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ようやく!世田谷区手話言語条例を制定

【手話言語条例の制定】

 2022年9月、「世田谷区障害理解の促進と地域共生の実現をめざす条例」により世田谷区は、障害理解を通してインクルーシブな社会・地域共生社会を実現することを政策として位置づけました。
 その際、もう1つの条例制定が約束されていたのが、「手話言語条例」です。
 昨年12月7日、聴覚障害当事者、家族の方や手話通訳者の方々が傍聴席を埋め尽くし見守る中、「世田谷区手話言語条例」が可決されました。これまでいくつもの条例制定に関わってきましたが、こんなに切望され歓迎を受けて制定された条例はあっただろうか?と思います。

【手話を排除する歴史的事実】

 手話言語は、歴史的に迫害されてきた歴史があります。江戸時代までは「ろう者は廃人」と差別されてきました。その後、日本では明治から大正にかけてはきこえない人への教育が位置づけられ、手話言語が形成されていきましたが、1880年のミラノ決議で手話を排除する決議がろう教育国際会議にて行われました。日本では1933年に鳩山文部大臣が、ろう者への教育は口話を支持する訓示を行い、手話使用者は劣る人という価値判断の固定化と手話に対する偏見が広がりました。ろう者に対し行われる「口話教育」は、無理やり発声させる訓練などで、現在では虐待にあたるのではないか、と感じます。そのような時期を経て、2010年のろう教育国際会議においてようやく「ミラノ決議は誤りである」と決議されました。手話言語への誤った認識が改められることになったのです。
 この後、手話が言語として認識され、使用や普及が保障されるために「手話は独自の文化を持った言語である」ことを位置づける条例が必要だという運動が全国に広がりました。私は当事者の方とお話をしたり、フォーラムに出席したりしながら見識を深めることで、人権政策として条例制定が必要だとの確信を持ちました。

【誰もが自分らしく暮らせる人権尊重社会実現のために】

 手話言語条例の制定は、桜井純子政策の1つです。議論の過程では、同じ会派でも意見が違う人もいました。手話言語条例の制定を求めることに対して批判されて、翻意することを強く求められたこともありました。あれから数年経ち、その方も条例には賛成しました。
 本会議場での条例制定が可決された直後に、区議会の一室で条例制定の報告が行われました。傍聴にきていた方々に加えて、制定に関わった障害福祉部の職員の方々も駆けつけ満面の笑みで喜び合う姿は感動的でした。
 手話言語には、方言があったり若者言葉があったり、日本語などと同じように時代とともに変化をし続ける側面もある表情豊かな言語です。私は3つ4つの単語しか使えませんが、知れば知るほど奥深く味わいのある魅力的な言語だと感じています。
 みんなの居場所がある社会をつくるために必要な条例制定に関われたことは、とても貴重な経験でした。条例は制定してそれで終わりではありません。来年度以降の取り組みがいくつか報告されていますが、これからが本番です。世田谷区の人権政策としていかに前進させられるのかが問われていきます。



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