愛情主義を貫いて果たしたインド独立
(アメーバブログで削除された記事を再度掲載します)
先の大戦は、
アメリカが1897年から立ててきたオレンジ計画、即ち
『日本殲滅 & 侵略計画』(1897-1945年8回改定)に副って
アメリカが引き起こした戦争です。
真珠湾攻撃より遥か前からアメリカは日本に対し、
宣戦布告無しに戦争行為を仕掛けていました。
我が国はそれに対し、大東亜の解放という大義を以て立ち上がり、そして戦争目的を果たしました。
東京裁判で、本来裁かれるべき国は日本ではありません。
日本の戦いは、例えばインドに於いて
ラダクリシュナン大統領が次のように述べておられます。
インドでは藤原岩市陸軍少佐のF機関が健闘しました。
藤原岩市陸軍少佐の「皇道に謀略なし。誠心あるのみ」とは
相手を騙したり、色々な戦略を駆使するより
「誠心誠意と相手への尊敬の気持ちを持って一緒にやるのだ」
ということを実践した方だそうです。
日本がマレー半島を攻撃して、シンガポールを陥落させた後に、5万人ほどのインド兵が捕虜になりました。
彼らをシンガポールのファラパークという公園に集めて、
藤原さんは上に記したような話をしました。
それでインド人の捕虜たちの多くは感銘を受け、
そこで
「われわれは日本と一緒にイギリスと戦う」と決意し
インド国民軍ができたそうです。
彼は謀略的な、利得的な、短期的な工作というのは長続きしないと考えました。
真実一路、誠心誠意で相手に接して、初めて成功すると言うのです。
藤原少佐は「藤原」のFを取って、F機関を造り、その信念を実行しました。それがインドの独立に繋がったとされています。
彼は部下にこう言いました
「敵味方を超越した広大な陛下の御仁慈、天皇陛下のお気持ちを拝察して
これを戦地の住民と敵、特に捕虜に身をもって伝えなければならない。
そして、敵にも住民にも大御心を感銘させ、
日本軍と協力して、新しい友情と平和の基礎を打ち立てなければならない」と。
イエスは「汝の敵をも愛せ」と言われました。
藤原少佐もこの精神を実行したのです。
藤原少佐は
「我々はこの精神を敵の中に広め、
味方を敵の中につくらなければいけない」
「日本の戦いは現地にいる人々と捕虜を本当の意味で自由に、幸せにして、
そして民族の念願である『独立』を達成させる
正義の戦いである」と。
「それを相手に理解させて、一緒に共鳴してもらわなければいけない。」
この精神を戦場で実践したのが、藤原岩市少佐です。
東京裁判ではインド代表のラダ・ビノード・パール 判事は
ただ一人『日本無罪論』を主張して下さいました。
真実一路、誠心誠意、特攻精神で、
日本の主権を取り戻し
出アメリカしましょう。