憂いて愛していこうぜ

名前が知られていたら忘れられる瞬間もなく、いま世界のどこかで誰かが思い出していて、つまりそれは生きているってことだ。

それにしても、少なくとも1人の生きている人間はingで死んでる人間のこと覚えてられなくて、忘れないといけないのが世界のルールだからわたしはそれを悲しんでいるというわけ。

「あそぼ」とか「お茶しよ」とかの約束とそれを守れなかったわたし、それから彼女の作り出した彼女の欠片ばかりが取り残されて、彼女は遠いところへびゅーんといってしまった。

薄情だと言うんでしょう、君。

死んじゃったらちょっと気付かれる程度だった、人間。愛なんて測る術はないから仕方ないじゃない。毎日思い出せないからたまに思い出していけばいいし、そして今はすこしばかりの感傷を抱きしめている。

1年くらい前まではTwitterでリプライを飛ばしあった仲だったのが嘘みたい、ツイートは6月で停止。

不可思議/wonderboyもともちゃん9さいもいなくなってしまった。6月に何の誘惑があるんだろう。

50さいになったら、なんて言っていたともちゃんは43さいでなくなってしまった、いつか、いつかは再び会えると思っていたけれど運命は当てにならないのだと知ったクリスマス。

ともちゃん9さいという人間がわたしにポエトリーリーディングを教えてくれて、七夕の夜はあの空間にいたということ。忘れないまま愛している。


誤解しないでね、わたしたち今生きている人間は、長生きをしましょう。死んだ人間を憂うこともあるけれど、生きてる人間と乾杯をしよう。

死んで売れるなんて皮肉な話だ。
生きてる人間を愛してこうぜ。


なんて、言いつつも今だけはもう、跡形もなく消えてしまったけれど確かにこの世界にいたふたりの声を、イヤホンに頼んで聴かせてもらっている。

死んでるなんて嘘みたいなホントの話。

再生している間何度だって生き返る。今そこに、わたしの隣に、君のそばに、黒猫の背中に、彼らの声は確かに在る。


会いたい人には会いに行け、言いたいことは素早く言え、わかりきったはず日常が薄めて僕らはぬるま湯を生きている、馬鹿ばっかりだ、ばかだ、ばか、ばか。

世界はもうとっくにシャッターを下ろしている。 


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