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とびらから覗いてみたら、「君たちはどう生きるか」のかけらが詰まっていた話。

近頃は、ジブリ最新作公開ということでジブリ作品・宮崎駿著の関連本がよく揃って置いてある店が多い。ジブリオンラインストアでも完売になっている本がシレッと売られてあったりと、入手するには絶好のチャンスである。既存資料の膨大な物量に、置いてけぼりであった私も、それ今だと言わんばかりに財布の口を大きく開けて書店へ足繁く通っている。

今回は2011年初版の『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』という本について感想、また「君たちはどう生きるか」との関連性について簡易に書いておこうと思う。





そもそもどんな本なのか?


店頭でパラパラ読んでみて、著者宮崎駿の価値感や体験が結構載っていそうだという安易な気持ちで購入した。
この本は様々な所で出されたインタビューや書籍を、本ひいては児童文学というところのキーワードで一挙にまとめて出版したものであるものであるらしい。

本書の第Ⅰ部は、スタジオジブリにて非売品として作成された小冊子「岩波少年文庫の50冊」(選・宮崎駿)をもとに作成しています。一部、小冊子と紹介所目の順序を変更したものがあります。〔一部省略〕
第Ⅱ部の1「自分の一冊にめぐり逢う」は、上記小冊子のためにスタジオジブリで行なわれたインタビューと、テレビ番組「ジブリの本棚」(2010年8月BS日テレにて放送)収録時の阿川佐和子氏との対談をもとに再構成したもの、2「3月11日のあとに」は今回新たに行なったインタビューをもとに著者自身が大幅に加筆したものです。(岩波書店新書編集部)

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』冒頭より

この時点で興味が湧いてきた方は、これ以上の情報を入れずに、まずは一度読んでいただきたい。またどこかの機会でお会いしましょう。

私はまだ話し続けることにする。

えぞしかが読んだ実物。いつから付箋が無いと本が読めなくなってしまったんだろうか…

第Ⅰ部の「岩波少年文庫の50冊」。50冊ごとに著者の推薦文が書かれ、各本の表紙の画像が添えてある。

なぜこの推薦文が書かれたかというと、2010年に公開された「借りぐらしのアリエッティ」の原作『床下の小人たち』が岩波少年文庫刊行のものであり、また、同文庫が創刊60周年という折であったため、宮崎駿がおすすめの50冊を選ぶ運びとなった、ということだそうだ。

推薦文の、書き方とか言い回しのすべてがとても良い。宮崎駿成分といったら良いのだろうか?一つ一つは短文で簡単な文なのだが、読んでみたいと思わせる力とおもしろさがある。

著者は手書きで推薦文を書いているからだろうか、漢字に変換されていないものが多くて、小難しいことを言っているのかもしれないが、スッと頭に入ってくる。読みづらさを感じる箇所もあったりしたが、漢字で書くところと書かないところの境界の不思議さもよかった。

わたしは、ジブリ好きであるが、生粋の米津玄師ファンでもあるので、『注文の多い料理店』の推薦文はひときわ目を引かれた。

この人の作品はすべてたからものです。あわてて読んではいけません。ゆっくり、なんども読んで、声を出して読んで、それから心にひびいて来るものや、とどいてくるものに耳をすませて、場面を空想して、何日もたってからまた読んで、何年もたってからも読んで、判らないのにどうして涙が出てくるんだろうと思い、ある時はなんだか見えてきたような気がして、とたん、スゥッときえていくのです。そういう美しいものがあることを教えてくれるのです。

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』第Ⅰ部『注文の多い料理店』推薦文より

シンプルに「この人の作品はすべてたからものです。」の一文が強すぎる。それからの文は、これぞ本だ、作品だと言いたくなるような本質がぎゅうぎゅうに詰まっている。烏滸がましい限りだが、めちゃくちゃ分かりすぎる。同じ作品や曲を何度も何度も見たり聞いたりして、分かった気になったり、何もわからなくなったり、時には泣いたり、楽しいなと踊ってみたりを繰り返していると、その咀嚼と’’分かりたい!’’と足掻いた時間が、じんわり体に浸透してきて、苦悩や困惑がいつの間にか消えている。

