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櫻坂6th本当にありがとうーそして7thは本当の意味での、一世一代の大勝負となる

櫻坂46の6thシングル「Start over!」の楽曲期間が終わった。
期間というのは、シングルに纏わるイベントが開催される期間のことである。期間に行われるイベントで、代表的なのは個握ミート&グリート。さらには、スペシャルイベントとしてミニライブであったり、リアルミーグリであったり、オンラインサイン会であったり。
またはポスター等のプレゼントも含まれる。
シングルごとにこれらの日程が組まれ、消化していくわけだが、先日9月3日のミーグリをもって、櫻坂6thのイベントが全て終了した、ということだ。

櫻坂も日向坂もそうだが、彼女たちがよく口にするのは、「シングルを出させていただいてありがとうございます」という言葉。もちろん活動が続いていくということは、グループの場合次の曲を出していかないといけないので、櫻坂や日向坂を知らない人からすると、この言葉に不思議な思いがして当然だ。

だが、グループの歴史を知っている人なら、この言葉にいささかの誇張もないことを知っている。実際、欅坂46は黒い羊の後、配信限定の「誰がその鐘を鳴らすのか?」しか出せなかったし、日向坂に至っては、ひらがなけやき時代にシングルは一枚も出せなかった。だから「次のシングル」を心から喜んでいるのは間違いないのだ。


櫻坂に限って言えば、2022年のシングルは1枚だけだった。もちろん1stアルバム「As you know?」があったからであり、しかもこのアルバムを引っ提げてのツアーが展開されたこともあって、気づけば年末を迎えていた、というのがこちら側の感覚だった。

私自身が本格的に握手会やLIVEに参戦を始めたのは2017年だったが、このシングル期間の終わり頃には、次のシングルの期間がもう予定されていた、という記憶もあるくらいだ。だから握手会のときに「次のシングルもよろしく」という会話が成立していたのだ。
ところが、2020年初頭の「1.23事変」があって、さらにコロナ禍も重なって、最終的に改名に至って櫻坂になってからは、およそ期間末に次のシングル期間が発表されたことなど記憶にない。もちろん、水面下では準備が進んでいるはずだし、もしかしたら既に制作期間に入っているのかもしれないが、発表されていないのでメンバーもそれについて触れることができない。

余談だけど、そうやって情報が解禁されない間は箝口令が敷かれるわけだけど、よく我慢できるものだとほとほと感心する。それが待ち望んだ仕事であればあるほど、早く言いたいに決まっているのに、それをすることができないというのは私たちの側が理解できないほど相当なストレスかもしれないと思ったりする。

それはともかく。

そういう理由もあるので、「次のシングルが出るのは当たり前のことではない」という前提に立った上で。

櫻坂46、7thシングル表題曲と、そのカップリング曲が制作中、少なくともその準備期間には入ってると仮定して話を進める。


6th「Start over!」。
久しぶりに、メンバー、スタッフ、そしてBuddiesの目指す方向性がはっきり同じなのだなと強く思わせてくれたシングルでもあり、この足並みが揃うとこれほど爆発するのかという感嘆をもって見つめさせてくれた曲となった。

それは、売上がどうこうとか、MV再生回数がどうこうという話ではない。
一つのコンテンツを目にすることで、その対象が心のどこかに棲みつく、ということ。これができれば売上どうのこうのなんて、後からいくらでもついてくるものだと悟った。
あの曲は、櫻坂でセンターを務めるなら、確かに藤吉夏鈴しかいない。
いや、もしかすると、まず夏鈴ちゃんセンターというのがあって、そこから作られた曲、もしくは選ばれた曲だったのかもしれない、と思えるほどだ。


さて、考えなければならないのは、7thシングル。
どういう作り方をするのかは流石に想像のしようもないのだけれど、ここからは私の単なる願望である。


まず7thの持つ意味。
スタオバでのあれだけの跳ね方を見せた櫻坂。楽曲の持つ力ももちろんのこと、同時期に海外公演を二か所成功させ、線から面への広がりを見せようとする、その足がかりも作った。
桜月がホップだとすれば、スタオバはステップ。そして7thがジャンプになると捉えている。

