ワッフルの値段

※こちらの記事は、自分の思考を整理するために、また自分が今まで人から隠してきた「本音」を表に出す練習のために書いています。なので、とてもひとりよがりで、ともすればご不快な思いをさせてしまうことがあるかもしれません。読後感はよろしくないと思います。ご容赦いただきますよう、お願い申し上げます。

 高速道路のサービスエリアで、おいしそうなワッフルを見つけました。
 素朴な材料の生地に、甘さ控えめの生クリームとカスタードがたっぷりと挟まっています。
 定価300円也。
 居住県の、職場から電車で15分ほどの場所に店舗があるようでした。へー、今度行ってみよう。

 その翌日、職場の近くのスーパーで、そのワッフルを見つけました。定価250円。おお、これはこれは。やはりサービスエリアは搬入コストがかかる分、価格が上乗せされるよね、ということで、ちょっと得した気分で購入。週に1度のお取りよせ販売のようで、店舗販売と比べて鮮度は落ちるのでしょうが、それでもおいしかったです。それからたまに、職場のおやつ用に買って帰るようになりました。

 それがつい先日。
 隣県のスーパーで出張販売しているのを発見。なんと対面調理にて、できたてほやほやをご提供。しかもその価格、180円也。
 やはり、作って間がない方がおいしいですね。防腐剤など添加していないので、なおのことできたてがおいしかったです。

 さて、すべて同じワッフルです。高速道路で取り寄せ販売は300円、対面調理できたて出張販売は180円。倍半分、ほどではないですが、結構な価格差を感じました。
 180円のできたてほやほやをいただいたわたしは、「たぶんもう、職場近くのスーパーで250円では買わないかな」と思いました。
 同じお品物が、より安く、よりうまい。一度その味を知ってしまうと、よほど食べたいと思わない限り、「お高い取り寄せ品」の方は手が伸びないと思います。

 さてここから、ダークな人には言えない(言えなかった)本音を書き散らかしてまいります。読後感はよろしくないと思います。どうぞご容赦を。

 知り合いの方が、お店をオープンされました。美容系です。特定されないよう詳細はぼやかしますが、一般的に女性がお手入れに2~3か月に1回通い、その1回あたりの単価は5000円程度~15000円程度が相場と思います。
 その方、というのも味気ないので、ハートフルさんとします。とても優しい方です。
 ハートフルさんは、オープン直後に「来店1回目はタダ」と打ち出しました。2回目は半額、3回目で30%引き、だったかな。
 ずいぶん長い間、値引きしてやって来られて、ここ最近正規の価格を提示されたそうです。
 ご本人いわく
「ずっと通ってもらえるなら、最初に何回か無料でやっても十分元が取れる」とか、
「自分という人間を知ったうえで通って欲しい。お客さんにも合うかどうか見極めてほしい、ウィンウィンだと思う」とか、
「自分は自分の技術を提供する。もしよかったらお客さんからも、本来お客さんがお金を取って他人に提供している技術を、お返しに提供してもらえたらいいと思ってる。お金を介したやりとりじゃなくて、技術と技術のやりとりができたらいいと思っている」とか。
 わたしは、サービスを提供してもらって「ちゃんと正規のお金を受け取ってください」と何回か言いました。でも受け取らないんです。「あなたができることを、返してくれたらいいよ」と。正直、うーん、と思いました。

 ハートフルさんはイベントの主催もやっていて、「○○さんのメンターのすごい人」とか「その界隈の第一人者」みたいなスゴい方が集まるそうです。
 ハートフルさんは、セミナーができる部屋を「無料で」提供し、場所代を取らない。「そうすると、お金を払わせてくださいって、言ってくるんだよね」と誇らしそうに言われていました。
 わたしは、うんうん、とその話を聞いています。「すごいですね」「思いがあれば伝わるんですね」「お金じゃない大切な部分のやりとりですね」

 ここから、自分が率直に思っていることを書きます。何度か、直接ご本人にもお伝えしたことあります。だけど、根本から価値観が違うのかなあ、と感じる次第。

 まず、お金を受け取らない。
 これは、ハートフルさんご自身のコンプレックスが表出した現象のように感じられます。ハートフルさんは、「お金はすっっっごく欲しいよ。だけど、まずは与えるの」と言います。オープン直後に聞きました。オープンから何年か経った今でも聞きます。つまり、「お金を受け取る」ことに対して、何かしらの抵抗感を持っているのか、お金を取らないことによって「優位性」を感じようとされておられるのか、よく分かりませんが、サロンの経営は赤のようです。ご伴侶の収入で補っているとか。本末転倒に見えてしまいます。

 そもそもお金は、原始時代から存在する人類の発明です。金や銀に裏付けされた兌換紙幣から、アメリカの力を背景にした不換紙幣ドルの時代へ、そして現在は仮想通貨にその軸を移しつつある。
 その機能は、価値を等価して交換できるようにすること、と思います。(私見ですよ)。
 江戸時代、年貢はお米で納めていました。米が豊作で価格が下落すると、相対的に収入が下がってしまう。明治時代になって貨幣で税を徴収するようになりました。明治政府の収入は安定しましたが、貨幣を収める納税者(農民)は、米が豊作で価格が下落すると持ち出しが多くなるので、負担が大きかった。小学校で習う歴史ですね。

