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嘉義

 ここ数年、海外での仕事は無いが(昨年、上海万博のコンサートに出演依頼があったのだが、スケジュール合わず残念)、5年程前まではそこそこ海外の仕事も多かったのだ。今回は5~6年前の台湾ショートステイの話。

 クラリネット奏者の大熊ワタル氏率いるシカラムータでフェスティバル出演の為の台湾行き。だが、他のメンバーは既に台湾入りして(小編成でライヴもやったらしい)いるので一人で向かう事になる。CHINA AIRLINESのE-TICKETシステムは思いの他スムースで楽々チェックインと思いきや、ソフトケースのギターは機内持ち込み不可との事。さんざん粘るもしまいには後の便でもう一席確保しろ、と言われ、十分な梱包を条件に預ける事にした。すかさず係員がエアキャップ(梱包用のプチプチ)の束を持って来た。それをとにかく何重にもギター入りソフトケースに巻き付ける。念には念をいれて七重くらいにし、外からテープで梱包、取扱注意のシールも10枚以上はってもらった。この件はとりあえず一安心、普通のハードケースよりむしろ良いかも知れない。

 食事をしつつ、ビールを飲んだりしているうちに飛行機は台北着。降りる時に気が着いたのだが、ソフトケースのギターを持っている人が機内にいるじゃないか。強引さが足りなかったか。

 台北は四年程に小松亮太君のバンドで来ているので、空港にも見覚えがある。どうやら無事であろうギターを受け取り、少し手間取るが主催者側のVANYAさんと合流。が、ここからが長かった。大熊さんによれば空港から車で嘉義へ、と言う話だったが、VANYAさんが言うには駅まで送るので、列車で行ってくれ、との事。TRAIN?ときょとんとしていると、ごめんなさい、と言う。しかも、もうすぐ着くハンガリー人のヴァイオリニストと一緒に行ってくれ、という事だ。まあ少し時間がかかるが、昔の風情を残した台湾の鉄道もまた一興、と思ったが、ハンガリー人の乗った飛行機が遅れている事が分かる。蒋介石国際空港の第2ターミナルの小綺麗な喫茶店で時間を潰す訳だが、そこでかつて仕事で大阪に滞在したことがある運転手のJさんと片言の日本語と英語で日本の車についての話をする。1時間くらい経った頃ようやくハンガリー人のヴァイオリニスト、ゾルタン氏登場。日本人同志ではありえないような明るい挨拶を交わすと、VANYAさんは我々が迷子にならないよう一枚のメモを手渡した。中国語と英語が書いてある、要するに列車の中で下車駅がわからなかったら、また下車駅で手筈通りのタクシー運転手が見つからなかった場合に備えて、だ。駅まで向かう車中、VANYAさんとゾルタン氏はやたらに明るい。彼等の会話が半分分かったか分からないかくらいで、そしてかるく渋滞に巻き込まれながら桃園駅に到着。暑い。台北から少しだけ南の駅で、駅周辺は台北に比べると華やかさは無いが、アジアらしい活気がある。自強と呼ばれる(日本で言うと特急)列車で嘉義にむかうわけだが、所要時間は3時間半弱、しかも発車まで小1時間ある。駅前のコンビニエンスストアでビールとおにぎりを買う。駅前の活気に比べ乗車ホームはうす暗いが、列車を待つ人間は少なく無い。20:30ころようやく自強に乗り込む。思っていたより明るい車内で割と快適だが、冷房が強いか。ゾルタン氏とビールを酌み交わし、音楽の話やらブタペストの話をするが、ただでさえ英語はダメなのに酔いと疲れでほとんど言葉が出なくなり眠ってしまった。が強い冷房の所為で割とすぐ目が覚める。煙草を吸いに席を立つが車内全面禁煙。それでもうとうとしたり、車窓を眺めたりするが、思いの他停車駅も多く、乗降客も入れ代わりが激しいのであまり落ち着かない。22:00を過ぎると停車駅の外も大分閑散と見え、車内も落ち着いてきた、が3時間半弱はやはり長い。随分遠いところまで連れて行かれるような気になる。ようやく停車駅もゆびおり数えられるくらいまで来た。漢字だとわかりやすいので、その辺は認識しやすい。ゾルタン氏はあといくつだ、と聞いてくる。24:00前ようやく自強は嘉義に到着。割と大きな駅だが、古い建物そのままでエスカレーターもない。待ち合わせ側の出口に降り立った我々はやっと着いたという思いでなんだかへとへとになっていた。微妙にライトアップされた駅舎は結構荘厳だったが、その前で楽器を抱えたまま少し途方に暮れている様子のハンガリー人と日本人がいる図は後で思えば、割と面白い。そして我々は駅を背にタクシー乗り場に向かうが、背後でガタンと大きな音が響いたかと思ったら、辺りが暗くなった。駅舎の照明が落ちたのだ。なんだか、カウリスマキ映画の登場人物みたいで少し嫌な予感もしたが、幸い危惧に終わった。主催者側お抱えのタクシー運転手Mr.Keはすぐに我々を見つけてくれた。

