これからの人生でやりたいことと、長男を産んだ日のこと

前回投稿した記事からもう一か月以上経ってしまって、気が付いたらあら6月…
やっぱり私は、SNSの投稿を続けるとか、ブログ続けるとか、苦手なんだなぁとつくづく思ってしまった。
もうね、とりあえず母親というのは日々忙しい。加えて5月からちょこちょこ仕事を始めたもので、さらに忙しくなっている。
でもポッと自由時間ができると、つい私はたまっている録画ドラマを1.5倍速で見ながらおやつを食べるのが幸せタイムで、note書くのではなくそっちにいく。ヨガが好きなのでここぞとばかりにヨガをはじめて、ふ~身体整えたのにスマホなんて見ないぞ~と思う。
そんなこんなで記事投稿しないまま一か月経過して、反省し、でもなかなかnote開かないまま日が経過。
でも今日こそは書くぞ!と思ったのは、「40歳を目前にしてみつけてしまった今後の人生でやりたいこと」の第一歩が今日だったから。
私の「今後の人生でやりたいこと」をやるためには、資格をとらないといけなくて、その資格をとるためのプレ講座を今日受けた。
代表の方のお話を聞いて、改めて、やりたい!と思ったし、私の天職になるはず、と、なぜだか思えてしまうので、やはり頑張りたい。

以前の記事で、私の育児はけっこうハードモードだ、みたいなことを書いたのだけれど、もちろん私より大変な思いをしている人はたくさんいるし、育児の大変さでマウントとるつもりは全くない。私の記事を読んでくださる方が気分を害されないといいなと思いながら自分のこれまでの経験を書いていく。
まず長男。この子はASDと軽度知的障害がある。
産まれてすぐ、身体に先天性の異常があることが分かり、0歳4か月のときに形成手術を受けた。その手術は成功していまは経過観察のみだけど、あとからあとから「あれ?なんかフツーの子とちょっと違う?」みたいなことがいっぱい出てきて、ASDの診断につながった。
ときはさかのぼり、私にとって初めての出産。里帰りで、総合病院(分娩費用が安いし実家から近い)で産むことにした。
陣痛というものがまったくわからなくて、おやこれは陣痛じゃないか?と思ってイソイソ病院にいくと「あ~これまだまだだね~。今日は家帰ったほうがいいよ」と言われる。それを二回やった。痛いから来たのに、帰される。
総合病院だから緊急に備える必要があって、お産待ちの妊婦にベッドを使われたくないし、リラックスできる家でお産を進ませたほうがいいですよ~って論理なんだろうけど。
でもこちらは初産。とにかく不安だしわからない。陣痛らしきものがきたらどのタイミングで病院に行けばいいかと先生に聞いたら、「そうね~。しゃべれないくらい痛くなったら、かな(笑)」と言われたのは10年以上経ったいまでも忘れない。
それで、ほんとにしゃべれなくなるくらいの陣痛がきてから行ったら助産師さんに「なんでここまで我慢したの!」とめちゃくちゃ怒られた。もうすぐそこ(穴)まで赤ちゃんは下りてきてた。
もちろん歩けなくて、救急の入り口から車いすに乗せられて、助産師さんは走っていた。そこからはめちゃくちゃお産の進みも早くて、分娩台のって2時間くらいで長男爆誕。
産まれた~と思ったらそそくさと別室に連れていかれて、「はれ?」と思っていたら、「赤ちゃん、こんなかんじになってるけど、手術できれいに治るからね。大丈夫」って、助産師さんが連れてきてくれた。
なにがなんだかわからないけど、ちょっとした奇形をもって生まれてきた長男は、すごくかわいかった。そしてすごく小さくて、低血糖もあったからそのままNICUに連れていかれた。
同室のほかのお母さんたちは新生児と一緒にいるのに、私だけベッドにひとりで。
わけわからないけどとりあえず出産が終わってほっとした気持ちと、なんでなにも異常なく産んであげられなかったんだろうって気持ちと。いま思うとすでに産後鬱みたいな状態に私はなっていて、お産が終わった真夜中、ひとり大泣きしていた。
そのころの私は会社員で、産休に入る日まで毎日めちゃくちゃ残業していて、満員電車で1時間通勤していて、妊娠中ものすごいストレスを抱えていたから、ああたぶんこうなったのは自分のせいだなって、思った。
あのとき、ナースコール押しておけばよかったな。話を聞いてほしかった。出産がんばったね、赤ちゃん頑張ってたよ、お母さんのせいじゃないよ。大丈夫だよって、言ってもらえていたら、あんなに辛い思いを抱えることはなかったような気が、する。

長男のこれまでの生い立ちを書こうと思ったら、出産日の思い出だけでこんなに長くなってしまった…
今日はひとまずここまで。