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あなたがいなかったら、と思うと本当に…ー森田ひかる生誕祭 毎日note #71 櫻坂な水曜日 2024年7月10日付

初めて、彼女を生で見たのは、2019年4月の「欅坂46二期生おもてなし会」でした。
座席としてはかなり前方。4列目。

「近すぎて気持ち悪い」とか、今から考えるとふざけたこと書いてますが笑
それはともかく、そのときからパフォーマンスに目が入ったのは彼女でした。

事前にちゃんと推しタオルも買っていて、しかも森田ひかるタオルだったことが驚きです。自分でも。

そのダンススキルの高さは、最初から目を見張るものがありました。もちろん私はダンスに関して素人中の素人で、専門的なことなど何もわからない。それこそ伝わってくるものだけで評価するにすぎないですが、それでもやはり、この子が欅坂に入った理由がなんとなくわかった気がしたものでした。

上記ブログにも書きましたが、その後初のお見送り時。
言ってしまえば、出口のところにみんなが立ってその前を私たちが通り過ぎるだけなのですが、そのときに今で言うレスが欲しいから一瞬でいろんなことをする。私も推しタオルを彼女の前でひらつかせて指差しをもらった、ということがありました。


今ではその距離も遠くなっちゃったなぁ…


これが2019年なので、そのあとはなんとも言えない、メンバーにとってもファンにとっても本当に辛い時期に突入していきました。

そして、なんだかあれよあれよという間に、改名。
今振り返るとそんな感覚です。


2020年12月。
櫻坂46の初めてのシングルのセンターに立ったのは、森田ひかるさんでした。

今の森田ひかるさんを作り上げたのは、私は紛れもなくNobody's faultだと思うのです。
このことはこれまでにも、このnoteで何度も書いていますが、本当に彼女が真ん中に立っていなかったら、全く違った歴史になっていた可能性さえあると思っています。

欅坂LAST LIVEと並行して、櫻坂1stシングルの振り入れをするとき、いったいどんな心境で踊っていたのでしょう。
そして、その真ん中で、彼女は何を思っていたことでしょう。


センターだからと華々しく、という印象はなく、どちらかというとMVもそうでしたが、本当に悲壮感でスタートしたグループでした。彼女の責任ではない。決して彼女の責任ではないのですが、その真ん中での振る舞い方を求められたのは確かでした。

正解などわからない。

でも、何か答えを出さなければいけない。

学校の勉強のように、「正解」が用意されて、その正解の出し方を知り、それをマスターしてテストを受け、その「正解」が多ければ高得点になる。
人生でそんな場面など本当に少ないです。
「正解」のわからないことを求められる方が圧倒的に多い。
彼女の求められた振る舞い方など、どこにも模範解答がありません。
その中でも、ある種の「正解」を求められるプレッシャーというのがいかほどのものか。

そしてそれを乗り越えたのもまた、森田ひかるさんだから成し得た、もっといえば、彼女を取り巻く環境が彼女の味方になってくださったから成し得たことだったとも思うのです。



あれから、3年半が経ち。


7th「承認欲求」では、ある意味命運を賭けたセンターを担い、AAAの舞台で堂々と渡り合いました。
それ以外の曲でも、フロント、2列目と、どこにいても彼女のパフォーマンスは目を引きます。



もし、森田ひかるさん、あなたがいなかったら。

合同オーディションのとき、配属されていたのが他の坂道だったら。

いや、そもそもあのオーディションを受けていなかったら。

それはどのメンバーにも言えることですが、本当にゾッとする。
いない、という選択肢が考えられないからです。
その存在も、力も、あまりに大きすぎるので。


新せ界の、ヴィジョン。

みんなと一緒に並んで歩いていきたいだけ。

そう言える、言ってくれるメンバーがいるだけで
私たちは本当に救われます。
ここにどれだけのグループ愛が込められているか。



改めて、その場所にいてくれて、ありがとう。



森田ひかるさん、23歳の誕生日、おめでとうございます。



noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。