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短編小説

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これまでに書いた短編小説をまとめています。
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#ファンタジー小説部門

掌編小説|灰色の街

錆びれた街に「地獄」と呼ばれる 工場があった。 その工場はあまりに大きく 曇りの日には頭が雲で隠れた。 いつもどすん、どすんという 鈍い音が響き渡り 煙は勢いよく空へ上った。 その工場の周りには高い塀があり 中の様子を近くで見ることができない。 唯一、塀からはみ出た建物の頭上部分を 遠くから眺めるだけだった。 工場は昼夜動いていたが、 人が出入りするところを 一度も見たことがない。 建物の周りを今にも朽ちそうな 細い階段がぐるりと巡っていたが、 その階段を上る者も

ショートショート | 彼岸花

そこは不気味な世界だった。 生温い風が吹いていて、その中には少しかび臭い匂いが含まれている。 風が通るときの音はまるで誰かの呻き声のようだ。 広い空間が広がっているその足元には、四角く整えられた黒い大理石が敷き詰められている。 崩れかけたブロンズの像を一つ、また一つと過ぎていくと、遠くからピアノの音が聞こえてきた。 ヴィーナスを彷彿とさせる女性がピアノを弾いている。 彼女は白い絹のドレスを一枚まとっているだけだった。 僕が近づいてくるのがわかったのか、隣に座ると

ショートショート | 悪魔

天使は、木枯しの森で初めて悪魔を見ました。 枯れ葉が舞う その森には小さな噴水があり、 悪魔はその水を飲んでいたのです。 それぞれの務めは大きく異なりますから、 天使と悪魔が接触することはほとんどありません。 接触が禁じられていたわけではないものの、 住む世界が違う天使と悪魔はお互いの存在を 認め尊重し合いつつも、 交わる必要がなかったのです。 初めて見る悪魔の羽は優雅に大きく、 静かにも圧倒的な存在感を放っていました。 これまで悪魔の存在にあまり意識を向けることが

ショートショート|白い天使

もう人間が住まなくなったその星に、 一人の天使が降り立ちました。 緑で生い茂った森に入ると、 そこには小さな池があります。 人間たちが愛の言葉でささやき合い、 一生を共にすることを誓った場所です。 天使は池のそばに腰かけると、 人間たちの言葉を真似して言いました。 「好きだよ。」 「愛しているよ。」 「僕と結婚してください。」と。 真似して言っては頬が赤くなりましたが、 天使は続けてこう言いました。 「はい、お願いします。」と。 池の水は冷たくて、白い天使の

短編小説 | 月が話した物語

山にのぼったんだよ。 そしたらね、月が大きく出ていたんだ。 あの月は、僕がそこにいることを知っているような風だった。 じーっと僕のことを見ているんだ。 「やっと来たのか。久しぶりじゃないか。」 と言わんばかりにね。 僕はそこで腰を下ろしてみたよ。 大きな月がそこにあるんだ。 そこを通り過ぎるわけにはいかないだろう。 ぼーっとその月を見ていたらね、少しずつ声が聞こえてきたんだ。 あれは多分、月の声だと思うよ。 「僕のことをじっと見ているのは今、君だけだよ」