「運命」とは何か (バシャール)
バシャールが語る「運命」について、まとめたものをシェアいたします。
今回はこの書籍を参考にしました👆
「運命」とは、生まれる前に選択したテーマ
まず普通に私たちが考える運命は、バシャールからすると「とても限定されたものの見方」だそう。
そうではなく、私たちは誰もが地球に生まれる前に「こんなテーマや考え方を探求してみよう」と決めますが、そのとき選択したテーマこそが「運命」です。
ただし、例外的なケースを除いては、実際に自分がその運命の道をどう歩いていくかは、個人の自由にまかされています。
(例外的なケースとは、例えば生まれてすぐに死ぬように決めてきた赤ちゃんなどがそれにあたると思われます)
だから、自由と運命は相反するものではありません。
むしろコインの表と裏のように一体の関係をなしています。
つまり、What=運命、How=自由、ということですね。
道の例えを用いるなら、
あなたが歩く道はすでに決まっています。
ですが、その道をどう歩くのかはあなたの自由です。
という感じです。
ですから自由とは、自分の運命の道の歩き方に関わるものであって、どの道を選ぶかの自由はありません。
私が他の誰かに急になることはできないように、他の人生は選べないのです。
人生には、生まれる前につくった「脚本」がある
バシャールは、人には何らかの人生のの脚本みたいなものがあって、知っているかいないかにかかわらず、その大枠に沿って人生は進んでいると言っています。
その脚本については、中には非常に事細かに書いてあるシナリオの持ち主もいるけど、ほとんどの場合は大枠が決まっているだけだとか。
つまり、
「〇〇歳のときにこれが起きるでしょう。〇〇歳のときにはこういうことが起きて、それを探求する方法はこうでしょう。〇〇歳のときにはこれがしたくなって、こんなふうに探求するでしょう」
と書いてあるシナリオもあれば、
「物質レベルの現実に生きることがどんな感じなのかしばらく体験してみたい」
とだけ書いてあるシナリオもあるということです。
バシャールは言うには、現在地球でスピリチュアルについて興味のある人の多くは、混合型の脚本だそうです。
いくつかのテーマは決まっていますが、それ以外のことは非常に大まかな脚本だということですね。
細かく決まっている部分には自由が介入する余地はないのでしょう。
しかし大まかな部分では、どう生きるかは自由意思に委ねられているわけです。
しかも、細かく決まっている部分と大まかな部分は、大筋としての運命の道において、相いれないことはなく、むしろ相乗効果を生みだすそうです。
例えば、細かい部分で「〇〇のときに、あるパートナーと出会う」と決めてきたとして、それまでは大まかな部分だとします。
その際、その人は、大まかな部分では絵を描いたり、語学を学んだりと自由に表現してきました。
そして約束の時に現れたのは、絵を描くのが趣味の外国人でした。
そのため意気投合して、細かい部分で決めていた「パートナーになる」ということがスムーズに達成されたのです。
このように、大まかな部分と細かい部分は関連しあって、いわば大まかな部分は細かい部分が生じる伏線として機能します。
その積み重ねが大筋の中で行われ、結果的に運命が果たされるということでしょう。
ただし、この脚本は生まれる前に忘れてしまいます。
生まれる前の私が何を考えていたのかはわかりません。
例えるなら、一度自分自身で作った物語を、その記憶を消してもう一度読み直すということでしょうか。
すると、確かに自分自身で作ったものだったのに、新鮮で意外な発見があるということですね。
こう考えると、人生は遊び以外のなんでもないですね🤣
ちょっと簡単にまとめすぎてしまったきらいがありますが、とりあえずここまでに。。。
運命については、私自身がバシャールのセッションに参加したときの記事にも書きましたので、よかったら合わせてみてみてください👇
セッションで質問したように、「運命」には興味があります。
「バシャールは運命についてこんなことも言っていたよ!」という情報がございましたら、教えていただけると嬉しいです😊❣️
お読みいただきありがとうございました🌸
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