バイバイ先生

大好きだった大学の先生が、他の大学へ移った。先生ご自身が見つけてきた大学で、栄転だった。

私とたった5歳しか変わらないのに、お母さんのように接してくれた先生へ、ありがとうの言葉を。

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先生のことを最初は何も思っていなかった。失礼な話、視界にすら入っていなかった。その時の私は大学に対する恨みつらみしかなく、過呼吸を起こし、お偉いさんの先生に、大嫌いと恨み節をぶつけていた。

先生と最初に話した日、その日は冬で、しんと冷たくて、これから寒くなるぞとでも言うように北風が強かった。

私は絵を描いていた。今まで生きてきた中で1番綺麗な絵が描けたと思った。これを誰かに見てもらいたくて、1番面倒を見てくれた先生を探したけれど、いなかった。

寒くて、不完全燃焼のような、やり場のない悲しさにいっぱいいっぱいになっていた時、その先生と目が合った。

座って頭をソファーの座面に持たれて寝転んでいるような姿勢の私と、先生は目線を合わせて、「どうしたの?」と言った。

何も言えずに泣いて、できたばかりの絵を先生に見せた。

「これ描いたの?嘘!?」とたくさん褒めてくれた。

ひとしきり褒めてくれた後に声が出ない私にメモ帳とペンを渡してくれ、ペースを合わせてくれながらゆっくりとお話をした。これが今から2年前。

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わたしは先生の凛々しい雰囲気が怖くて、褒めてくれたにもかかわらず、先生を避けた。約1年間。

先生は何も悪いことをしていないのに、避けられた構図になり、それがなんとも申し訳なかった。だけど先生は絶対に無理やり私の心に入ってくるような真似はしなかった。ゆっくり静かに、見守ってくれた。

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先生と再び話せるようになったのは2019年の12月である。なんの脈絡もなしに、私が先生に話しかけた。

先生は面食らった顔をしつつも私の話に笑ってくれ、たくさん励ましてくれた。

それからちょこちょこ話すようになった。先生の好きな色は水色なんだって。

悩んだ時は相談に乗ってくれ、
理不尽に負けた時は一緒に打開策を考えてくれた。

ようやく言えるようになった冗談に応じてくれ、
一緒にふざけて笑ってくれた。

楽しい話は笑ってくれ、
嬉しい時は一緒に喜んでくれた。

辛くて泣いた時、1時間も2時間もずっと抱きしめてくれた。その温かさにたくさん、守られた。

大学で話すことがド下手な私の、話すスピードを絶対に急かすことはなく、唸り声のような、だけど私にとっては意味のある言葉を、先生はひとつ残らずすくい上げてくれた。

ここでは書き尽くせないほど、たくさん守ってくれた。

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先生と話す最後の日、3月の末、先生は忙しそうに片付けをしていた。

ずっと会えないと思っていたけれど、会えたことが嬉しくて、だけど先生と離れることが寂しくて、泣いて、先生の背中に無言で抱きついた。

面倒見が良くて責任感が強い、人情を重んじるその先生は、上の先生の話を最後まで聞き、ご懐妊された先生のデスクの片付けをし、それでやっと自分のテリトリーの片付けをしたところだった。

泣いている私に一言二言言葉をかけながら、手は止めることがなく、膨大な書類の仕分けに追われていた。

大きなキャリーバッグがすぐにいっぱいになっていく。ゴミが溢れかえる。私はそれを見て「先生、行かないでよ」と呟いた。先生は手を止めることなく、そう言ってくれてありがとうと返した。

気持ちを立て直した私は、自分の作業の片付けをした後、「先生、私に手伝えることあったら言ってね」と言った。先生は無言で紙袋を放った。「これ捨てるってこと?」「そう。お願いね。」

捨てた捨てた。詰めた詰めた。先生の手にはほかの先生からもらった多くの贈り物たち。教員だけじゃない。守衛さんや事務さんに学生、他にもたくさんの。

先生はそれを大事そうに鞄に詰めつつ、かさばる箱は捨てた。

パソコンの初期化まで全て終わったのは夜10時過ぎ。疲れという疲れが全部先生にのしかかっているようで。守衛さんからもらったお魚さんを右手に抱え、左手にはキャリーバッグ、背中にはリュック、先生の3年間。

「先生、2年半ありがとうございました。」
「こちらこそありがとう。年下だけど、わたしあなたにたくさん教えてもらったよ。」
もったいない言葉、だけど嘘を言っているようには思えなかった。

バイバイ先生、また会おうね。

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