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エコー・アンド・ザ・バニーメンのウイルの自伝(4)

1978年初夏、ウイルとマックの木曜日のセッション開始
1978年11月15日(土) バンド初ライブ@エリックス
1979年5月5日、ZOOレコードから自主制作盤をリリース、
マックの誕生日でした。

こんな感じでバニーメンは形になっていくのですが、
アルバムを出してライブをし始めた時期、
ウイルはまだ仕事をしていました。
デパートの食堂で働いていたため、
休みは日曜日と木曜日でした。
70年代半ばの英国ではお店は必ず日曜日は休み、
そして週休二日制だったのです。
ウイルは定時で帰ることが出来ているので音楽を作る時間が
ありました。残業はありません。(断言)

一方、マックは失業保険(生活保護)をもらっていました。
職がないのは政府の政策と社会情勢の為なので
失業保険をもらうことにためらいはありません。(断言)

そして、レコードをリリース後、各雑誌に送ります。
ジョン・ピールのBBCのラジオ番組にも送ります。
すると全ての雑誌で今週のシングルとして選ばれ、
BBCラジオでも紹介されました。

そこには若者の手作りの音楽があるだけです。
メディアの人達は単に音源を聴き、
自分の耳で判断します。
宣伝費をもらったり、
タイアップの広告を取ることはありません。
この単純でフェアな仕組みこそ
英国の音楽産業を支えていたのです。

そしてエコー・アンド・ザ・バニーメンは
週休二日、残業なし、失業保険のお陰で
活動可能だったのです。

(宣伝費をもらってインタビューを掲載するのが
日本の雑誌、ラジオです。
テレビはタイアップばかりです。)
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僕らがジョン・ピールの番組を聴いていると、
彼はピクチャーズ・オン・マイ・ウォールをかけてくれた。
僕はほとんどある種の宗教的な恍惚感にあった。
喜びの感情が惨めな顔の表面に出てこないので、
外見からはわからない。
でも、あのジョン・ピールが番組で僕らのレコードをかけてくれた、
あの凄いBBCの番組だ。
さらに狂喜乱舞していたのが、
ピールが曲をかけた後でこう言った、
「無敵のエコー・アンド・ザ・バニーメンでした。」

誰がシングルを買っているのか気になる。
彼らは何なのか?誰なのか?
彼等はセンスのいいやつなんだろうか?
もし最もかっこよくないレコードコレクターが
このシングルを買っているとしたら?
僕は全てのレコードを、
小犬がいい家に貰われて行くように把握したかった。
これは馬鹿げている、
もちろん、
僕はビルとデイブと一緒にレコードを袋に入れていただけだった。
それは楽しい時で、すごいと感じていた。
僕らのバンドは多分大陸の中で一番かっこいいんだと思うよ。

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