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東大和

 私が住む東京都下北多摩地区の自治体名はどうもはっきりしない。車で青梅街道を走る度に、その境界線には自治体名の標識が出ているのだが、都心寄りから、西東京市、東久留米市、東村山市、東大和市、武蔵村山市、等の名前が並ぶ。

 もともと、東京都下の多摩地区は三多摩とも呼ばれていた。北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡の三つで三多摩なのだが、ほとんどが市になってしまったので、現在では、瑞穂町、日の出町、奥多摩町、檜原村を配す西多摩郡の名称しか残っていない。

 土地の名前にはなんとなく興味があるのだが、最近の合併に見られる様な名前にはほとんど感心した事がない。先の旧北多摩郡の市名も頭に方角が付いている事から、どうも安易な命名にも思えるが、東久留米市、東大和市、武蔵村山市はそれぞれもともと久留米、大和、村山と旧町名を使っただけなのだが、昭和20〜45年に市制になったおり、福岡県久留米市、神奈川県大和市、山形県村山市との差別化の為、そのような命名がされたのだ。関連は無いのだが、どうも本家と分家の様な感を覚えてしまう。

 ちなみに、由来をひも解くと、東村山市の東は上記と少し異なり、もともと村山郷と呼ばれた地域の東側だったので、市制になる前から東村山町だったそうだ。そして、どういう訳か府中市だけは市制申請がほぼ同時だったこともあり、広島県府中市と市名同名回避はなされなかった。

 と言う訳で、元々の地名が重なっているのだったら、少し安易だが、まあ、仕方が無い。が、それにしても先の市名で一番最近に出来た、西東京市の命名はちょっと酷い。ここの名称問題は記憶に新しいし、いろいろ他に候補が有った様な話は聞いたが、それももう10年近く前の話か。だいたい東京都という名前からして、既に方角自治体名の東・京都なのだ。だからその由来から考えると、西の東の京になってしまうではないか。って事は京都と同じか?
 
 
 さて、話は変わるが、この北多摩地区から埼玉にかけ、独特のうどん文化がある。一般的には「武蔵野うどん」と呼ばれ、最近では都心でもその名称を目にする事もあるし、その食べ歩きのブログを見かけた事もあるくらいで、少しずつその認知度は上がってきたようだ。

 実はここに越してくるまで、その存在は全く知らなかった。この土地での生活に大分慣れた頃、その存在をどこからか聞き、有名店が歩いても行ける距離にある事を知った。

 ほとんどの店が昼の11〜14時くらいまでしか営業せず、麵が無くなり14時前に閉店する所も少なくない。この辺りで仕事でもしていない限り、まあなかなか食べ歩きは難しい。

 関西のうどん好きの方は敬遠する向きも多いと思う、濃い色のかなりしょっぱい汁で、基本はその熱い肉汁の汁にざるに盛った小麦臭の強いうどんを付けて食す、と言うのが、基本の形である。そして、ちょっとした野菜の天ぷらが付き、薬味は葱、生姜のほかに、すりごまやほうれん草のおひたし、大根をスライスして軽く煮たもの、等々。これらを肉汁に入れながらうどんをすする。

 だいたいの店は、茹でたて、揚げたて、では無い。なので、うどんグルメの方はその辺りを店の価値判断の重点としているようである。

 確かに、茹でたて、揚げたての店は旨い。が、このうどんは糧うどんなのだ。おばちゃんち、で食べるうどんなのだ。茹で置き、揚げ置き、がその発展の根底にある事は否めないのだ。だから、茹でたて、揚げたての店に行くと、どうも旨すぎる、と感じてしまう。が、そう言う店は酒もおいているので、武蔵野うどんを食う、という行為とは別に、単に旨いものと酒、と言う感覚で楽しめる。

 ちなみに、糧うどん、と言う観点からのお薦め以下の三店。

 東大和 野沢屋
 東村山 宅部うどん、こせがわ

 どこも驚く程普通の住宅地の中にある。しかも三店ともかなり趣向が違うと言える。


 
 その三店とも、徒歩あるいは自転車で自宅からは気軽に行ける距離なのだが、最も自宅に近い飲食店は実は普通の居酒屋だった。

 数日前、家内が車を使って外出していた。そろそろ夕飯時で空腹を感じたので、外に出た。まあ少し歩こうと坂を降りる。すると、前から知ってはいたのだが、入った事が無い赤ちょうちんが目に入った。

 まあ、自宅作業は続いているが、喉をうるわすのも悪く無い、と、初めてその暖簾をくぐった。

 その店は、私がここに越した頃は実は寿司屋だった。現在の店の屋号から、寿司屋との関係は想像に容易い。

 五席程のカウンターと小上がりが二卓、と思いのほか、こじんまりした店だった。小上がりには田舎のカップルと言う感じの若者が喫茶店にでもいる様な雰囲気で呑んでいた。
 
 お通しは海ぶどうで、驚いたが、これが大変美味。昨日沖縄から入ったそうで、思わぬものにありつき嬉しくなる。女将に「前は寿司屋でしたよね。一度で前をお願いした事がありまして、とても美味しかったです」と告げると、嬉しそうに笑ってくれた。続けて、主人が亡くなってもうすぐ十年です、との答えが返ってきた。

 ああ、やはりそう言う事情で寿司屋をたたんだのか。寿司屋から現在の店になるのには、結構空白があった。聞くと、女将家族は一度この地を離れ、数年前に戻ってきたのだそうだ。

 そんな話をしたからだろうか、サービスです、と言われ、春巻きの皮のチーズ揚げを差し出してくれた。

 自宅の作業もあるので、酒は程々にして、腹を満たす事にした。うどんを注文した。肉汁付けうどんもあったが、通常のどんぶりの肉うどんにした。武蔵野うどんは肉汁付けうどんが基本とされているが、通常のどんぶり肉うどんも旨いのだ。ただ、まず店でこれを食べる人を見かけないので、注文しづらいかも知れない。

 運ばれてきた肉うどんは、さして旨くは無かった。が、糧うどんなのだ、これくらいでも文句は無い。

 
 そして、先日、鈴木常吉さんと打ち合せと称して、この店で呑んだ。お通しは枝豆になってしまったが、また、チーズ揚げのサービスがあった。

 明るいうちに入店したが、暗くなった頃は結構席が埋まった。ママさんバレーの練習の帰宅途中のような女性三人組と人の良さそうな老いぼれたチンピラだった。

 地元の新名物の黒焼そばを少しつまんだが、これは喉が渇く味だった。

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