繰り返しになるけれど、私は忘れていない。
櫻坂46の命題は、「欅坂46を、超えろ。」



3rd ANNIVERSARYを迎えようとするこのとき。櫻坂としてもキャリアも積んだ。環境も整ってきた。今こそ本当のジャンプをするとき。

超えるなら、ここが勝負だ。

そのジャンプを、誰に任せるか。
誰が真ん中に立っていてほしいのか。



私は、森田ひかる以外にない、と考えている。


これは、ずっと言ってきていること。


櫻坂46の、真の勝負。
そんな勝負を勝ち抜くためには、森田ひかるの絶対的センターが必要だ。



なぜ、自分の推しメンを差し置いて、森田ひかるセンターを嘱望するのか。

大きな理由がある。


数いる櫻坂46メンバーの中でも、森田ひかるにしか持ち得ないものがあるからだ。

それは何か。


2020年12月。欅坂46から改名した櫻坂46が船出した。
その1stシングル「Nobody's fault」におけるセンターに抜擢されたのが、森田ひかるだった。

通常の表題センターではない。

過去の歴史を一旦リセットし、再出発するグループ。ここから新しい歴史を作る、その第一歩の「顔」に指名されたのだ。誰にもどうなるかわからない。それこそ、運営側も、スタッフも、誰にもどうなるかわからない、そんな状況での、そのグループの象徴に指名されたのである。

このプレッシャーは、私たちはおろか、メンバーでさえ、彼女のそばにいたスタッフでさえ、或いは彼女の家族友人でさえ、おそらく真に理解することはできなかったはず。
その苦悩に、誰が何のアドバイスができるのか。
もちろんそれでも、彼女は周囲の力を借りながら、あのノバフォ期間を駆け抜けたはずだ。誰も経験したことのない苦悩を抱えながら、一人、その苦悩と向き合わなければならない時間も長かったはずなのだ。

でも、センターとして、それを乗り越えた。

これは、彼女にしかない、他のどのメンバーにもない経験値である。

決して、他のメンバーが劣る、という意味ではない。
そんなことは私が知らないはずがない。
そうではなく、結果論ではあるけれども、彼女にしか持ち得ないものがあるのだという事実が存在する。


Nobody's faultというのは、本当に特殊な曲だと今でも思う。
改名が決まって、ある日、一つの場所に集められたメンバーは、1stシングルの選抜発表を受ける。全員選抜だった欅坂の時代とは違って、どうしても選抜制度を導入したい運営側が提示したのは、櫻エイトという手法だった。
これだけでも戸惑いがあったのは間違いない。

そして、その表題曲を歌うメンバー。
最後に名前を呼ばれたのが、森田ひかるだった。


このとき、彼女の心に去来したものは何か


森田ひかるの涙など、他で見た記憶がほとんどない。


あの小さい体で、あのときどれほどの覚悟を決めたのだろう。
もちろん、逃げられない場面だったとはいえ、相当の覚悟が必要だったはずだ。
そしてその覚悟があったからこそ、2nd、3rd、4th、5th、6thと続いていくその原点となった。まさしく、今の櫻坂の原点は、あの森田ひかるの「覚悟」だった。


ならば。
ここまで積み重ねてきた歴史を土台として、本当の意味で新たな距離をジャンプしようとするのであれば。
そして、何より。
「欅坂46を、超えろ。」を達成するのならば。


森田ひかるしかいないのだ。

あの比類なき経験値を持つ、森田ひかるしか。



その経験値に加えて、櫻坂としての経験も積んだ。
いつもLIVEで、とくにノバフォを観るたびに思うのは、毎回違うものに見えるということ。それは、おそらく森田ひかるの経験値なり、そのときどきに得た感情なり、そういった部分を纏っているからかもしれない。ある意味最も、その人の状態に左右される曲なのかも。




