人で出来るレパートリーを練習するのが楽しかったとも言える。

 そんな時の話だ。私はサッカー部の友人の友人Tの家によく遊びにいっていた。たしかTの両親とも教師でどちらかは美術の先生だったせいか、他の家には無い文化的な香りもしたが、それは東京の下町の新興住宅地にはすこし珍しい洋館住まいだったこともある。その家の離れでTは大学生の兄と住んでいたのだが、兄貴のレコードは沢山あるし、フォークギター(鉄弦)もあった、そしてその兄貴の煙草を盗んで吸っていても大丈夫だったし、なにせアトリエのような広い空間は居心地が良く絶好のたまり場だった言えよう。しこしこと一人で出来るレパートリーをクラシック・ギターで練習していた私としては、Tの家で気兼ねなく弾けるフォークギターはうれしかった。だがレパートリーはまだ少なくPAUL SIMONの印象的はギターラインを除けば、遅いテンポで弾くFISHIN' BLUES、指弾きのUNDER THE DOUBLE EAGLE、ラグタイムでエンターテイナーの途中まででこの三曲は「9月号増刊 ライト・ミュージック アコースティック・ギター」からだ。中でもエンターテイナーは有名曲でもあるし、エレキ派の友人たちも感心させた。Tが部屋で電話(自分の部屋に電話まであったのだ)をしていたある日、私はこれらのレパートリーを弾いていた。エンターテイナーも大分つっかえずになったし、FISHIN' BLUESも少しは速くなった頃だろう。電話を切り終えたTは「○○ちゃんがギターの音がすごくいい、誰が弾いてるの、と言ってたよ。」と言った。どうやら私の弾くギターがTとTの彼女の語らいのBGMになったようだ。もちろん彼女と電話をするTに対し悔しい思いはあったが、その後すぐ新たなレパートリーにとりかかったという事はやはり嬉しさの方が上回ったという事か。そこで私は「9月号増刊 ライト・ミュージック アコースティック・ギター」から他のレパートリーを探すが、恋人達向けのものは無さそうだ。(サービス精神ではなく、異性を意識したということだ)そこで再び「ベスト・アルバム24」に戻る。まだ手に入れていないBLIND BLAKEは黒人なので、レパートリーには不適格と思いながらも、その解説を読みなおしてみる。そのまま引用すると、『最近ライ・クーダーによって「ポリス・ドッグ・ブルース」と「デリィ・ワ・デリィ」が取り上げられ、(原文ママ).......』と書いてある。自分で曲名に下線を引いている。ライ・クーダーか、とこの本のライ・クーダーの記事を読みなおしてみる、そして「ベスト・アルバム24」の次の見開きには「RY COODER/PARADISE AND LUNCH」。もう次に買うレコードはRy Cooderしかないと思うが、購入したのは「INTO THE PURPLE VALLEY」だった。何故かというと1stや「PARADISE AND LUNCH」はシングルジャケットだったからで、「INTO THE PURPLE VALLEY」は見開き、とにかく少しでも多くの情報が得られるだろうとバカな私は迷いも無く「INTO THE PURPLE VALLEY」を購入した。だが結果これが大正解。今にして思っても'76年当時(CHICKEN SKIN MUSICは'76年だが、日本盤は多分翌年か?)としてはこの2ndが最も入門盤として適切なのでは、とRy Cooderファンの多くもうなずくのではないだろうか。

 多分、当時の私の頭でっかちな性質からおそらくレコードをかける前に見開きジャケットを開き、未だ見ぬアメリカに偉大なる幻想を抱き、そして小倉エージ氏の解説を読み倒したに違い無い。解説だけでもう驚く。「9月号増刊 ライト・ミュージック アコースティック・ギター」やその他雑誌('76夏ぐらいからNEW MUSIC MAGAZINEとTHE BLUES誌を読むようになる)ではあまり繋がらなかった知識が少しはまとまったように思えたし、また知りたい事も大分増えた。そしてこの解説はオープン・チューニングやギターの機種にもふれていて、それもうれしい。最初に針を落としたときのことは良く覚えている。HOW CAN YOU KEEP ON MOVING、明るい。なんだ、これは。もっと渋い音楽を想像していたので肩透かし。そしてドラムがかぶさり、その後のスライド・ギター・ソロで耳は釘付けになるも、なんだか良く分かっていない。聴くもの聴くものが新鮮な驚きばかりのこの頃の私の情報処理能力はこの特殊な音楽についていけないのだが、すぐに二曲目BILLY THE KID。この楽器はなんだ、すぐ解説を読みなおす、マンドリンだ、多分マンドリンの音を初めて認識したのではないかと思うが、このブルース(その時はそう聴こえた)は強烈だった。そして4曲目F.D.R IN TRINIDADこんな美しい曲は初めて聴いたし、なによりギターが超人的に思えた。そしてA面最後のDENOMINATION BLUESは当時の私の好みにはかなりぴったりきた。B面はまたA面と同じようなはじまり方だが、よりブルージー。そうやってアルバムは私の中で?と興奮を繰り返しながら進んでいくのだが、B面3曲目GREAT DREAM FROM HEAVEN、最後のVIGILANTE MANでノックアウト。そして私は迷い無く新レパートリーにGREAT DREAM FROM HEAVEN選ぶ。

