BFC5落選展劣悪感想紀行 新規編 32

概要(テンプレ)

 その辺の一般通行人が劣悪な感想を書くシリーズです。
 国語に興味のない学生が、他人に強制されて仕方なく書く読書感想文みたいなものだと思ってください。
 本稿では初読におけるユーザーエクスペリエンスを読書体験として定義し、そのときに得た先入観に基づいて感想を書きます。感想を書く過程で感情を想起するために再読するケースがあり、完全なる初読の感想を書くことは残念ながら困難です。ですが、できるだけ最初に感じたことを忘れないように感想を書こうと思います。
 また、私は感じたことをできるだけ包み隠さずに伝えたいと思っています。その性質上、その作品に対して否定的見解を示すことがありえます。
 すべての作品に対して平等に接することはできません。
 そうした自分自身の限界や、悪意、愚劣さの披歴を含めて、作品に対する感想を書ければと思います。


本記事に対する補足

 いまの私は姿勢が一貫していることよりも自分がポジティブに変化することを望んでいます。
 そのため、劣悪感想紀行の概要と反しますが、一読して得た感想以外の読み方があるのではないかという自分自身の疑問に応えるべく、『狼と駈ける女たち―「野性の女」元型の神話と物語』という本に関する情報をネットで収集しております。残念ながら地元の図書館では貸出中となっていたため、本文を確認することはできませんでした。返却を待っているだけの時間的余裕はないため、本稿については「そういう本があることを知っているが、ネットで仕入れることができる程度の情報しか持っていない」という前提で進めさせていただきます。


32.「テュス」Yoh クモハ

 本作はガラスの鳩とおのれの命を使って想い人との意思疎通を図るという筋の幻想恋愛小説。表題である「テュス」とは命の息吹のようなものを指しており、これを介して他人との意思疎通が可能と思われる描写がある。ただし使うと寿命が減る。
 一読した時点では単純に美しい光景を描き出しただけの物語で、引っかかる表現はあるものの、単に書かれているものの美しさだけに耽溺すればそれでよい、というように考えていた。が、二周目の際に「主人公には想い人がいる」「彼女はその人のことを直接見てはいないが、ある確信によってその人のことを深く知っている」ということが書いてあることに気づいた。それをつなぐものが「テュス」だ。
 それがわかってからは、この物語の冷たさに満ちた景色は、単にそれ単独を味わえばよいのではなく、他人を想う娘、しかしながら孤独である、ということを映す鏡のようなものであると解釈した方がより卑近なものとして読めると考えるようになった。よって、本作のことを幻想恋愛小説として定義したうえで感想を述べることにする。
 繰り返しになるが、本作は美しいという点が特徴的であり、それが人の心の在り方と繋がっていることがわかると、より一層味わい深いものになる。恋愛よりは幻想の方に重きが置かれているように見えたが、最期まで主人公の娘がテュスで意思疎通していた相手を想っていたのだ、という解釈によって、感情移入も同時にできる仕組みになっていて、それが私にとって良い作用をしていたと言える。だから本作に対しては肯定的な見解を示している。
 文章自体もシンプルな構成のものが多く読みやすい。だが内容の理解が容易な作品かと言われると「はい」とは言えない。理由は単純で、引っかかりがあって本作が持っている内容を読み解くことができず、二周目に進むことになったからだ。私でも恋愛小説と気づくのだから(それが誤読である可能性はぜんぶ投げ捨てて)他の人は当然のように一周目で気づくような気がする。だが「テュス」という単語は作品を読まないとどういう意味を持つものかわからないし、鳥を飛ばしている理由も他人との繋がりを保つためと気づかなければ理解できない。加えて「狼と駆ける女たち」という作品は私にとってなじみがなく、引用された文章の意味を読み解くことができなかった。だから読解しづらいんじゃないかな、という感想を持った。(もっとも、この引用文は最初から二周目の頭で読ませることによって本作に登場する娘の概念を偏在させようという目論見で用意されたもののような気もするので、私の感じ方は的外れと言われたら、それはそう)

 いいことばかり書いている気がするので、他にも二周してもなお心の中で引っかかっている細かいポイントを伝えておく。もし私と同じようなことを感じている人がいたら嫌だし。
 まず冒頭の引用文。著者と翻訳者の名前がないところが気になった。本作においては文章がそれ単体で仕事をしているので、本来であれば不要な情報であり、可能であれば除去しておきたいものではある。ただ、同じように引用を用いた小説作品として『ゴーレム』山尾悠子があり、冒頭で引用されている文章には『ゴーレム』グスタフ・マイリンク 今村孝訳という明示がある。自分の過去記事もだいぶ怪しいなと書きながら感じた。文字数的にも演出的にも書いてプラスになることはなさそうだが、本当に不要なのか自信がないので書いておく。
 次に、台詞にかぎかっこがついていないので、行頭空白が無いと誤解されそうな部分があった。引用の直後に来る文章がそれ。「テュス」が台詞なので、それに準拠しているのに気づいたのは感想文を書いているときだった。
 本文中に出てくる「クエスチョンマーク」という表現も、全体のなかではすこし浮いている。我ながら細けぇなあと思うのだけど、この作品は雰囲気作りがとても丁寧なので、逆に浮いているものがすごく浮いて見えるのだと思う。チョウやガラス、オノマトペと違い、クエスチョンマークは完全に横文字なのが原因だと思われる。
 また「何もできない自分を引き裂きさいた。」という一文があり、これが表現上のミスなのか、引き裂いたうえで咲いた(あるいはそれに類するなにか)なのか、という点も気になる。万一ミスだったらこっそり直してもいいなと思いました。
 と、気になる部分がだいたい全部重箱の隅突きになっているのだが、だってそういうところばっかり気になるほど作品が整ってる風に見えるんだからしょうがないじゃん。です。

 これまではたぬきの話とかばかり読んできたので、こういう作風で来るんだ、という感情がないこともなかったです。が、それはそれ。あまり読書体験に影響しなかったので、感想文の最後に書いとくだけにしておきます。
 いいですね。私はこういう小説が好きです。
 三人称小説ゆえか、あるいは抑制によるものかわかりませんが、より心情に訴える構成のものになっていたら、よりテンションの高い感想になっていたことでしょう。この作品は感傷的な地の文も散見されますが、それ以上に冷静であることの方が前に出ていたので、読んでいる側は常にクールな気持ちを保つ形になりました。それが狙い通りならなによりよいことだとは思いますが、それに関しては私の知るところではないので、ここまでにしておきます。


 うん。えこひいきの媚び媚び感想じゃね? と言われても否定はしません。私の如きバーサーカーに感想を書いてもいいと許可をくれたのですから、限りある時間の中でやれることはやります。それはそれとしていまのところ当たり作品しか来てません。幸運。
 そして、全員にこの量の感想書くのはやはり無理ですね。今回も資料を読みに行く時間は取れないと判断したし、自分自身のためだけの創作もやりたいしさ。
 だからこのシリーズは尻切れトンボで終わる。悪しからず。


 以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。

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