小説×詩『藝術創造旋律の洪水』[chapter:≪ハルの章②≫【HERO】ーストックホルム症候群編―第8話]

—ストックホルム症候群

やせ細り全身に青あざ、打撲だらけ、眼帯に包帯が巻かれた小さな少女がか細い声でハルにいう。
「…たすけて」
今から約1時間前に、ハルは児童虐待施設嘱託医として児童福祉施設と警察から連絡を受け、普段着に着替えるとすぐに現場に向かった。
向かった先のアパートの中はごみ屋敷とかっし、生後まもないと思しき赤子の傍でがりがりにやせ細った少女がか細い声で、ねんねんころり と泣き叫ぶ力も失い衰弱しきった赤子をあやすようにして無数のハエがたかるごみの上に座り込んでいた。

ハルが女の子と赤子を抱き寄せるようにして保護をする。

「おかあさん いえ でていっちゃった」
殴られたのか肋骨部位と眼窩部が陥没骨折し、皮膚は赤くただれており頭髪にはウジがわいている。まだ初潮も迎えていないのに少女の身体の大事な部分にはペットボトルが挿入され、傷口から流血した血だまりは黒く変色している。
ハルは涙を流すまいと歯を食いしばり二人をシェルターへと速やかに移動させ、救急処置を行う。
ハルはいつも被虐待児を保護するときは自分が母親だと幼き子たちに接する。

生後まもない赤子はおそらく望まない妊娠によって、実の母親に殺されかけようとした運命にあったのだろう。今、日本ではこの望まない妊娠で破水してから公衆トイレや自宅で産んだこどもを殺し、遺棄するケースが二週間に少なくとも1例という異常な速さで増加している。
そして望まない妊娠によって産まれた赤子を遺棄しないようにとNPO法人が人身売買のような売り文句で、不妊治療でなかなか赤子を授かれない夫婦へとネットで我が子ショッピングが行われているのも事実である。

ギネの女医ミカから連絡が入る。
「ハル、またよ…小学生の女の子のカイザー。今から母体の方を優先してオペをはじめる。」
ハルはしばらく無言のあと
「…ん。そっか…またその女の子の心のケアと転校のことに関しては折り返し連絡する。オペ、がんばって」
ハルは大きくふぅと肺から息を吐きだす。

今、日本での性的虐待、性的暴行の9割以上が家庭内と学校という密室で起きる。

ストックホルム症候群だわ…

ハルは何年前からだろうか、インターネットの普及とともに共働きによる夫婦喧嘩から家庭内の中でのこころの寂しさを埋め合わせるようにまだ幼い少女たちが望まない妊娠によって、カイザー(帝王切開)するケースが爆発的に増加している。
妊娠してしまった小中学生の家庭は転校を義務付けられており、心の傷跡は一生消えないものとなる。
また、実の父親から過酷な性暴行と恐怖下での言葉の暴力による精神的暴行を受け、そういうケースの母親は父親のDV被害者であることが多いため、母娘で父親のやっていることを守ろうとする行為に転じてしまうのである。
虐待には
①肉体的虐待
②精神的虐待
③性的虐待
④経済的虐待
⑤居場所からの隔離
等の種類がある。
家庭という密閉された空間、一番長く居なければならない空間、虐待を受けた子どもたちが生き延びるためには、加害者である親を受容してしまい、本来ならば憎悪という感情に転するものが、一番愛されたい対象である親への愛情を絶望の中でも藁をつかむ思いで好きという感情に転じてしまうのでる。
これは共依存という言葉でも表現できるが、最近はストックホルム症候群が爆発的に増えている。
これは家庭という場に限らず、ある特定の集団で閉じられた空間、つまり職場の上下関係のいじめの被害者が職場でやり過ごすために加害者側を守ったり、愛情に相似した感情を抱くことでその場にいることをなんとか精神を保っているのもこれに入る。特に吊り橋理論という過酷な現場の業務を強いられ共有せざるを得ない職種にはこのストックホルム症候群と代理ミュンヘンハウゼン症候群、リマ症候群等の関係性がみられる。
身体が大きくなった大人にとっては小さなことでも、身体がまだまだ小さいこどもたちにとってはこの世界で起きることはすべて大人の何百倍も大きく、恐れ多いものなのだ。
こわいことがあっても、一番言い出せないこと。それは性的なことにまきこまれたときだ。
今もこの国のどこかで恐怖に震え、硬直し、心の奥に鍵をかけて記憶を凍らせようと必死なこどもの声なき声に耳をかたむけてほしい。
ハルの願いは神【ツキ】に届くだろうか。


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