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どうしても許せないときってない?

小中学生のとき、誰でも先生から

「謝ったんだし許してあげなさい」

みたいなことを言われたことはないだろうか。心がひねくれているからか、私は謝っても許せないことはある。そして、どうして被害者側に負った傷のほうが大きいはずなのに「ごめんなさい」の一言で済んでしまうのかが未だに納得ができないのだ。

頭の良かった隣の席の子

あるとき、私の席の隣の子は学年でもトップな成績優秀な子だった。道徳の授業を受けていると、ある話を読んで「どう思ったか」書くことになった。

確かその話は、主人公は友達かクラスメートにモノを壊されてしまう話。その壊されたモノは大切にしていたものだったのだけれども、モノを壊してしまった人は謝ってきた。その場合はどうするべきなのかを考える題材だったのを覚えている。

正直私は完璧に許せないんじゃないかな、って思った。

でも、「書いたほうがいい答え」というものが国語に限らず道徳にもある。他のクラスメートにこの答えを見せたらきっと「えー」と言われてしまうだろうし、自分の考えは出さずに

「許す」

とノートに書いておいた。

書き終えた私はぼーっとしていたら、その子は「許せないし私だったら恨む。でもこんなこと書いたらダメだもんね」って悪戯っ子のように笑って、私のノートに書いたように「許す」と書いていた。

頭がよくて、周りの子からすごくいい子ーって言われていても、そう思う時ってあるよなあって思っちゃったし、なんとなく自分と同じようなことを考えていて少しホッとしたのだ。

許せないときは仕方ない

許せないときがあってもそれを自分自身を責める必要なんてないんだと思う。正直、自分に非がなくて相手がやってきただけなら尚更。

「ごめんなさいで済んだら警察なんていらない」

そうなのだ。ごめんなさいで済むことなんて少ないんだと思う。ましてや人の心を傷つけたら、謝っても消えることなんてほとんどないし完全に消すなんて一生かけても難しいだろう。そんなことを謝って許すほうが凄いと思ってしまう。

もしも「謝ったら許すことが普通」って思っていて悩んでいる人がいたら伝わってくれれば嬉しいなあって思いながら書きました。もちろん、許すことも必要かもしれないけれど、許せないなら素直に許さなくてもいいんじゃないかなあって。


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