備忘の失敗 2023年11月までの死亡ログ

 前回の続きです。

 備忘録って即書かないと効果ないなと思うんです。感情なんてすぐ忘れてしまうものだから。だから忘れることに備えて書くんですが、書いてない。終わってますね。

 さて、結果の時系列がぐちゃぐちゃになりますが、書いた順にログを残しておきます。


忘れてたノベプラ死亡系

 2022年1回、2023年に1回死んでます。
 2022年に死んだ方は、女性一人称のリアリティを高めるために女性読者の方に意見を頂戴しました。男の願望で歪んでる創作女性ばかり摂取しているので、まっとうな女の子というものを書けていない。そういう感情があったので、その緩和の為って感じです。
 結果的には、まあ死にましたが、作品の出来は今でもそんなに悪くないと思ってます。というか悪意を結晶化させるという意味では、いまでもラストシーンが気に入ってる部類に入りますね。
 これは他人に読ませても大丈夫。『私だけの灯台』という作品です。

 で、もう一個死んだのは、多分今年の二月かなにかに手打ちしただけのひどいやつです。アンドロイドがどうのこうのという。
 こういうものを公開してはいけません。読者の方に失礼。


百合文芸で死亡

 アーマード・コアの新作が出るからアーマード・コアリスペクトで百合小説を書こう。変な動機。
 結果は余裕の落選でしたけど、作品を読んでくださった方からのフィードバックを受けて作品を修正する、ということに取り組んでちょっといい感じの成果が得られました。(Twitterでプレゼンしてもらった結果、Pixiv編集部の方の目に留まって紹介してもらった。)
 なんというか……感謝ではなにも返せない。
 それでも。
 私の作品にコストを支払ってくれる方々に感謝の意を表します。

 『Spirit of Motherwill』
 今年一番の出来はこの小説だったのかもしれない。

 この作品には前後が必要だなというのがあったので、後にさなコン3で話の一部を出力しました。でもやっぱり足りてない。
 全体的に話を再構築して、まったく別の形の作品として昇華させてやりたい。この作品は書いてよかったな、といまでもしみじみ思い返すことができます。ある意味呪いですが、解く楽しみがあるのも人生というものだ。


電撃大賞でも死亡

 表題の通り死にました。今年の電撃文庫は一次選考がめちゃくちゃ厳しかった気がする。でも関係ないね。どうせ二次とか三次で似たようなことになるんだから。
 選考に運が絡むのは事実なのかな。選考者も人間ですし。プロでもその呪縛からは逃れられないでしょう。でもそれ他人への慰めには使えるけど自分自身には使えないよな。
 選考基準はマスクデータのため、落選した側はいくらでも言い訳する余地がある。各々が自分のメンタルにとって最適な方法(楽という意味ではない)で落選と向き合えばよい。
 私は「あ、弱かった」って思うことにしました。実際弱い。
 今年の弾丸は十年ぶりに完結させた長編小説でした。読み返すと、完成度についてはひどいもんです。やはり継続的に長編を書くという行為を行わないとこのあたりの実力は伸びません。
 いつか誰かが短編小説をたくさん書くことで構成力がどうたらこうたらと言っていたのを思い出しましたが、要素が増えると系は複雑化するので、長編小説を書くというのはそんな簡単な話じゃあねえと思います。長くないと話が書けないひともいるのを見てしまったので、スプリンターとかマイラーとかステイヤーとかの違いはあると思うけど。私は典型的なスプリンタータイプかな。
 ステイヤーを目指そう。


さなコン3も死亡

 今年もできれば最終まで行かないかなとか思ってましたけど、邪念が籠ってるような作品ばかり書いてるときはダメです。
 今年は4作品応募して一次選考を2作品突破しました。
 で、二次選考で全滅。
 応募作品全部百合でしたが、内容が似非SFではダメかなと思いました。やるなら徹底的にファンタジーにするか、しっかりSFしてないとって思います。あと小説としての完成度を高める努力をもっとしろ。たとえやりたいことができなくなったとしても、だ。
 とかなんとか出てくるあたりがすべて邪念って感じです。
 要は、あるルールの下で表現できる理想的な小説を追い求め、その先に偶然結果がついてくるくらいじゃないとメンタルセットとしてダメ、っていうのがいまのところの反省です。
 さなコン3については色々書きましたけれど、邪念ばかりだ。去年奇跡を起こしたのは変な欲望がなかったからじゃないの? って思いますね。
 一度成功体験に味を占めると邪が抜けなくなる。
 偶然で手にしたものを自分の実力だと思い込むのは私の悪癖だと思います。消せ。


心身が死亡

 6月から8月はなんもできませんでした。
 去年も同じですね。自分が認識している周期と記録が合致しているから、やはりこの傾向はどうあがいても変えられないようです。
 今年はまだマシだったから、改善してきているのが救いかな。


アーマードコア6に救ってもらう

 今年一番自分に良い影響を与えてくれた創作物は『ARMORED CORE Ⅵ FIRES OF RUBICON』です。ほぼ十年ぶりのシリーズ新作。
 語り始めると長くなるのでやめますが、実況しながらの縛りプレイは楽しかったし、おかげで次に書くラノベの在り方がすこしわかった気がするんです。ありがとうアーマードコア。
 累計十五時間以上戦わされたのは忘れないからな、バルテウス。


九月の懺悔

 いいことばかりじゃないですね。
 タキカフェがただのアーマードコア6になってしまった。
 最悪。
 ごめんなさい。


BFC関連というか、感想について

 今年は当事者じゃないので落選展には触れないのが一番だったのかなと思います。でも、本来は非当事者からガシガシ感想が流入してくれるのが創作者にとってありがたい環境かなと思います。そういう意味では、あんまり内輪の連帯強くするのはどうなのかな、と考えてたり。
 私みたいな侵略的外来種なんて早々来ないですよ。

 ひとつ書くべきは、感想は自由であるべきだということ。

 観測者がいて、創作物があって、そしてその先に反応としての感想が出力される。感想は作品によって生じた反応を言語記録として残しておけるという意味では重要な存在です。
 でも感想を出力するという行為は、既に創作物を消費した観測者にとっては余計なエネルギーを使う行為だから、それほど積極的に実行されることではない。チャンネル登録やグッドボタン、高評価などと比べても、感想は自分の感じたことを文章に変換しなくてはならないので、ハードルが高い部類に入る。
 だから、感想を書くにあたって他人に気遣いするとか余計なエネルギーを使わせるような真似はしたくないです。ただでさえコミュニケーションの時に気を遣わせる方向に進んでいて憂鬱なご時世だというのに。
 それに率直な感想の方が受け取る側にも利がある。善意のものであろうと嘘を書かれたら創作者は歪むから。だから、悪意のものであれ、どんな人間にどんな反応されたかを観測して作品の質を向上させることが肝要。
 そのあたりの損得まで計算して発言したいですね。プロとして——

※真剣に向き合いすぎて病んで死ぬ人もいるので、感想をコンスタントにもらえるようになったら取捨選択の技術や他人フィルターという利器を使って自己防衛をするのも必要な処置だとは思いますけど。プロとして——


今後について

 長編にチャレンジ。


 今回は以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。

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