お前が言っているのは、米津玄師の曲、宮崎駿のアニメーション作品のことだろと言われそうだが、この感覚は文学だけの専売特許でも何でも無いと思うのだ。良いものを摂取して、こういう感覚になったことは誰しもあるだろう。
そしてその表現をここまで的確にできること、これを宮沢賢治の作品の推薦文にしたことに、何らかのつながりや、宮沢賢治にたいしての絶大な信頼を感じざるをえない。


児童文学と宮崎駿


いくらページ数が167pとそこまで厚くない本だからと言って、私も一晩で読み切ってしまうつもりはなかった。
読書自体、とても久しぶりだったから集中力が続かないだろうと思っていたし、もっと大事にゆっくり読むつもりだった。しかし、読み始めるとどんどんページをめくるスピードがあがって、読み終えてしまった。

本というものは必然的にそういうところがあるけど、この本はどちらかというと自伝的なもので、世界観への没入とか、そういうものはあまりない。

となれば、多分一番大きく起因しているのは、宮崎駿の文才、ということになるだろう。

読んでいて、なるほど・ビビッときた!といったところに付箋をつけて読んだ。その中から、表現が良いなぁと思ったところをいくつか挙げる。

〔前略〕流行り物も避ける傾向にありました。ベストセラーというものはしょせん文化の泡沫みたいなものだという意識があってね。なぜそういう意識が自分にあったのかは分からないんですが。

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』第Ⅱ部 1 自分の一冊にめぐり逢う より

「トレンドの逆張り」を、宮崎駿を通すと「ベストセラーというものはしょせん文化の泡沫」になるのだなと思ったり思わなかったり。

文化の泡沫。いずれ弾けて消えていく、一時の消費物になってしまうのが、ベストセラーである、という風に受け取った。
まったくその通りで、私はそれに加担したくなかったのかもしれない。とか乗っかってみたりする。
けれどアーティストや作家からすれば、形はどうあれ、世間に認知され、どのような形であれ、入り口が増えることは幸福なことなのかもしれない。
お前ごときが知ったような口をきくなよ、と言われてしまえば、それまでの話ではあるが…。

空間と時間にしばられ原因と結果ばかりに気をとられて、自我で世界を読み解こうと思っている人間たちは、『いやいやえん』の世界に出逢うと、どうしていいか分からなってしまう。

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』第Ⅱ部 1 自分の一冊にめぐり逢う より

どういう文脈でこういう話になったのか、までご丁寧に説明する気力はないので、ぜひ書店でお買い求めてほしい。
わたしは『いやいやえん』を読んだことがないので、言っていることの半分も理解しきれないでいるだろうが、どういうことを言いたいのかはなんとなく分かった。
「自我で世界を読み解く」いい表現だなぁと思う。



宮崎駿は、児童文学を「やり直しがきく話」と捉え、そんな文学が自分の脆弱な精神に合っていた、と話した。
しかし、その話以前に書いてあった、当時「必読書」と呼ばれていた本のタイトルを見ると、そう思ってしまって何の問題も無いように思える。むしろ、私はその感覚に近い所に陥っていたのではないかと思った。

僕らの時代は、教養として、このくらいの本は読んでおかなきゃならないという考えがちょっと残っていました。「おまえ、そんなものも読んでないの」と言われちゃうんです。
『ソクラテスの弁明』(プラトン)なんかは、僕がどれだけ理解していたかは分かりませんけど、まだ入り口で楽なほうだった。『資本論』(マルクス)を読まなきゃいけないとか、最低、哲学のこの系統の本は読んでおけとか。子どもの本だけじゃなくて、最低このくらいのものは読んでおかなければいけないっていう本が、もう、ズラーッとある。
楽しむための本よりも、何かを学ぶための本を読まなければいけないと思っても、挫折した本ばかりです。
自分の頭では辛いんですよね。カントも読まなきゃいけないとか、ヘーゲルとか、もう無理です。サルトルも開いたとたんに眠くなる。〔後略〕

