プラマイプラスとマイナスゼロ

※こちらの記事では、職場に対する不満をあーだこーだと痛々しくグチグチと記載しております。どうぞご容赦ください。

 今日、ふと気づきました。
 ああ、うちの職場は、「プラマイがプラス」と「マイナスがゼロ」なら、「マイナスがゼロ」の方が大事にされるんだな、と。

 現在の勤め先は、昨今、絶滅寸前と言われる「年功序列制」がほぼ色濃く残っており、昇格の第一条件は「年齢」、第二条件に「従順」、第三条件に「問題を起こさない」がきます。職務は公的な性質を色濃く持ち、利潤を目的としません。勤め先としては大安定しております。履歴書でいうと、「年収1千万、都内に持ち家、次男、両親と別居」みたいなカンペキ物件でしょうか。
 そう勤務条件はカンペキです。ただ、中に入ってみますと、風通しは最悪で、水は濁ってよどみ、「マウントを取ってヒエラルキーのトップに立つか(この場合の「トップ」は組織内の昇進ではなく、人間関係という名のヒエラルキーです。部長より課長の声の方が「大きい」ことなんてザラです)」、「顔色を読んで息を潜めるか」、「病気になるか」、「楽園を飛び出すか」、の択一問題にいつか向き合うことになります。
 また「みんな一緒」をとても大事にします。残業すら、「みんな一緒」。「今日はみんなで2時間残業やって帰ります」。
 ……とはいえ、「用事があるので残業しません」と断ることもできるのですが。逆に「わたしは今日3時間残業します」というのは、基本的に認められません。そのくらい「みんな一緒」。どこの国の平等主義だよ。
 わたしは、最近「病気」になりました。適応障害ですって。現皇后陛下も、皇太子妃時代、適応疾患と診断されたように記憶しております。ご結婚前は外務省でキャリアを積み、外交官として大変有能であられた、と。才能に恵まれた方であっても場所が違えば、生かせる才能も変わってくるのでしょうか。
 余談ですが、「パラダイムシフト」に関する講座の体験版を受講した際、講師の方が言われました。
「親は子供のことを思って、公務員になれ、と言います。だけど、データから公務員の○人に1人はウツ病になって休職してます。そんな現状をちゃんと知ったうえで、それでも子供に公務員になれという親、いますかね?」
 (○人のデータのところは覚えていなかったので……。でも、結構高い数値のデータが出ていたように思います)。

 閑話休題。

 自分は、イロイロあって家庭環境、学校の環境に恵まれず、自尊感情が大変低い状態で社会に出ました。
 学校では少しばかり成績がよく、逆に人間関係となると「あなたは人の輪を乱す」「きもい、くるな、あっちにいけ」と、同級生やきょうだいはもとより、親からも先生からも、明に暗に言われてまいりました。
 なので、人間と仲良くする術はよくわかりません。ただ、「仕事」はきちんとこなそう、周りの人が楽になるように努めよう、と半ば自分に課すように、人生訓?的な感じで心に秘めて、就職したわけです。
 ただ、今現在の職場は、(部署によって違いがあれど)「100のパイ」を「みんなで分担して」行う性質で、わたしが仮に30こなすと、残りの方が70をやるという具合で締め切りまでに100終わるように作業を進めていきます。個人のノルマがあるわけではなく、係同士の「足並みがそろうように」、みんな一緒に終わるように、進捗管理されます。
 最終的に「みんなでやって締め切りに間に合わせればいい」ので、ウマく手を抜く人は徹底的にウマく抜きます。それを表立って誰も指摘しません。なんなら、課長クラスが手を抜きます。あのひとは仕事ができない人よね、と「声の大きい人」からは言われます。だけどそれだけです。陰口のエサになって、自分の身が守れるなら、「試合に負けて勝負に勝つ」賢い人たちなのかもしれません。

 自分で言うのもなんですが、わたしは率先してドンドン数をこなすやるように心掛けていました。
 わたしはどちらかと言えば、「巧遅拙速」の「拙速」タイプで、8割方の目途をつけながら、さらーっとやるタイプ。もちろん、巧遅タイプの人もあいれば、「遅い」を通り越して、完璧主義の方もおられます。

 それがですね。「拙速」の「速」の部分でチームに貢献した度合いをプラス「5」とします。でも、ミスしてしまった。「拙」マイナス「3」とします。
 本来、「プラス2」という評価が貰えるものかな、と思っていたんです。
 しかし、どうやらわたしの評価は「マイナス3」のようです。
 自分がチームに貢献するつもりで「ちょっと頑張ってこなしていた」ことは、チームの人にとっては「あたりまえ」、なんなら「みんなで足並みをそろえて」やるのに、あのひと一人でドンドンやってる、ちょっと足並みそろえてよ、くらいの空気感です。
 逆にミスがゼロの人は「マイナスゼロ」問題を起こさない、職場にとって評価が高い。仮にわたしが70、マイナスゼロの人が30の仕事量だったとしても、ミスしたわたしの評価は「マイナス3」、30の仕事をミスしなかった人は「マイナスゼロ」です。

 過去には、前任者から引き継いだ、残業山盛りの仕事を整理して整えて、残業時間を1/3程度に減らし、人件費なんじゅうまんえんか浮かせて、職場に貢献したこともあるのですがね。そんなことは「利益を追求しない」組織だから、どーでもよいのでしょう。

 いままで、わたしは「正しいこと」(職場の利益になったり、貢献したりすること)を行っていこう、と思ってまいりました。
 しかし、前述の「病気」になったタイミングで、それがこの職場ではただの「ひとりよがり」だったことをまざまざと思い知らされて、ガッカリ、したんです。
 そしてふと今日、「プラマイプラス」ではなく、「マイナスを出さないこと」が価値基準となっている職場である、あとはみんな一緒、みんな平等。プラスの部分は大部分が見ていないことに、ふと気づきました。
 働く(ハタラク)って、「ハタ(傍)をラクにする」ということだそうで、わたしはできるだけ周りの人が楽になればいいなと思ってきました。しかし、それはただの空回り、独り相撲でした。
 自分自身、これまで少し肩に力が入りすぎていたようです。
 正しいことをしても、それが周囲に評価されるわけではない。「おてんとさまが見てる」と昔の人は言ったものですが、わたしはまず、自分の価値を自分で安くしないふるまいというものに取り組んでいくべきではないかと感じました。
 尽力したつもりで、マイナス3の評価なんて、踏んだり蹴ったりですものね。病気になった時、知人に職場のことを話すと、「やめれば?」とあっさり言われましたが、地が人間不信なので、どこにご厄介になっても人間関係であーだこーだあると思います。といって、「病気明け」なので、自分で起業するのも少々しんどい。養ってもらえればいいのですが、残念ながら、人間不信の「カレシいない歴=年齢」のイタイ事故物件でございます。お相手が気の毒すぎるわ。であれば、ご縁がまだある間は、利用できるものは利用させていただきます。冷静に見極める目を、育てていきたいと思います。
 

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