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エコー・アンド・ザ・バニーメンのウイルの自伝(3)

1977年初夏、ウイルはエリックスに行き始めますが
コックの仕事には興味が持てず。
(でも結構、真面目に勤務)
他に娯楽もないので、
エリックスで過ごすことが唯一の楽しみになっていました。
一つのクラブから、フランキー・ゴーズトゥーハリウッド、
デッド・オア・アライブ、OMD、
テアドロップ・エクスプローズ
ビック・イン・ジャパン、
そしてバニーメンがデビューするという伝説のクラブ。

バニーメンのメンバーはこの華やかな面々の中では
一見して大人しそうな存在だったのかもしれません。
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その場所のレンガやモルタルには超自然的な力があります。
若者、音楽、帰属意識、
そしてパンクというムーブメントが一つの力となって絡み合っている。
このアウトサイダーなシーンでインサイダーであることの魅力は、
自分を引き付けていました。

クラブではかっこよさのヒエラルキーがありました。
頂点にいたのは王と女王です、
ホリー・ジョンソンとリバプールのアートパンクバンド、
ビック・イン・ジャパンのジェイン・ケイシーです。
彼等はいつもかっこいいです。彼らには、
小さな常に一緒にいる友人や廷臣たちがいます。
彼等は最も創造的なメンバーでした。
ホリーとジェインは毎日彼らのイメージを変えていました。
ある夜は、ジェインとホリーはスポーティな
白い短い髪型をしており、
彼らの保険証の番号がそこにインクで書かれていました。

さらに後のデッド・オア・アライブの
ピート・バーンズもいました。
彼もまた異彩を放つファッションを
して注目を浴びていました。

1978年初頭、パンクはかなり進化していた。
バンドは、いくつかのコードとちょっとした怒り
の叫びを口ずさむことに満足していましたが、
このフォーマットには飽きています。
Wire, The Fall, Subway Sect と
Gang of four 達がフロントランナーで
彼らは今、自分たちの真のアイデンティティーを確立し、
パンク以上のものになっています。

殆どのスカーリーズ(リバプールのサッカーが好きな若者)
は全身アディダスを身に付けていました、
自分のニックネームはマンチェスターでした。
私の無骨な服のセンスのせいとマンチェスターのバンドを
好んでいたからでしょう。
The Buzzcocks とthe Fall がその中で一番好きでした。
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トニー・ウイルソン曰く、
マンチェスターのバンドは内向的で暗い、
リバプールは開放的で明るいバンドが多い傾向がある。
ということでした。
バニーメンはその中間だったのかもしれません。

1979年ごろ、バニーメンの先を走っていたのは
ジョイ・ディビジョンでした。バニーメンはJDの前座を
していました。大手レコード会社のスカウトのきっかけと
なったロンドンでのライブでも、JDが一緒でした。

(2021年MIXIより)

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