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』第Ⅱ部 1 自分の一冊にめぐり逢う より

私は不真面目な学生なので、今の時代でも、学生ならばこれくらいの本を当たり前に読んでいるのかもしれない。だが哲学や経済専攻ならまだしも…と感じる。今の大人、親世代で、これらの本を教養として読んできた人はどれくらいいるんだろうか?ちょっと不安になってくる。読んでおいた方がいいんだろうか?

なんとなく、教科書に載っている偉い人のための専門書、という印象がある。
分からないでものを言うのは良くないと思いつつ、著者の時代には、こういった「必読書」と児童文学の間が極端に空いていたのではないだろうか。

東映動画(現:東映アニメーション)に入社してからは、スタジオに岩波少年文庫の本がまとまった書架があったから、そこの本を企画の土台として取り入れるため、片端から読んだそうだ。

その時読んだ少年少女像はのちのジブリ作品に活きていて、単に原作として児童文学があって作品ができあがった、というわけではなく、表現の抽斗として制作に表われたという。

楽しむために読んだというよりも、とにかく何か仕入れるために怒濤の如くっていう、ばかげた読み方をしたものですから、ほんとの読書と言えるかどうかよく分からないところがあります。
感動した本ももちろんあるし、話のつくり方として、構造として、これはひじょうに巧妙だなとか、そういうところはずいぶん勉強になりました。それは岩波のものだけじゃないんですけど。いろんな出版社から創作の児童書が出ていましたからね。
たとえば角野栄子さんの『魔女の宅急便』をつくるときに、主人公の女の子をどういうふうに描くか、ああこれならいっぱい教科書があると思いました。それは児童書をたくさん読んでいたからです。どの本がモデルだとは分かりませんが、この女の子は、児童書のなかにたくさん取り上げられている時期の子だ、って。特定の題名は思いつかないんですが。
何だか自分のなかに抽斗があるぞって思いました。いつ読んだのかは自分でも覚えていないんですけど。

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』第Ⅱ部 1 自分の一冊にめぐり逢う より

児童文学と宮崎駿の接続面が読みやすい文調で書かれてあるこの章だが、私は自分で思っていたよりも児童文学に触れてこなかった人生だったなとということをはじめて実感した。

タイトルは聞いたことがあるものも、ないものもまちまちで、著者の推薦文を読んでいると、せめてこれだけでも読まなきゃな~というのを50回繰り返していた。
冗談はさておき、この本を読んでから、学生になって久々に訪れた膨大な時間を児童文学の読書に使いたいなと思った。


児童文学らしいもので、まともに読んだものといえば、上橋菜穂子の『獣の奏者』『守り人シリーズ』あたりだろうか。洋書では『ガフールの勇者たち』も夢中になって読んだ記憶がある。

同じ作品を何度も何度も読み返すきらいは幼少期からあったんだなぁと今になって思う。獣の奏者は少なくとも8周くらいはしたんじゃないだろうか。時間が今よりもあって、かつ娯楽が本しかなかった。というのはもちろんあるが、小さい頃から、同じものを何度も繰り返し読んでも平気な人だったんだろう。

私の場合、『文豪ストレイドッグス』という漫画に激ハマりしてから、登場した文豪の作品を片端から読むという暴挙に出たため、児童文学について思い出が希薄なのかもしれない。それか、児童文学=子ども向けだと思い込んで、内容をロクに見もせずに避けていたからかもしれない…。こっちの説が有効そう。

満19歳が児童文学を読んでもまだ大丈夫であろうか?と心配になりながら読んでいたが、宮崎駿著者自身は、齢70にして児童文学を読み直して推薦文を書いているんだから、文学に遅いも早いも無かろうと思って、図書館の開館日を調べているところである。月曜日は休館日だった。


