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君にこの歌を。~平野紫耀は、ショーでありスターだ


※ジャニーズアイランドのネタバレを含みます。
また、これは私にとっての紫耀くんの魅力を書いたものです。内容はあくまで一個人の主観に過ぎず、また同時に、他の演者の方を下げるような意図は一切ありません。何卒ご了承ください。



平野紫耀。
今の日本で彼の名前を知らない女子がいるだろうか。

紫耀くんとジャニーズシリーズは、彼がスターになっていく課程とどこか被って見えます。
最初はノッティナの後列だった彼が、どんどん前に出て行き、最終的に主演を勤めるようになるまで。
それは鮮やかな魔法のようだったけれど、現実には、彼が積み重ねてきた努力の結果なのでしょう。

ただ、あえて、私の目にはこう見えます。
そうなる運命の星《スター》だったんだ、と。

悩める少年を経て、プロデューサー的な立ち位置になった今作、もうKINGは闇を突き抜けてで半裸になることもない。
迷いの無い存在は服を脱がない。
(初演のSexy Zoneが脱がなかったのも、それは迷う存在ではなくて一種の導く妖精みたいなものだったからだと私は解釈してます)

紫耀くんのステージを見ていて感じるのは、圧倒的なほどの美だったり、輝きだったり、色気だったり、そして力強さだったりします。

スターというのは、守られるよりも頼られる存在かもしれなくて、それは蜷川幸雄氏の言うところの『大衆の欲望を一身に受け止める』ものだからかなと。
欲望を受け止め、昇華させる存在。
アイドルは直訳すれば偶像となりますが、その偶像も、『神や仏などの存在をかたどって造られた像で、かつ崇拝の対象となっているようなもののこと』という意味もあります(wikpediaより)。
拝むほどの、アイドルで、スター
そう、私には見えてます。


だからこそ、時に切なくなるのが、紫耀くんの持つ能力が、その身体を時に凌駕してしまっていること。
紫耀くんの肉体は、それほど丈夫ではなくて。彼のポテンシャルについていけていないという状態を目にすることもあります。

ただ、それを可哀想がるのは、私はしたくはなくて。
きっと、なにより、それを悔しいと思っているのは彼自身なのではないかな、と思うのです(それも私の勝手な想像ですけれども)。
私はただ、目の前で、その時の100%を見せてくれることを喜びたいし、受け止めたいと思ってます。


そして、今回の舞台で切なくなるもう一つの理由は、彼と『あの人』のことです。
『認められたい』
それは、紫耀くんにとって大きな動機なことは、インタビューなどからなんとなく気づいていました。
そしてその度に不思議でもありました。
こんなにも、歌唱力も、ダンスの能力も、そして近年では人気も、認められているのに? と。
そんなにも上を目指しているのか、と驚いたりもしていました。

でも、違ったのですね。
彼は、まず、『あの人に認められたかった』

紫耀くんにとって、あの人は、概念としての父親のような存在だったのかもしれない。

だから。
フューチャーアイランドで、プロデューサーが父親だったという展開は、あの人なりの紫耀くんへのアンサーでもあったのかもしれない。
そういう想いを、ちゃんと受け止めてくれているという答え。

――でも、もう、これから先、あの人はいない。
多くの人がそうであるように、父親は永遠ではなく、紫耀くんはもしかしたらこの先ずっと、渇望を抱えていくのかもしれない。

でもその反面、『見守られている』とも感じ続けていけるような気がするし、紫耀くんにとってのお守りとなって、今は彼を支えているようにも思えるのです。

手の甲にキスをして、その手でそっとあの人のいない椅子を撫でる紫耀くんの横顔は、穏やかで美しかった。
手の甲へのキスが意味するものは、敬愛と尊敬なのです。


大切な大切な人との別れを経て、紫耀くんはまた改段を登ったのでしょう。
帝劇の0番に立つ紫耀くんは、晴れがましく、頼もしく、愛しいスターでした。

もしかしたら、紫耀くんが帝劇に立つのはこれが最後かもしれない。
もっと大きなステージが、彼を今か今かと待ち構えてもいるのでしょう。


いずれは、世界へ。
きっとそれも実現すると思っています。


紫耀くんにとって、それは、大切な約束だから。
そして、彼は、約束を果たす人だと思うから。

だから、君にこの歌を。


”君は顔あげて 今日も進んでくれ
 君は涙拭き 明日へ向かってくれ”
(フォーリーブス「君にこの歌を」より引用)

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