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第35話≪ハルの章⑥≫【HERO】ーハルの秘密の実験基地ー

親指
人差し指
中指
薬指
小指

「手の指のうちの中の3本は親と子に挟まれてるんだね。」

ラベンダーとローズセラ二ウム、カモミール、ティートゥリー、サランウッドなどをブレンドしたアロマの蒸気で吐く息のように結露で白い黒板になった窓辺に、きゅっきゅっきゅっと音を鳴らしながら額に日本の平安期の麻呂のような黒い紋章の入った8っつの尻尾の三毛猫姿のミケは柔らかい濡れながら肉球で器用に書く。
ハルの部屋はまるで四季を彩る多様な植物を鑑賞できる『日本植物分類学の父』である牧野富太郎ゆかりの高知県にある高知県立牧野植物園のようだ。日本初の新種『ヤマトグサ』も金木犀と白花藪椿が葉緑体で呼吸をしつつ、光合成をのびのびしている。

ぽこぽこ っと何かの植物をフラスコで温め、蒸留させる機器、電子顕微鏡に光学顕微鏡、それからウェスタンブロッティング装置、サザンブロッティング装置、ERAISA装置、ゲノム解析装置、クリーンベンチには何かを培養するための8×12の96穴プレートには段階希釈されたハル自身の眼の角膜細胞を培養したものに、植物のエキスを混入させて、毒性試験を行っている途中の模様がみられている。
ハルはふぅっと深呼吸するとハーブの一種のメグスリノキとレモンバーム、ジンジャーなどを湯で抽出し、それにブルーベリーから抽出したアントシアンを配合したハーブティーを桜色のポットから、ドイツのグリム兄弟が教鞭を執ったメルヘン街道で買った猫の絵が描かれたコップに注ぎ、一息つく。

それから『一人の青年の歌声』を部屋に流す。
皿にはさっと作ったザクセン風ポテトスープ。ポトフのようなものに似ているドイツベルリンの名物料理であるポタージュだ。
ミケはベルリン名物の郷土料理、骨付きの豚足を煮込んだ豪快なアイスバインを美味しそうに頬張る。


ここはドイツ、藝術と文化の都と呼ばれる『百塔の都』と謳われるドレスデンにあるハル専用の実験室兼宿舎である。ICE特急でライプツィヒから2時間20分、フランクフルトから約4時間20分の場所である。ドイツでは東にあたる場所である。
中東アジアやテロなどで難民の波がEU連邦に押し寄せ、安心して居住でき実験に専念できる場所としてハルはドイツのあちこちに仮屋と題してこのような不思議な居場所を持っている。もちろんグリム兄弟のこどもから大人まで楽しめるメルヘン街道の近くの30人以上ノーベル賞受賞者を輩出したゲッティンゲン大学にもハルは顔見知りだらけである。ゲッティンゲン大学の近くにあるハーナウ州はフランクフルトのベッドタウンの役割も果たしているため、意外に近代的で大きな都市という印象である。フランクフルトからICE特急で約1時間でつけるマールブルクはメルヘン街道の中の坂道の街である。

グリム兄弟やかの哲学者ハイデッガーも通った名門通ったマールブルク大学があり、学生たちが行き交う学生街もあり、市庁舎はグリム童話に出てきそうな外観で、『こころはこども、頭脳は大人で勉強は遊んでするもの』のような知的好奇心をインスパイアされる場所である。


さてさてと。

ハルはベッドの方に静かに寄ってみると…

いつもハルが寝ているベッドには、最悪の鬼、ロキによる攻撃から一命をとりとめたカイχが長い眠りから目覚め、ここは何処だときょろきょろしていた。
「目が覚めた…?気持ち悪いとか吐き気はない?」

一応カイをびっくりさせないように白衣を着て対応する。

「…か…あ…さ…ん」

呟きながらカイは目をごしごし擦り、ベッドの横の自分と同い年くらいの女性をボーーーっとみつめ、それから
「‼‼えっ‼ここどこ‼‼」
と焦り出す。

「ここは医務室。保健室みたいな場所よ。」
カイの不安を煽らないように言葉を選びながらハルはカイに言う。

カイはとりあえず記憶が飛んでいるが、自分は自宅に戻り、そこから不気味な場所になぜかいて、そこからの記憶がずっぽり抜け落ちている。あ、そういえば過呼吸発作みたいになったとき目の前の女性が僕を救助してくれたみたいなのはなんとなく覚えている。

解離性同一障害。
日本では二重人格とか多重人格という言葉の方が、認知されているようだが、幼少期に耐えがたい経験(主に親からの性的虐待や暴行)をすると、自己防衛のために幼き子はもう一つの『人格』というものを作り、親から虐待されているときや、学校で悲惨ないじめを受けているときはその『人格』が飛び出し、本体となる『人格』を守るというものである。解離性同一障害と診断されるのにDSM分類で特徴的なのは、人格が交替するときそのときの別の人格が経験しているときの経験は、ほかの人格は知らないということである。脳内で複数の人格が議論しあって共有する症例もあるが、ほとんどの場合、別の人格が交替しているときの記憶がないというのが大きな診断基準となる。文献によると、『忘れた』ではなく『時間が断続的だ』というのが特徴らしい。男っぽい女性、女っぽい女性というのは単にテストステロンという男性ホルモンや女性ホルモン、胎児期に浴びたアンドロゲンというホルモンの関係であり、解離性同一障害とはまったく別物である。また、あの人はまるで顔がいくつもあるといわれる人間でも、記憶が途切れていない場合は解離性同一障害に入らない。しかし、別の人格を創り出さなくても、凄まじいストレスにさらされていると人の脳は自己防衛として『乖離(かいり)』と呼ばれる現象を引き出す。これはそのトラウマになるものをフラッシュバックなどしたとき、言葉に表現しがたい激痛とともに自身の身体から本当に別の自分が飛び出しそうな感覚になる。しかし、この場合、記憶は繋がっているので解離性同一障害には入らない。これは心身症などに繋がる。

話がやや専門的な方向へそれたが、また読者はハルとカイ、そして、それを見ぬふりしてしっかり監視しているミケの話に戻ろうしよう。

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