『君たちはどう生きるか』にかかる想い


推薦した50冊には、幅はありしも、選ばれただけあるものとして、それなりに著者の思い出や感動が綴られてあった。
しかし、宮崎駿の根っこには吉野源三郎著作の『君たちはどう生きるか』があるようで、この本に何度か登場したことからも、それがうかがえる。

ケストナーは『飛ぶ教室』を入れました。〔中略〕
この作品には、吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』と同じようなものを感じました。時代が破局に向かっていくのを予感しつつ、それでも「少年たちよ」という感じで書かれたものだと僕は思います。

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』第Ⅱ部 1 自分の一冊にめぐり逢う より

これが書かれたのはアリエッティ公開の機会のときであったため、時系列的に、風立ちぬの途中の時の言葉であると思われる。今読んでいるため、プロモーションとかそういう意図で汲んでしまいそうになる。まさかこの13年後に同タイトルでアニメーション作品をつくるとは思わなかっただろう。

いや、もしかするとそれよりもずっと前から、長い間、このタイトルを据えた作品を描きたいと思っていたのかもしれない。

『君たちはどう生きるか』は新潮社出版の作品であるが、本の話である以上、語らざるをえないといった熱情が受け取れる。

本当に、宮崎駿という人間に関する知識がゼロに近いので、ジブリファンや駿ファンからは、そんな初歩的なところからか…と呆れられてしまいそうだが、『君たちはどう生きるか』が駿監督にとってどれだけ大きな作品で、どれだけ心に残り続け、それを抱えて生きてきたのかを再確認させられた。

これを読んだ後、映画で主人公・眞人が『君たちはどう生きるか』を読むシーンの意義深さを改めて考えて震えたし、やっぱりもう一度観に行かなきゃいけないなと感じた。


「岩波少年文庫の50冊」は、著者曰く、ある小学生の友人に向けて書いたと話す。

著者は作品を誰か特定の一人に向けて描くということはよくやっている印象がある。(聞いたところによると千と千尋の神隠しもそうらしいのだが、示せる引用元がないので、風の噂程度に聞いてもらいたい。ここで言ってたよ~ということがあれば、ぜひとも教えてください。)

話が少し逸れた。その友人に向けて、あれこれ、こういうところに気をつけて本を選んだ、気に入ってくれると良いのだが、という文脈で、このように続いた。

僕はどこかで『君たちはどう生きるか』を渡したいと思ってるんですけど、まあ、僕が読んだときと同じような条件で響くはずはないと分かっているんですが。

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』第Ⅱ部 1 自分の一冊にめぐり逢う より

親が薦めても子どもはその思惑を越えてくる、逸脱しようとしてくる、と前述していたのに、『君たちはどう生きるか』に関しては、自分が感じたような思いを抱いてほしいという願いがある。それが叶わないと分かっていたとしても。どれほどまでに影響を受けたんだろう、この人は。
この人は一体どういう人なんだろう。これは米津玄師の口癖です。


2章「3月11日のあとに」では、東日本大震災を経験したのちに抱いた世界や日本という国への所感、そして関東大震災を経験した幼き頃の父へと思いを馳せた著者が載っていた。

ここの引用や映画「君たちはどう生きるか」の関連性については、以下の記事が参考になる。この記事がお気に入りすぎて二度目の引用になる。失礼します。



’’子ども’’と相対する作品をつくるということ


米津玄師が、地球儀の制作秘話で、Foorinのパプリカをつくったときの話を毎回するのは、宮崎駿がパプリカを聞いて米津に主題歌をオファーしたからであるのと、パプリカが宮崎駿の作品を参考にしてつくられたからである、という話は、もうなんとなく流布しているように思う。