 この後THE BAND「MUSIC FROM BIG PINK」に出会うまでの約一年間ぐらいだったと思うが「INTO THE PURPLE VALLEY」は私が最も聴いたレコードだが、最初の印象はこんなものだ。しかし今聴いてみると、これがとんでも無い作品。ここではディスクレヴューをするつもりはないが、一言。NEW LOST CITY RAMBLARSとこのアルバムの関係は過去いろいろ伝えられているが(コンセプトの共通等)、私としてはCooderのNLCRのパロディ、そしてフォーク・エヴァンジェリスト達への(1stよりあきらかな)批判も感じてならない。F.D.R IN TRINIDAD、TEARDROPS WILL FALLという選曲、アレンジからも明らかだし、なによりこのグルーブ感がそれを証明している。最初シンプルと感じさせるのはつかの間で、弦楽器類のアレンジはかなり重層的。A面だけでも既に皆が知っているけど、どこにも無い音楽に聴こえる。そしてPURPLE VALLEY(GREAT DEPRESSON又はそれらの曲)を通り抜けたCooder夫妻が青空の下で笑っている、というのが印象的だが、その青空もはりぼて(に見える)なのは自分の立場を良く解っているということか。

 さて、GREAT DREAM FROM HEAVEN。簡単にいえば、二長調、三拍子のかわいらしい曲で、シカラムータでときどき演奏する THERE WILL BE HAPPY MEETING IN GLORYに良く似ている。どちらもJOSEPH SPENCEが脚色したトラディショナル、セイクリッド・ソングだ。Ry Cooderのファンでギターをかじった事のある人ならば、この曲がDrooped D Tuning(通常のギターのチューニングの六弦だけを二度さげたもの、六弦からDADGBE)で奏でられている事は常識みたいなものかも知れないが、この頃私はオープン・チューニングというものが(存在こそ知ってはいたが)どのようなものかは全く解っていなかった。Ry Cooderがそれを駆使しているらしいことは、知っていた。小倉エージ氏の解説にもOPEN G Tuningの事が書いてあったし、先の「9月号増刊 〜」にはOPEN D Tuningが載っていた。チューニングが出来ても今までのコードフォームは役にたたない。セーハ(人差し指で6〜1弦すべて同フレットを押弦)でコードを変えられるのは解ったが、それだけだ。仕方なく私は普通のチューニングでGREAT DREAM FROM HEAVENに挑むことになるが、このアルバムを買って数日でこの曲のメロディーは覚えてしまっていた。(とは言っても、子供がビートルズの曲を覚えた気になっているようなもの)だから出だしの二三小節だけなんとかコピーして、あとは自己流でこの曲をなんとか弾けるようにするが、(家のステレオもそんなに良いわけでは無いし、そして当時の私の耳では一音さげたDに全く気付かなかった)Drooped D Tuningというのも幸いしたのだろう(六弦を除けば、普通のチューニング)響きも違和感が無いような気がした。その頃ちょっと練習をしていたフィンガーピッキングのブルースに比べれば、低音の弾き方は楽だったし、割といいかげんでもそこそこ形になった。あとは所々かっこいいフレーズをなんとかコピーしようとしたが、解らない部分もあった。それでも(最初は3コード[D,G,A]で弾いていたのだが)Bmを入れる事を見つけた時は興奮した。一週間くらいでなんとなく形になったと思う。最初、学校の音楽室(クラシック・ギターがおいてあった)でサッカー部のポップスファンK(ELOファン)に聞かせたのだが、彼の反応は冷ややかだった。私はそれをギターの所為(ナイロン弦だから)にし、Tの家に向かったが、留守だった。しばらくしてTが彼女と別れたと聞いたが、まあ良くある話だ。この後私は、いよいよスライド・ギターに挑戦するためにフォークギターを手に入れ、Dropped D Tuningも知るが、それはまだ少し先の話。そしてもう少し先の'78年4月Ry Cooderは初来日。その話はまた次回。

 ちなみに「9月号増刊 ライト・ミュージック アコースティック・ギター」今、手元にあるものにRy Cooderの記事はほとんど無い。この頃持ち歩いていた為、切り抜いてしまったのだった。

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 と、そんな昔話だが、『Folklore Session』では、Fishin' Bluesも取り上げているし、Ry Cooderもまだまだ元気で、新作が控えている、という今日この頃ではある。

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