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京都

 京都の新京極に「スタンド」と言う飲み屋がある。新京極なんて修学旅行生が行くところだろ、なんて思う方もいるだろうが、四条通りから新京極を入って割とすぐの場所にその店はある。

 この店を何故知る事になったのかは、もう覚えていない。が、新京極と言う場所柄、偶然通りかかった訳ではないとは思う。

 新京極の隣に寺町京極と言うのもあり、四条通りから入って行くその通りの右側にシガーバーがあるのは、随分前から知っていた。自分が愛飲するチェリーはそうおいそれと自販機で見かける事は多く無く、良く行くところであれば、大きな煙草屋はおのずと覚えなければならない。そのシガーバーには煙草を買いに入った事しか無いのだが、店内は外の喧噪とは別世界で、煙草を買う為だけでも、グッと心が落ち着く。パイプやキセル等の喫煙具の渋い艶が良い味わいだし、見た事も無い海外の紙巻き煙草や葉巻等のパッケージも興味深い。シガーバーはその店の奥にあり、いつも入りたい誘惑に駆られるが、だいたいこの店に寄るのは本番前の慌ただしい時なので、ここでゆっくりと一服燻らせた事は未だ無い。

 そのシガーバーの筋を新京極に抜けると「スタンド」は目に入る。今で言うレトロな看板が目を惹き、吸い寄せられた、と言うのが多分この店を知ったきっかけだろう。

 年に二回程は出演している「磔磔」は四条通りを下って歩いて7〜8分のところにある。近くに飲食店はほとんど無く、リハーサルを終えた後はだいたい四条通りに出る事になるのだ。

 四条通りに抜ける手前に救世軍があり、その隣に蕎麦屋がある。改装前は何度か入ったが、新しくなってからは一度も入っていない。どうも自分とはタイミングがずれるのか、暖簾がしまわれている時が多い。

 そして、何時しか磔磔のサウンドチェックの後は「スタンド」に行く事が多くなった。特にシカラムータではその確率が高い。

 まず、雰囲気が夕方の軽く一杯に適している。居酒屋然としておらず、明らかに昭和の感覚の店なのに、ちょっとしたハイカラさとその明るさはヨーロッパのカフェの様でもある。そして、テレビでは時期が合えば必ず相撲中継だ。合わなければ、野球かニュース。時折、目を走らせるにはちょうど良い。

 メニューも何となく豊富だ。腹を満たしたいならカレーライスがあるが、これは思いのほか大蒜が利いている。揚げそばはとてつもない量で皿に盛られ、とても一人では食いきれない。そして、注文した事は無いが、定食もある。

 私がここで良く頼むものは、ビフカツやきずし、ポテトサラダあたりか。きずしというのは、関東で言うところのしめさばで、阿倍野の明治屋でもそうだが、結構しっかり漬かっていて、醤油は必要ない。

 夏場はビールセットも悪く無い。生ビールに三品程のつまみが付く。ここに限らず、サックスの川口隊長はこの手のものを注文する事が多い。

 ビールもスタウトまで置いてある。丸テーブルが3〜4と長い対面式カウンター、どちらもどっしりはしていないが、落ち着くのだ。

 ヴァイオリンの太田惠資さんは、ここでよく日本酒を呑んでいる。何時だったか、太田さんはかなり遅れて磔磔に到着した。前の仕事を終えて、急いで駆けつけたが、もうサウンドチェックが終わる時間に近かった。その後メンバーの内4〜5人でスタンドに行った。太田さんは割とすぐに日本酒に移行した。私もご相伴にあずかったが、本番前なので適度にしておいた。とっくりが3本程空いた頃、彼は酔いを認めていた。空きっ腹だったらしい。そして、本番の太田さんは凄かった。私は立ち位置が近いのでよく憶えているが、あまりヴァイオリンは弾いていなかった。が、ここぞと言うときは、全部持って行った。しかも、楽器は弾かずに、歌と踊りで盛り上げたのだ。その旨を後で本人に話したら、全く覚えていない、との事。

 さて、春のカルメン・マキさんのツアーでも太田さんと三人で磔磔に出演した。のんびりとサウンドチェックをしていたら、意外な人が現れた。あがた森魚さんだった。旅の途中のあがたさんは例によって、やあやあ、とフットワークが軽い。

 サウンドチェック後、皆でスタンドに行った。太田さんと私は歩き慣れた道だが、マキさんは、遠いのね、とつぶやく。

 いつも通り、スタンドはほぼ満席だったが、なんとか席を対面式カウンターの方に確保した。

 最近はここも観光客が増えて、落ち着きが無くなった、なんて声も聞くが、もともとざっくばらんな店だし、自分達も地元では無いのだ、このくらいの混雑はなんて事無いし、店の雰囲気が変わった様にも感じない。

 本番前の腹ごしらえもかねて、少しヴォリュームのあるものも注文する。目の前に置かれた野菜炒めは本当に山盛りで、濃いめの味付けだ。これとキリンビールの相性はなかなか良い。

 あがたさんは平静穏やかで口数は多く無い。が、ひとたびスイッチが入ると饒舌になる。とは言え、本番を控えた我々に対して、いつも通りの穏やかさだ。

 マキさんは色の付いた酒はワイン以外ほとんど飲まない。だから、この時もビールはほとんど口にせず、焼酎か日本酒で喉を湿らせた程度だ。そして、軽く食事をし、あがたさんと何やら話をしている。

 太田さんと私は、ただのいつもの感じだ。他愛も無い話をして、ゆっくりと酒を追加する。何となくテレビに目をやったり、と本番前の少しの緊張感を感じつつ、杯を重ねる。

 あがたさんがマキさんに話しかけている。私は話には入らず、なんとなく聞いている。あがたさんの所作がまるで映画のようだ。マキさんもしかり。私はいい調子で飲んでいるが、思えば一回り以上歳の違う大先輩の二人である。しかも、ずっと自分の名前でフロントに立っているのだ。そして、二人とも大ヒット曲がある。これらの曲の伴奏は幾度となくしてきたが、やはりお客さんの反応に思いと歴史を感じる。そんな二人が絵にならない訳が無いのだ。

 なんて事は、本人達には勿論言わないが、これで十分旨い酒を呑んだ。

 その日の本番が良かった事は言うまでも無い。

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