この話はあまりにも出来すぎていて、本当にそんなことがあるのか?と言いたくなるが、それを一番思っているのは米津玄師本人だろう。

「パプリカ」は、子供たちが歌って踊る曲を作るという、自分にとって初めての体験をした作品で。かつ、何らかの応援歌であってほしいという要望もあったんです。本来応援される立場である子供が応援歌を歌うってどういうことなのだろうかと自分の中で悩んだ時期に、宮﨑さんの映画が大きな参照源になったんです。子供にずっと向き合って映画を作り続けてきた人なので、彼がどういうふうに映画を作ってきたかを今一度調べ直しました。そのうえで自分が出したある種の結論が、子供をナメないことだった。

米津玄師「地球儀」インタビュー|「君たちはどう生きるか」主題歌制作の4年を振り返って
(音楽ナタリー)


『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』を読みながら、米津玄師が感じた「子供をナメないこと」とは何か、なんとなく片鱗を飲み込んだ気がする。今から咀嚼していこうと思う。

日本の映画界では、子ども向きの作品を 「ジャリもの」と言ってました。 入場料を出すのは大人なんだから、大人の知っている名作、知名度の高いたとえば 「家なき子」 みたいなものですね、それに小動物の「滑った、転んだ」のギャグシーンがくっついて、 子どもが喜ぶものをつくればいいんだという発想が漬物石のように僕らの頭上に載っかっていました。
僕は、その「ジャリもの」という発想が嫌だったのですが、だからといって「オリジ ナルでつくらせろ」と言えるだけのものが、当時の自分にはない。まだ空っぽなんです。

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』第Ⅱ部 1 自分の一冊にめぐり逢う より

この話はまったくの初耳だったので、かつての映画界でそのような考えが一般的であったことに驚いた。
著者が嫌だと思ったのは、きっと自身が子供であった頃に「こうすれば子供は喜ぶだろう」みたいなものが分かってしまう感性を持ち合わせていたからに他ならないだろう。だからこそ子供の自分を裏切るようなことはできなかったのかもしれない。思いつきと予想で話を進めている自覚はある。


後半には、子どもに対する向き合い方として、より本質的なことを述べた。

〔前略〕石井桃子さんたちは、敗戦後の困難を乗り越えようとして、少年文庫をつくった。「児童文学はやり直しがきく話である」ということです。〔中略〕
何かうまくないことが起こっても、それを超えてもう一度やり直しがきくんだよ、と。たとえいま貧窮に苦しんでいても、君の努力で目の前がひらける、君を助けてくれる人間があらわれるよ、と、子どもたちにそういうことを伝えようと書かれたものが多かったと思うんです。 そうじゃないでしょうか。

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』第Ⅱ部 2 3月11日のあとに

要するに児童文学というのは、「どうにもならない、これが人間という存在だ」という人間の存在に対する厳格で批判的な文学とはちがって、「生まれてきてよかったんだ」というものなんです。生きててよかったんだ、生きていいんだ、というふうなことを、子どもたちにエールとして送ろうというのが、児童文学が生まれた基本的なきっかけだと思います。〔中略〕
「子どもにむかって絶望を説くな」ということなんです。子どもの問題になったときに、僕らはそうならざるを得ません。ふだんどんなにニヒリズムとデカダンにあふれたことを口走っていても、目の前の子どもの存在を見たときに、「この子たちが生まれてきたのを無駄だと言いたくない」という気持ちが強く働くんです。
子どもが周りにいないと、そういう気持ちをすぐ忘れてしまうんですが、僕の場合は隣に保育園があるから、ずっとそう思ってなきゃいけない(笑)。この時期に隣に保育園があってよかった、とほんとうに思います。子どもたちが正気にしてくれるんです。

『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』第Ⅱ部 2 3月11日のあとに

ここに宮崎駿作品の源があって、著者がなぜ児童文学を重宝するのか、という核心が込められている気がする。
そして同時に、宮崎駿自身が「目の前の子どもの存在を見たときに、「この子たちが生まれてきたのを無駄だと言いたくない」という気持ち」根っこにして誠実な作品をつくろうとしてきた矜持を感じる。

