7回目のお遍路(R5.6.3夜-5日夜)

 ゴールデンウィークの連続5日間のお遍路で、ボロボロになった足と身体も、ようやく癒え、いつものように朝ランも無理なくこなせるようになったばかりなのに、今回は2日間とはいえ、相変わらずハードな歩き遍路の日々を過ごしました。

6月3日(土)夜


 5月のお遍路は毎日40~50㎞を5日間連続で歩くという、これまでで最高にハードなお遍路の日々でしたが、そのお陰で遂に「菩提の道場」愛媛県に入る事ができ、今回は前回最終となった43番明石寺最寄り駅の卯之町駅からの出発です。
 いつもように、土曜日の仕事を終え、荷物を持って京都駅へ向かいました。今回は2日間だけなので、荷物も少なく、また前回のハードな遍路で、自信も付いたからでしょうか、足取りも軽く、駅に向かいました。今回から拠点は松山駅。岡山駅で乗り換えて、夜遅く松山駅着の予定ですが、京都駅の新幹線乗り場へ着いてみると、出発掲示板には、たくさんのメッセージが出ていて、何となくいつもとは違う雰囲気です。改札付近でよく読んでみると、前日の大雨による直接の影響の他、大雨で列車の振り替えなどの顧客対応のため、全ての新幹線で1時間程度の遅れが出ていました。
 今週末、台風2号が本州へやってくるかもしれないという予報があり、場合によっては、今回の遍路は中止にしようかとも思っていたのですが、幸い、台風は本州から南へ離れた進路を取るとのことで、決行をしたのですが、まさかこんな事態になるとは思ってもいませんでした。
 私たちの場合、岡山で四国行の電車に接続しなければならず、到着時刻によっては、今日中に松山で到着することができず、予定は大幅に変わってしまうことになります。
 ホームに上がると、私達と同じような境遇の乗客であふれていましたが、幸い、電車は止まってはいないので、何でもよいので、取り敢えず到着した電車に乗る事になりました。
 ほどなく、1時間遅れののぞみが着いたので、自由席に乗ったところ、車内は満員で、座れるスペースはありません。新大阪駅で、車内が少し空いて、着席はできましたが、あまりにも混雑し過ぎていたので、会話も控え、岡山駅までは、じっと我慢の時間を過ごしました。
 そして、ほぼ予定していた時間に岡山駅へ到着、岡山駅発20:39のしおかぜ27号に、無事に乗ることができました。松山駅行きの車内は、人も少なく、車内でゆっくりお弁当を頂いた後、うとうとするうちに松山に到着。予定通り12時前にホテルに到着し、シャワーを浴びてすぐに床に就きました。


6月4日(日)

 朝4時起床。室内で簡単に朝ご飯を済ませ、5時過ぎに松山駅へ到着しました。ここからJR予讃線で、前回最終となった卯之町駅まで戻ります。5時48分発の宇和海1号は、人影もまばらで、お遍路姿の人も見かけませんでした。車窓から流れる景色は、とてものどかで癒されますが、この後、こうして戻った道のりを遍路しなければならないと思うと、やや気持ちが滅入ります。


卯之町駅


 6時46分卯之町駅に到着し、7時に国道56号線を歩き始めました。44番の大寶寺までは約78.4㎞、ここは愛媛県最大の長い遍路区間であり、今日は44㎞先の宿までをひたすら歩くだけです。約1時間30分ほど歩いたところで、鳥坂峠の長いトンネルに差し掛かりました。情報では、このトンネルには歩道が無い上に、距離も1㎞と長く、歩き遍路さんは十分注意するようにということでしたが、トンネル入り口に、安全対策で貸出用の反射板タスキが置かれていました。それでも、大きなトラックが通るたび、トンネルの壁にへばりつくようにしながら、ひやひやびくびくしながら歩き、無事にトンネルを抜けることができました。トンネルを抜けた先で、大洲市に入りました。

設置されている反射タスキ



 9時30分、ポケットパーク札掛で休憩をとり、45分に出発。大洲の市街地を通り、立派な大洲城を遠くに眺めながら、さらに進むと、八十八カ所とはまた別の、「別格」と呼ばれる霊場の一つ、十夜ヶ橋の前を通りかかったので、般若心経を唱え、納経をさせて頂きました。

橋の下でお休みのお大師像


 お昼近くになると、いよいよ陽射しも強くなり、足取りも遅くなり、途中12時20分、ローソンで小休止を取りました。
 13時、ようやく内子町へ入りました。お腹の空きもそろそろピークに達していたところで、14時、道の駅内子フレッシュパークからりという施設で、遅めのお昼ご飯を頂きました。腹ごしらえを終えて、気持ちも体もリフレッシュしたところで、12㎞ほど先の宿を目指します。この辺りで、56号線を離れ、379号線に入り、小田川という川に沿って歩きます。
 明日の朝も3時出発となる予定だったので、途中の道沿いにあった手作りパン屋さんで、明日朝のパンを調達しました。
 そして、ほぼ予定をしていた時刻17:00に、本日の宿「いかだや」さんに到着しました。今日の宿泊は、私達だけのようです。部屋へ入り、すぐにお風呂へ入り、一日の汗を流しました。

