ひそひそ話

 忌み事を声を潜めて話すように、他人の噂話をする人、いますよね。

 「あそこのおばあちゃん、生前は仏様のような人だったって言われてたけど、実はすごーくケチでお嫁さんのおこづかいを1円単位で管理していたんですって」

 ハイ、ふと思い付いた忌み事(フィクション)です。お葬式で故人の家の黒い噂話をするときとか、女子学生(男の子より女の子のイメージ)が、学校できわどい噂話をヒソヒソする時のような、

「眉を潜めて」

「忌み事のように」

「生活の愚痴を言う」

 コレを耳にするとね、たまらなく嫌なんです。嫌悪感。バスや電車などの公共交通機関、ファミレスなどの施設。声のボリュームではないんです。無防備に本を読んでいる意識の片隅に、ふっと忌みごと話が「ひっかかって」しまうと、声のボリューム関係無く、もう巻き込まれてしまう。

 聞きたくないんです。聞きたくないのに、聞き耳を立てて、「数学の先生のきわどい下ネタ」や「あそこのおばあちゃんの介護で家族が疲れてる話」を、「聞こうとしてしまう」。

 ふと、会話が途切れて静寂が入ると、安心します。安心して、また本に意識を戻そうとする、するとまた「忌み事話」が始まる。

 次の沈黙のときには、また始まるんじゃないか、ほらまた話始めた‥‥‥そんな堂々巡りを、彼女たちがバスを降りていくまで、または店を離れるまで、ずっと気にし出してしまう。

 聞かないことが優しさでありマナーてあり処世術なのだと重々わかっています。どんなに本に集中しようと試みても、ゲームをしてても、勝手に意識がそちらを追ってしまっている。聞こうとしている。

 記憶を辿ってみれば、母や祖母がそういう話をしていたときに、息を潜めて聞いていました。おそらく、そこから彼女らの「ご機嫌」の尺度をはなり、幼いなりに対応しようとしていたのだと思います。

 ちなみに幼少期の精神的な家庭環境はひどいもので、「わたし(母)の機嫌を損なうことをするな!」(意訳)、「妹の機嫌を損なったお前が悪い!(妹に叩かれてもしょうがない)」でした。ちなみに姉であるわたしが妹の言動にかっとなって衝動的に手を上げてしまうと、「お前は弱いものいじめをして喜ぶヤツかっ!!」でした。そしてわたしは罰として母に叩かれました。えーっと、できたら「妹に落ち度があるけど、手をあげちゃだめだよ」みたいな叱られ方をしてもらえたら、ここまで人間怖いをこじらせなくても済んだのかな、と切なくなります。

 ということで、忌み事話がキライな自分語りでございました。


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