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静岡のダムパリを描く。


実は
私は、

ダムパリについて深く知らない

羽生くんがダムパリを滑っていた頃は
羽生くんの存在を名前だけしか知らなかったし、

羽生くんを好きになってからも、
私はそんなに沢山、ダムパリを観ていなかった

ファンなのに、何故かって?
。。なんでだろ。。汗

私は羽生くんのことめちゃくちゃ大好きだけど
だからといって、
羽生くんの記録全てを見てる訳ではないんだな


情報を少しずつしか心に入れられないので、
今も、知らない羽生結弦は沢山いると思う



ファンタジー静岡最終日
それは、アンコールで披露された

どんな気持ちの歌が歌われているのか
分からないまま
スマホで観る、アンコールのダムパリ

羽生くんの動きと、
声の響き、音の響きだけを頼りに、心澄ます

羽生くんが、歌に引き寄せられて行く
その歌の中に何かを見つけたのか
見つめるその瞳は、
とても遠くのものを見ている様で


その目が見つめるものは

光なのか
愛なのか
悲しみなのか
哀れみなのか

微笑みの様なその表情が
少し胸に痛いのは、何故

降り注ぐ歌の中から
何かを
そっと
その手の中に

そして胸へと

この存在は
それと共に
進もうと決めたのか


横に腕を切る形が
何か、扉を開いたような映像に観えた

その後、縦に腕を動かす
その足元の下が、とても遠くに感じた

両腕を伸ばした姿が、十字架に観えた

そして、リンクへと羽ばたく

身を、投げた様にも見え

天高く 

飛び立った様にも見えた

そこから
羽生くんのスケートを観ていると

その姿がその場の空気に
溶け込んでしまうのではないかと思うくらい

透明になっていった、、
なっていったように、観えた

そして最後
天に高く手を伸ばし、仰ぐ姿に

光に溶け込んだ羽生くんを観た



振付は競技プロのダムパリと全く同じなんだろうか?
全っ然印象が違うことに驚いてる

ダムパリ、羽生くんは以前
結構複雑な話、という様なことを言っていた様な、、
気のせいだったらごめん汗

歌があるということは、
ミュージカルやオペラなのかな?
ごめん本当に何の知識もなくて汗

どんな話なんだろう。。
複雑、というのは、
人間関係のことなのかな
物語の構造自体なのかな

この静岡ダムパリを観て、
私はトーマの心臓を思い出してた

トーマがその身を捧げた姿
エーリクが自分の羽根をあげる姿
ユーリが全ての意味に気付いた姿
そして、見守り続けたオスカーの姿。。

そんな、
何か、全てが繋がって、分かって、昇華されていく感覚



ここ数年の羽生くんのスケートは
もうフィギュアスケートのカテゴリを飛び越えてる

その姿の向こうに広大な物語が観える
時代も変わる
空気も変わる
脳裏に映像が映し出される
感情が流れ込んでくる



羽生くんのスケート、、

羽生くんのフィギュアスケートが、

羽生結弦のフィギュアスケートが、大好きだーーー!!!



ごめん私、突然叫ぶから気を付けて、、_:(´ཀ`」 ∠):


最近の羽生くんが
自分のスケートを話す際
必ず「羽生結弦の」と付けることに、
深く納得するんだ

だって、羽生くんのスケートはもう
フィギュアスケートという言葉で想像できる範囲を
とうに超えているんだもの

羽生結弦の、フィギュアスケート

この呼び方が
しっくり来る

羽生くんにしか滑ることの出来ないスケート


もっと観たい
もっと観ていたい

羽生くん
スケート滑り続けてくれて
本当にありがとう

ゆっくり身体と心、労ってね





聴こえてくる、歌に導かれて
手を伸ばす羽生くんを描いた



ここを絵にしたい、マンガにしたい、って
思うところが幾つもあって

でも、描くのを躊躇ってた


過去の記憶とか、想いに引っ張られてたな
人の言った言葉、受け取ったメッセージ、、
心を縛るものは、もう捨てて行って良いよ


私にとっての絵を描く、羽生くんを描くことって、
その衝動の大元は人に見てもらう為じゃないのに
いつの間にか
人に受け入れてもらいたい気持ちで描いてたかも

自分の気持ちより、
人の求める羽生くんを
描こうとしてたかもしれない


私は私の観た羽生くんを描きたい
私の記憶に近づきたい近づけたい
その為にスケッチする、絵を描く


羽生くんを、描く



今日は45分かかっちゃったよ汗
でもそれだけ集中できたってことだ、良き良き



読んでくれてありがとう
おやすみなさい☆彡




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