 現代のサービス業である「労働の対価」なんて、貨幣以外で図るのは非常に困難ではないかと思われます。
 スーパーのレジ打ち時給1000円。米を作るわけでも、洗濯機などの工業製品を作るわけでもない。「レジ打ち」という見えない労働を「1000円」という貨幣価値に置き換えているわけです。専業主婦の仕事などは、給料収入のような貨幣価値に表せませんが、離婚訴訟における財産分与ではその価値をお金に換算します。お金とは、見えない労働を可視化するツールといえる。
 また、まったく次元の違うモノ同士を天秤の両側に乗せて、客観的価値を図る指標とも言えます。天秤の片側に全自動洗濯機、もう片側に米。釣り合う一点をどう見つけるか?そこで、「5万円」という価格が仲介する。「5万円」であれば、洗濯機1台、米100㎏が妥当ですね、と。価値が相対的に見えるようになるわけです。需要と供給のバランスで、価値は変わってきます。

 余談ですが、現代は、サービスや情報、また最先端の技術に価値が置かれていますが、ここまで自然災害が起こってくると、ゆくゆく「一次産業」に回帰してくるのではないかと想像しています。電気ガス水道、アタリマエに使えているインフラ設備が、アタリマエではなくなったとき、価値の大転換が起こるのではないかと。……と、パソコンを打ちながらエラそうに言える立場ではないのですが。回帰するのであれば、機械で整地した土地で大規模に生産する形式ではなく、手作業の自給自足を前提とした小規模な形になるのではないかしら。インフラが現在のまま、ずっと使える保証など、どこにもないのですから。

 閑話休題。

 ハートフルさんの「お金を介さないやりとりがしたい」というのは、ちょっとこう、方向性が違うのではないかと思うのです。わたしがAのサービスを提供しました。あなたがBを返してくれました。AとBの釣り合いが取れていないと、キモチワルイものです。
 では、AとBの釣り合いとは?
 米と洗濯機みたいな、目に見えるものですら、釣り合いのバランスをとるのが難しいというのに、見えない「サービス」に対してどうやって釣り合いを図るというのでしょう。
 わたしなどは、人間不信の距離取りたがり屋ですから、お返しするときも「心がこもってたらなんでも嬉しい」とか、そう言われてもそれで済まないわけです。
 わたしはあなたからAというサービスをもらいました。それは、わたしにニーズがあって、あなたの時間と技術を提供してもらいました。その結果、わたしは自分のニーズが満たされて満足しました。
 あなたに返すのであれば、その逆が成り立っていないとオカシイと思います。
 あなたはわたしにBというサービスを望みました。わたしは自分の時間と技術を使ってBを行いました。その結果、あなたのニーズが満たされました。
 最低限、この図式が成り立たなければ、イカンだろう、と思うのです。

 いまのところ、わたしとハートフルさんの間に、そうした対等な図式はありません。ハートフルさんが、一方的にサービスを提供し、そのツケ?が「良心の呵責」として、どんどんとわたしの心に降り積もっている、みたいな状態です。
 ハートフルさんが言ったことがあります。「自分は惜しみなく与えているのに、みんな自分の元を去っていくんだ」と。
 わたしからしてみると、去っていく人の心境もなんとなくわかる。釣り合いがとれない「与えられるだけ」の関係は、とても不自然でいびつなものです。

 では、わたしはハートフルさんから離れないのか。
 そこで、自分の本心の登場です。
 ハートフルさんのサービスは、わたしにとって、冒頭述べた「180円のできたて対面ワッフル」なんです。
 質がよく、安価。サービス料が格安な分、お店で取り扱っている商品を買うようにしていますが、いまのところ、「○本買ってくれ」みたいに無理強いされることもありません。

 わたしが、以前とても困っていた時、ハートフルさんは親身に相談に乗ってくれました。とてもお金がかかるところを、本当に良心的に力になってくれました。おかげさまで、困りごとは改善の方向に向かっております。
 なのにわたしときたら、ハートフルさんに対して、「180円のワッフル」だから通っているなどと、ヒドイ話ですね。仮にハートフルさんのサービスが、「300円の高速道路SAでお取り寄せ販売」のサービスに路線変更したとき、通い続けるかどうかは分かりません。
 ハートフルさんに対して、愛情はないのか? 情はありますよ、ありますけど、情優位ではなく、相手のことを冷静に観察し見極めようとしている、というのが実態に近いです。この人、だいじょうぶかな、って。サービスの物々交換って、ショウキかなって。
 本当は、「ハートフルさんにお返しできるだけの技術を身に付けて、ご恩を返す」とか、「ハートフルさんが困ったときには、率先してわたしが助ける」とか言うべきなのでしょう。というか、お利口さんなイイコちゃんなオモテのわたしならそう言います。
 わたしの本当の本音は「ハートフルさんが提供する180円のワッフルに魅力を感じている」です。そして、その行く末を、距離を測りながら冷静に見極めようとしています。ハートフルさんがわたしに対して注いでくれる愛情に見合う感情を、自分の中に見つけられません。そもそも、ハートフルさんのソレは「愛情」なのか?とすら思う。
 ただ、いただいたご恩には報いたい。それも紛れもない、自分の本心です。本当に困ったときには「愛」からではなく、過去の自分に手を差し伸べてくれた恩返しとして、できることをしたいと醒めた心地で思っています。

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