「生まれてきてよかったんだ」
この感覚を子どもに感じさせるのは大変である。子どもは大人が思うよりも物事を理解し、親を見、周囲の環境にひどく影響される。毅くて脆い存在だ。誰しもそうであったはずなのに、いつの間にか忘れてしまっている。

ジブリ作品を、たくさん見て育つことができて良かったと思う。知らず知らずのうちに祝福を受け、映画の情緒豊かな経験をもって、成長したことは幸運であったなと感じる。


また、宮崎駿を師匠・父として仰ぐ米津玄師にとって、「子どもにむかって絶望を説くな」という言葉は彼のなかに強烈なインパクトを残していったことだろうと想像する。

ここで保育園について言及しているのも、今回のパプリカや主題歌についてのなんらかの伏線なんじゃないかと思ってしまう。
引用した音楽ナタリーの「地球儀」のインタビュー記事をすでに閲覧済みのあなたには分かるだろう。宮崎駿監督が米津玄師の音楽に触れたきっかけは、保育園に通う子ども達がパプリカを歌っていたことだった。



ここから私個人の体験を大いに含んだ感想を述べる。特に本筋に関係ないので、飛ばして頂いて構わない。私がこの二人に、どこかで文にして、ちゃんと感謝したいという自己満足である。

私が米津玄師を追いかけるきっかけは、自分の立っている足下がフラついたからだった。家庭と、絶大な力を持つ親、それらが世界のすべてだと理解していた子どもにとって、その先の世界を見たとき、そして何かのバランスで自身への信頼が揺らいだときに、崩れてしまった。くわしく書くのは伏せるが、自分の存在価値を矮小化して傷つけることから抜け出せなくなってしまったのだ。

明確に、どれそれの歌詞に救われたというエピソードは今も当時も依然として無いのに、「この人の音楽を聴き続けることに自分の人生の価値があるんじゃないか」と思わされる何かが、米津玄師の音楽にはあった。その時から今まで、揺らぐようなことがあったとしても、その一心が手を引いて押し戻してくれた。そんな力を持っている。

米津玄師が「人に自分の音楽を聞かせるとはどういうことか」ということで、今の私よりも若い頃に、悩み、衰弱していたときに、宮崎駿の書籍やドキュメンタリーを見て、叱咤激励を受けたと話していた。この話を噛みしめているうちに、さきに書いた私自身の話を思い出したのだ。

宮崎駿を私淑する米津玄師によって、あのときの私が、生まれてきてよかったじゃないかと今日まで生きて、これを書いているんだから、回り回って彼らの作品に込められた気持ちが届いていることの証明になっている。全く不思議なものだ。



[余談]米津玄師の地球儀のラジオ



地球儀や宮崎駿について語ったラジオが公開された。
米津玄師は曲を作るごとに、楽曲についてどのような経緯で、どんな思いで制作したのかを話す動画を上げている。

今まで一つの曲に1時間以上語った動画はない。
それだけ地球儀が、「君たちはどう生きるか」の主題歌を作ることが、たいへん意味あることだったことを再確認させられる。


ぜひ一度読んでみてください


『本へのとびら——岩波少年文庫を語る』の感想と、映画「君たちはどう生きるか」を考える上で参考になりそうな部分をいくつか抜粋して、紹介した。
しかしこれらは私が読みながら感銘を受けた点をかいつまんだだけに過ぎない。やはり一度読んでみないと!そしてできれば何かどこかで感想を書いてほしい。笑 ほかの人の主観を覗いてみたくなる感覚伝わってほしい~!

タイトルは何も思いつかなかったので、これになったが、ちょっとあまりにもだなとは反省しています。別案が思いつくまでは変えません。

ここまでお付き合いありがとうございました。
映画の感想noteも書いているので、良かったらどうぞ。


2023.8.15  かざみ

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