 タクシーで宿まで行く途中、北回帰線の記念塔を見かける。ゾルタン氏が、何だ、と聞いてくる。が、北回帰線を日本語でも説明出来ないのだ。赤道がどうたらとか(だいたい赤道を英語で何と言うのか)ヘンリーミラーがどうたら、でお茶を濁す。(濁してもいないな)ゾルタン氏が一言 I KNOW。それはともかく、宿までの道すがら結構良い感じの屋台を見かけるが、車はかなりのスピードでどんどん走る。宿から一番近い屋台に目星をつけようとするが、歩いて行くのがまず無理な位遠い所に我々の宿があった。
 ようやく部屋に落ち付き、大熊さんと川口隊長を訪ねると、マッサージの最中だった。一気に日常に戻り、もらったビールを飲んで寝た。

 翌日、暑さで目が覚めるが、睡眠は十分。主催者指定のカフェで朝食をとるが、旨くない、というか不味い。どうやらここで昼食、夕食ととる様になっているが、あまり期待できそうにない。今回私は蜻蛉帰りだが、台湾での楽しみの一つは何と言っても食事なのだ。過去数度の訪台は全て台北だったが、食事はいつも美味かった。接待での高級料理もはたまた屋台もとても美味く、自分の口に合う。しかも屋台はとてもリーズナブルである。かつて台北の屋台街で相当飲み食いしたが、驚く程安かった。しかも酒は近くのコンビニエンスからの持ち込みOKだったのだ。何を食っても口に合い、薄味の台湾ビールとの相性は抜群である。うどんのようなものとアサリが特に印象に残っているが、駄目だったのは臭豆腐。匂いを我慢してまで食いたいとは思わなかった。これは一口食ってビールで流し込んだ。但し、この手のものは店に寄って味が異なる事は想像に難くない。次回、また試したいとような、試したくないような、、、。

 と言う訳で、朝食をとったばかりだったが、昨日のマッサージの揉みかえしで首がまわらない川口隊長とカフェ隣の屋台に座る。80円程の小どんぶり肉あんかけ御飯はやはり美味。その後少し打ち合わせ。部屋に戻って指ならし。腹はへってないが、昼食をとり(ロハなので結局例のカフェへ、やっぱりNG)ステージでサウンドチェック。暑い。ガススタンドで台湾ビール調達。爽やかに旨い。部屋に戻って午睡少しと再び指ならし。テレビを少し見る。夕方、夕食で例のカフェだがほとんど手をつけず。その後来た川口隊長と昼とは別の店で、小籠包等食らう。とても旨い上に安い。隊長は例のカフェで夕食券を使ってサンドイッチのテイクアウト。さすが達人。

 そして、ステージではゾルタン氏のグループ(モンゴル人の歌姫、中東系らしきパーカッションの3人)がとても優雅に奏でている。少しだけ風が涼しい。我々の出番が来る。モニターの調子が今一つ。おそらく例によってと言うか持ち味か、がちゃがちゃした演奏だったであろうが、観客もそれを望んでいたような雰囲気。アンコールもあった。私はその雰囲気に答えるべく、最後はパーカッションに専念。ステージ裏に戻り、ビールを開ける。サインにも応える。いくつかの撮影のあり。その後、大熊さんの部屋で軽く打ち上げ。隊長はまだ首まわらず。夜12:00頃少し眠くなるが、荷造り。うとうとしはじめたが深夜2:00過ぎ迎えのチャイム。運転手はまたしてもMr.Ke。関係者とメンバー達に手を振り、タクシーは嘉義の高速バス乗り場へ。バスチケットは手配しておくから、という主催者側の手筈はやはり当てにならず。国際空港までのバスチケットを買う。間もなくバスは到着し乗り込む。ルノアールのようなゆったりとしたシートですぐに眠りに落ちるが、乗り換えがあるという緊張感から夜明けとともに目が覚める。乗り換えターミナルのチョンリー到着後ロスなく接続。朝6:00頃空港に着く。チェックインもスムース、ギターも持ち込みOK。ストレスなく13:00過ぎ成田到着。

 スカイライナー喫煙席で江戸川周辺のなじみのある景色を眺め、翌日のロンサム・ストリングスのライヴ曲順を再考した。


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全文掲載ですが、試しに投げ銭にしてみます。

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