「なんとなくこの人私の事嫌いだろうな」はあんまり信用できないと思った話


先日、急にとある先生から

「あなたは食らいつこうという気合いが感じられるので私は好きですよ」

と言われた。
驚きすぎて「ぅえっ?!」と言語にもなっていない音声が口から出ていた。

私はずっとその先生から嫌われていると思っていた。

挨拶をしても会釈をされるか低い声で返される、何も帰ってこない時もある。
会話も授業中だけ、その会話もほとんどが指摘なので一方的にこちらが受け取る形。

次第に「他の人にはもっと楽しそうに教えてるな」、とか「他の人にはちゃんと返事してるんだな」とか、マイナスの要素ばかりが心のフックに引っかかっていく。

そんな気持ちからいつの間にか私はこの先生に嫌われているんだ、と思い怯えていた。

ある程度仕方のないところもあると思う。
コロナ禍になってマスクをした状態でしか会話をしないから、声のトーンと目元、あったとして多少の身振りくらいからしか相手の感情を読み取れない。

声のトーンが低くても今ニコッとしてくれたな、とわかる時代であればこんなふうに思わなかったかもしれない。コロナというものは本当にいろんな場面で障壁になる。
今の小学生は表情が見えない中でどのように親しい友人を作っているのだろう。

私が「嫌われているかもしれない」と思い様子を伺っているのを察してか、完全に無意識だかわからないが、わざわざ言葉にして伝えてくれた先生には感謝しかない。無駄に作っていた壁をあっさり壊してくれた。

同時に私はなんて無駄な壁を作っていたんだろう、と馬鹿馬鹿しくなった。
「嫌われているかもしれない」なんて心配は案外当たらないし、無駄な障壁にしかならない。

今度また「嫌われているかもしれない」と感じる時が来たら、自分がせっせと壁を建てている様子をイメージしてみようと思う。どんどん視野が狭くなるその壁はさぞ無益なものに見えるだろうな。





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