❁満たされていくまでの話❁

私の話。中高大とずっと調理部だった私の話。

調理部ってどんなことするの?
お料理だよ。おいしいもの作るの!

暇な部活でしょ?
私のところは中学と大学はかなり緩かったよ。高校は本当にガチな部活。

作ったものって友だちや家族にあげたりするの?
するよ!おすそ分けすると喜んでくれるから嬉しいの。
だけどね、高2になってようやくできたの。

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中学の時はすごくお腹が空いていて、お料理が大好きで食べることも大好きで、部活のことが大好きだったの。

だから作ったものは全部食べたいし、おいしかった。それに家に持ち帰っても親に「調理部にしてはうまい」とか言われて、

「にしては」とかそんな風に偉そうに言われるくらいなら食べてほしくなかった。私はおいしいから食べてるのに価値が下がったような気がして、それから絶対に親には渡さなかった。それで怒られてボコボコに殴られたけど私は悪くないと思う。自分が作ったものを下げられてまで食べて頂く必要はない。

当時、大嫌いなクラスメイト、事ある毎に嫌味言って授業中だろうが休み時間だろうがエンドレスで悪口言う、なのにテスト前やわからない問題があると聞いてくるクラスメイトに言われた。「○○さん、調理部で作ったものあげないの?みんな運動部でがんばってるんだよ〜」

だったら運動部入るなとしか思えなかった。それに運動部みんなに渡したとしたらいくつあっても足りない。そんなに大量に作るわけでもないしなんで嫌なことをしてくる人にあげなきゃいけないのか。

私は全部1人で食べた。お腹がずっと空いていて、食べられるものならなんでも食べた。ご飯を与えられていてもその量が成長期の私には少なすぎていつも空腹で。ちょっとでもお金があると全部食べ物につぎ込んだ。

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高校生になった。迷うことなく調理部に入った。一学年20人の大所帯。

同期と仲良くできなかった。どういう風にコミュニケーションを取ったらいいかわからなくて、だからグイグイ行くしか方法を知らなくて。

だけどね、その分、2個上の先輩がたくさん話してくれたし笑ってくれた。悩みだって聞いてくれたし勉強も教えてくれた。

たくさんの先輩に注目され、話してもらい、尊重され、笑ってくれることで満たされていったのだと思う。先輩がいたから部活はすごく楽しかった。引退しても構ってくれたし、先輩と一緒に学校に行ったこともある。引退する前、2個上が1個上の先輩に「うちらが引退したらこの子よろしくね」と話してくれていたこともあった。

先輩が引退してからの部活は同期と浮いていたからしばらくはつまらなかった。だけど1個上の先輩が話してくれるようになって、居場所を得た。否、得られた。作ってくれた。

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先輩が卒業して、2年生になった。後輩ができて、私も先輩になった。

夏休み、1年生と2人になって文化祭で売る食品の試作をすることになった。その日は私と2人の3年生の他は全員、1年生。

1年生が材料を入れ忘れて失敗した。見るからに食べられないものができた。

私は迷うことなく自分で作った試作品の、自分の取り分のもののほとんどを1年生にあげた。

食べたかった。だけど1年生にあげたいと思った。

その時、ふと中学の時のことを思い出した。あの時の私だったらあげられなかった。数個はあげられたとしてもほとんどは。

なんでだろう。ねぇなんで?

少し考えてわかった。私は満たされたのだと。先輩たちの関わりによって。

愛情の足りない人のことを比喩で「穴のあいたバケツ」と表現するのを時折見る。

その比喩の通りなら、私の穴のあいたバケツは、バケツの穴は、塞がったのだと。塞がったからそこにあった愛情を分け与えることができた。

ないものを分け与えるなんてできない。まず私を満たしてくれ。人に優しく、なんてできるわけがない。自分が足りてないのに人に分け与えるなんて無理だ。

「衣食足りて礼節を知る」この言葉を感じた。小さい頃の私は優しくなかったんじゃない。意地悪だったんじゃない。まず足りなかった。ほしかった。小さい頃の私は悪くない。

先輩だけじゃない。友だちや先生、いろいろな人が居場所をくれて高校1年生の1年間で私は人間になった。

そんなことを、文化祭を終えて思い出されました。

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