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『葬送のフリーレン』のエモさの理由と、いま支持されるわけ

『葬送のフリーレン』という作品に、多くの人が惹かれる理由がずっと気になっている。フリーレンは旅をしながら、たびたび過去の旅の記憶を思い出す。そのため「老人向けのアニメ」と揶揄されたりもする。昔を振り返るのが好きな老人をターゲットにしたので高齢化社会でヒットしている、というわけだ。でも私は、多くの人がこの作品に惹かれる、もう少し深い理由がある気がする。とにかくこの「フリーレンが思い出す場面」は妙にエモいのだ。単に「過去の記憶」がエモいのではない。この場面でそれを思い出しているフリーレンを含めてエモいのだ。でも「思い出に浸る老人」をどこかで見かけたとしてもエモくはならないだろう。ではこの「思い出すフリーレン」に対して感じるエモさの正体はなんなのか。

●思い出すこと自体のエモさ
私はふとしたときに子供のころに記憶が蘇ってくることがある。たいていどうでもいい記憶だ。例えば、小川で一緒に遊んでいた父が鯉を追い回して深みにはまり、ずぶぬれになっていた。そんな記憶がよみがえる。父親が一緒に夢中になっていたことが、なんだかとてもうれしかった。
こういう、記憶がよみがえる形の「思い出す」経験は、誰かの名前を思い出すときの「思い出す」のとはまったく別の経験だ。見たものを映像として記憶することを「映像記憶」というが、その拡張版とでもいうべきもの。映像だけではなく、そのとき感じたもの全部が「体験の記憶」として頭に格納されていて、ふとしたときにそれが再生されるような経験。そこでは「過去の感情」がリアルに感じられる。だから「くだらない記憶」でもエモいのだろう。でも、そもそも「過去の感情」が感じられるのがエモいのはなぜか。

●「過去の感情」は「今の感情」を大きく動かす
過去の自分と今の自分を、年齢や身長のようなモノサシで比較することは容易だ。一方で、過去と今の感情を内側から比較することは難しい。でも「過去の感情」がリアルに感じられたときは例外だ。そのときは比較ができる。そしてそれができたとき、私たちの「今の感情」は大きく動く(エモくなる)。「過去の感情」は間違いなく「自分の中にあった感情」なのだから、それは「感情が動ける可能性」を押し広げるからだ。感動(エモい)とはそういう「動ける可能性の拡大」に付随するものなのだろう。

●「過去に浸るフリーレン」と「過去に浸る老人」の違い
「今の感情」と「過去の感情」を同時に体感することで、私たちのなかでエモが起動する。でもそれは「過去に浸る老人」を見ても起動しない。なのに「過去を思い出すフリーレン」を見ると起動する。それが私の仮説だ。ではその違いは何か?そこに「葬送のフリーレン」という作品の魅力の正体があるのだろうと思う。
この物語は、過去をなぞる旅であり、フリーレンが「今の自分」と「昔の自分」の違いを感じるストーリーとなっている。そして、過去の旅で感じていた感情を彼女は忘れている。でもそれは「とても重要なもの」で、だからそれを思い出すことを私たちも応援したくなる。すこしずつ思い出せたときは、なんだか自分のことのようにうれしい。そういうストーリー構成と演出になっている(彼女はぜったいヒンメルのこと好きだったはず、という感情だ)。その巧みな仕掛けのために、フリーレンの感じる「今の感情と昔の感情の同時体感」に、私たちが上手く共感(共振)することができる。そのとき、私たち自身がたまに経験している「些細な思い出の再生のエモさ」が触発されて生み出されるのではないだろうか。

●均質化の時代に感動の振れ幅を確保する
この作品がこれだけ話題になるのは「今の時代にあっているから」だろう。そしてそれは、今の時代が「私たちの感情の可動域」が狭くなっていて、この作品がその可動域を広げられる数少ないポイントを突いた作品から、だろうと感じる。それはどういうことか。
今の時代にも、感動できるものはもちろんある。が、そこで感情の動く幅がとても狭くなっている。どこか「安全圏にいながらの感動」と感じられ、そういうものは私たちの息苦しさをうまく解消できない。なぜそうなってしまったのか。それは急激な世界の均質化と関係があるだろう。私たちは、自分の抱く感情と、世界中の人の抱く感情に大きな差異がない、という信仰の中にいる。それは「価値観の違いによる争い」をなくす面ではとても良いことだ。でも一方で息苦しさを生み出しているのも確かだろう。そして、この作品が描く世界は、逃げ道を使ってその閉塞感をうまく回避している。外の世界に「感情の可動域」を見つけられないのであれば、自分の中に見つける方法が残されている。「今の自分の感覚」と「過去の自分の感覚」の間にある差異の中に「大きな可動域」を発見する余地を、私たちはまだ持っているのだ。それがこの作品が私たちを惹きつける理由なのではないか。それが私のたどり着いた仮説だ。

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