そして、そんな一世一代の勝負となると思っている7th。エポックメイキングとなると考えるもう一つの理由がある。

三期生の存在だ。

はっきり言えば、三期生を7th表題に入れるかどうか、だ。

これについて、様々な意見があるのは知っている。
乃木坂5期生が表題に名を連ねたのは、加入から一年後だったとか。日向坂に至ってはまだ四期の表題入りはない(日向坂四期生表題参加については、別の課題もあると思うのでそれは別件で)。
このことから、8th以降、2024年になってから、とみる意見はある。
加えて、6thにおける全員選抜が良すぎたので、これを継続してほしい、という意味合いでおっしゃる方もいる。

正直、悩ましいところだ。
そもそも乃木坂や、48系を推していた人から言わせれば、選抜は当然らしい。競争意識が働くことで緊張感が生まれ、全体のレベルアップが期待できるという論理だ。もちろん一理ある。否定はしない。

それが理屈だとしても、自分が感情に走ってしまって申し訳ないのだけれど、私としては全員選抜も推したい。
欅坂が思うように活動できなくなった一因が、その無理な選抜導入にあったと、少なくとも私はそう認識しているからだ。事実として間違いなく言えるのは、欅坂8thから選抜制度を導入しようとして、うまくいかなかった、ということである。
それがある以上、どうしても櫻坂に選抜がそぐわないようにしか見えないのである。櫻エイトですら、私にとっては違和感だった。何度も言うように、「Buddies」の曲が始まって捌けていったメンバーを観たときに、涙があふれて仕方なかった。あの、捌けていったメンバーはBuddiesじゃないのかと。仲間じゃないのかと。We are Buddiesと歌いながら、それを歌わせてももらえないメンバーはいったい何だというのか。

確かにその思いもある。

ただ。

三期生をいつまでも三期生だけとして、ある意味の別動隊のような扱いにしていいのかという思いも同時に存在する。

あれだけのポテンシャル。今更説明するまでもないだろう。合宿のときにはいろいろ言われたものの、今はその勢いが凄まじすぎる。誰が「静寂の暴力」のような曲をパフォーマンスすることになるなどと想像しただろう。粗削りで完成度については伸び代があるにしても、あそこまで持ってこれる三期生を、このままカップリングに押し込めておいていいのか。

前述のように、乃木坂5期生は表題入りに一年かかった、日向坂四期生はまだだと。少なくとも日向坂四期の表題入りが先だと。そういった「順序」にこだわる向きは、確かに存在する。

でも、そんな予定調和に何の意味があるのだろう。

たまたま。
本当にたまたま乃木坂、日向坂、櫻坂の順序で募集されただけで、この順序を違えることが悪であるかのように言うのは、もはや意味不明レベルだ。


全員選抜に拘りたい一方で、三期生の表題入りも、見たい。

ところが三期生が表題入りするとなると、人数的に全員選抜は相当難しくなる。つまり、選抜制度と裏表なのだ。
これが本当に悩ましい。



ではあるけれど、ここは敢えて。




7thが一世一代の大勝負、というのであれば。敢えて。


選抜制度も受け入れた上での、三期生表題入りを推したい。
苦渋の想い。




でもそれくらい、勝負なのだ。

6thまでの、魂を込めた楽曲制作はもちろん、2024年に本当の意味での飛躍を遂げるためにも。
三期生が、ちゃんと櫻坂の一員なのだと知らしめる必要がある。


三期生の表題入り。
それによる櫻エイトの復活。
そして、センターは森田ひかる。




…もちろん、このとおりになるとは思っていない。
ただ、どういう形で、櫻坂のジャンプアップを演出するのか。




おそらく、2023年の櫻坂46集大成。
そして、土生瑞穂卒業後の、櫻坂の青写真。




すべてが示されることになるのだ。



noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。