DAILY BOPについて

(この記事は2021年3月に書いたものを再構成したものです)

やあ!元気かい。今度のニューアルバムDAILY BOPについて。非常に構成が良いですね。入り口から出口までの流れがわかりやすく、歌詞のコンセプトだけでなく、サウンドやリズムアレンジのメリハリもついていて、夜寝る前に通して聴くと、よく眠れます(笑)いや退屈だからという意味ではなく、いい気分になれるアルバムですね。

サウンドメイクに関して、ここまで来るともうボクの引き出しでは、アドバイスできるところは無いのだろうけど、好みの問題になるのだろうけど、前にも言った「ギター」の要素がもう少しあると、さらに良い感じになると思います。イメージとしてはこの間解散したDaft PunkのGet Luckyでナイルロジャースが弾いていたようなギター。ナイルロジャースはCHICの時代からキラキラしたカッティングでダンスミュージックを席巻した名手ですが、今の時代でも十分通用するサウンドだと思います。

あのカッティングのリフのようなものが作れるとラッキリの世界がもっと広がるんじゃないかと思います。多分ユキマル君は「シンセサイザーの音」に「こだわっている」と思うのですが、「こだわる」という言葉の意味は実はあまり良い意味ではないのは知っていますよね?! 本来の意味は「気にしなくてもいいようなことが心にかかる。気持ちがとらわれる。」という意味で、今では「妥協しない」という肯定的な意味で使われることが多いのだけど、「シンセサイザーにこだわる」と「新しいものを創りたい」という部分に制限をかけてしまうことにならないだろうか、とボクは心配しています。

「常に新しいものを創りたい」という気持ちは、非常に大事な心構えです。クリエイターである以上、常にその気持ちを忘れたら、「古いものをなぞるだけ」になってしまいます。いちおうデザイナーやライターとして40年以上クリエイティブとは何かを考えてきたボクの思っていることは、「新しいこと=プログレッシブ(前衛的)」ではないということです。職業としてのデザイナーやPOPを創るプロのミュージシャンは、「前衛」ではやっていけません。プロというのは「人々が求めているものを創る」のが仕事です。

つまり「新しいと感じるような古臭いものを創る」ことも必要だということです。「退屈で死にそうなもの」もプロであれば、それを「選択する戦略」があって当然なのです。「ポップ・ミュージックは芸術的な性質よりも技術的な質の良さに重点が置かれ、特定のサブカルチャーやイデオロギーに依拠せず全ての人にアピールすることを目的に音楽が設計されている(Simon Frith)」であって、決して「前衛」ではないのです。デザイナーであれば、円という図形はもう使い古されて「退屈で死にそうな形」ではありますが、それを超える図形を発明することは困難です。

なぜなら「円」は世界中の誰もが「美しい」と感じる力があるからです。それは「どうしてなのだろう」と考えることは必要ですが「オレは自分の作ったものの方が美しいと思う」といってもほとんど評価されないのが現実です。ボクは「プロ」として、円を堂々と使います。ボクの尊敬するミュージシャンの「佐野元春」は「本当にプログレッシブなものは、POPの中からこそ生まれると信じている」というようなことを言っています。彼の初期の詩作は、今でも刺激になると思うので、ぜひ一度読んでみてほしい。ロックは不良の音楽とされた当時「ポジティブ」というキーワードを日本のロックシーンに持ち込んだのも彼です。

詩作の話。ユキマル君の詩作は、初期の頃から比べると段違いに良くなっていると思います。物凄く時間をかけて考えているのだと思いますよ。それは自分も40年以上考え続けているオリジナル曲があって、言葉の持つリズムとリアリティがメロディラインとシンクロして、それがぴったり嵌まった曲は鳥肌が立つレベルになることを知っているからです。「春はもうすぐそこ」の2番はまさにそんな感じでしょう。この曲は名曲ですよ。この部分をもっと伸ばすことです。

まあ、少しだけ気になるところは、ずっとそうなんだけど、やや「説教臭い」部分があることです。ユキマル君もボクもやや「上から目線」になるというか、「こうすればいいじゃん」「これはダメだよ」「うるさい奴らは無視しろ」という感じで、それはメッセージとしては「直接的で強い」のですが、「普遍的な奥の深さがあるか」というとどうなのかな?! まあ、そこもよく考えて言っているのだろうけど、少し気を付けてほしいところだね。なるべく敵を作らないのもプロとしては大事ですよ。

周りの人やファンの人から「凄く良い」とか「天才」とか言われていい気分になると思います。ユキマル君はボクから見ても「凄い」と思うけど、自分では本当はどうなの?! ボクは「いつも自分は本物じゃない」という気持ちで仕事をしてきました。芸術系の学校もデザイン学校も行ったことないし、正式な教育を受けてデザイナーになったわけじゃない。常に「自分は才能もない、なんちゃってなんだから、そういう人に勝つためには、頭で考えるしかない」という気持ちでやってます。

twitterでは、著名な人がいろいろ言われておかしくなっていく人が良くいて、「罵倒が累積しておかしくなる人もいるが、賞賛や共感が集まりやすい言説に浸かっている人の方が、狂気に染まるリスクははるかに高い。」といわれています。ユキマル君がこれから活躍するにしたがって、自分を等身大に見ることは、だんだん難しくなります。ボクの立場から見て「凄い」けど、客観的に見れば「まだまだ」です。それはキミはわかっていると思うけど、メンバーを絶対に大切に。自分を支えてくれる人たちは、なににも代えがたい宝物です。

最後に。野音の最後に、ステージに座って「スマホ出して、こちらを照らしてもらいませんか?!」のシーン。多分一生忘れない光景になったと思います。そんな経験をできる人は世の中にそうはいないよ。うらやましいね。じゃあ、またね。がんばれ。

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