本日のお宿 いかだやさん


 18時からの夕食は、宿の方が腕をふるってくださった手作りの数々で、食前酒の梅酒も、こんにゃくも手作り、さらに天ぷら、そして、この辺りで獲れた天然鮎の塩焼き…。最後は極めつけの、ちらし寿司と温かいうどん。もうお腹ははちきれそうになりましたが、完食。最高に心のこもった食事とおもてなしでした。
 夕食後は、まだ8時にもなっていないのに、バタンキューとなりました。

6月5日(月)

 朝2時起床。まずは30㎞を歩き、44番の大寶寺さんを目指します。昨夜、あまりにもお腹が膨れてしまったので、まだお腹が空いていません。それでも、今日の行程を考えて、パンを一つ頬張って、2時40分に宿を出発しました。まだ辺りは真っ暗で、ヘッドライトを点けて歩き始めました。先月のこの時間帯は、気温も14~15℃と、まだ上着が必要でしたが、さすがに6月ともなると、半袖でも寒さは感じませんでした。

久万高原町へ


 真弓峠のトンネルを超え、5:55、久万高原町に入り、7時にそこから少し先の露峰休憩所で小休止をとりました。お寺まではもう少しです。
 国道380号線から、いよいよお寺へ向かう旧街道に入り、歩いていると、何やらモダンな建物が見えます。何だろうと近づいてみてびっくり。久万町立の久万小学校だったのです。校舎の上には、風見鶏も立っていて、非常にこだわりを持って、この校舎をデザインされたことが分かるようです。以前、東京駅前の高層ビルの一角に建てられた小学校を見たことがありましたが、それに比べて温かさが感じられる、素敵な校舎でした。

モダンな久万小学校校舎


 9時15分、昨日からひたすら遍路を続け、ようやく44番の大寶寺に到着。お参りを済ませ、10時に45番の岩屋寺に向かいました。44番の大寶寺からおよそ11㎞先にあるお寺ですが、45番に参った後は、またここまで戻ってこなければなりません。さらに、松山駅に向かうバスも、この付近から15時20分に出るので、どんなことがあっても、その時間までに往復しなければなりません。

44番大寶寺


 道中は、県道12号線をひたすら歩き、途中2カ所の峠を越す、なかなかハードな遍路でしたが、バスの時間の事もあって、ひたすら歩き続けました。そして12時23分、岩屋寺に到着したのですが、最後の何百mの激坂と260段にも及ぶ石段で、足の疲労は極度に達し、着いた時はもうへとへとの状態でした。

45番岩屋寺

 こちらの本堂は、100mにもおよぶ垂直の岩盤に覆われるようにして建っていますが、随分岩盤の劣化が進んでいるのでしょうか、落石も多いそうで、あちらこちらに注意書きが貼られていました。 お参りを済ませてお寺を出たのが、13時6分。今の疲れ方を考えると、バスの時間ギリギリかもしれません。一刻の猶予もなく、今来た道を歩き始めましたが、岩屋寺の最後の激坂で、足の筋力もほとんど使い果たしてしまったのでしょうか、特に坂道では、全くスピードが上がらず、苦しい遍路が続きました。 途中で、もうこれ以上はスピードも上げられず、バスの時間には間に合わないと判断し、44番の大寶寺の1㎞ほど手前で、地元のタクシー会社に電話を入れ、松山駅までタクシーで戻る事になりました。16時前にタクシー会社の事務所に到着し、そこからは快適なタクシーで松山駅へ向かいました。タクシーの運転手さんは、とてもお話好きな方で、楽しい会話をしているうちに、あっという間に駅に到着。16時50分でした。タクシー代金が8800円ほどだったので、1万円をお渡ししたところ、なんとお釣りが2000円。おまけに飴ちゃんを一袋も下さったのです。何というお接待!快適に運んで頂いた上、過分なお接待まで頂き、今回のお遍路もたくさんの素敵なお出会いやお接待に恵まれ、無事に終えることができたのでした。
 今回も初日、二日目ともにおよそ50㎞、合計100㎞を遍路しましたが、雨に合うことも無く、梅雨の最中ではありましたが、比較的平和な遍路となりました。


松山名物醤油めし


 電車に乗るまで少し時間があったので、車内で頂くお弁当も調達でき、お弁当を頂いた後は、充実感や安心感に包まれて、岡山、そして京都へ戻りました。次回のお遍路も楽しみです。





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