2024/3/17 14:30「赤の女王」発掘のバレンケ遺跡の王朝物語に想いを馳せる!



マヤの代表的な都市国家バレンケ王朝の200年続いた黄金時代を築いたパカル王(在位:615~683年)の妃とされていた通称「赤の女王」(スペイン語で「レイナ・ロハ」)

2023/6/16-9/3特別展「古代メキシコ・マヤ、アステカ、テオティワカン」展
に東京国立博物館平成館(上野公園)の「赤の女王奇跡の来日!」の響きに魅かれて見に行く。

1994/4/11に13号神殿から発見された「赤の女王」は鮮やかな赤色の辰砂に覆われて、豪華な冠・マスク・首飾り・腕飾り・ベルト飾り・足首飾りなどの精巧な装飾品を見に付けていた。360度からよく見えるように展示されていた。

鮮やかな赤色が推定死亡年齢50歳~60歳(672/11/16)からの1,352年もの歳月が経っているとは思えないほどである。

今回のメキシコ・マヤ・アステカ旅行にバレンケ遺跡が入っていたので、ラッキーだった。「赤の女王」の夫「パカル王」にも会える期待を胸に訪れた!


バレンケ遺跡に碑文の神殿(パカル王の墓)に着いた。



パカル王はバレンケ遺跡ではなく、2024/3/16 15:50 国立人類学博物館で対面することができた。翡翠のマスクを被っていた。地下王墓も現物大に復元されていた。

1987年「古代都市バレンケと国立公園」の名で世界遺産に登録されたマヤ遺跡。
7世紀に最盛期の都市遺構として宮殿を中心とする「マヤ遺跡の典型」の建物群が800年もの間、人知れずジャングルの中に眠っており、1746年にスペイン人デ・ソリス神父が発見。

碑文の神殿はパレンケのピラミッドのうちで最も高い23mのピラミッド。パカル王の没年前後に建造。パカル王の息子チャン・パールム王に奉げられた。壁の最上部に600以上の碑文が刻まれた石板があったことからこの名が付けられた。碑文の内容は、2世紀に亘るバレンケ王家の歴史である。マヤ文明後期研究の重要な資料となっている。

神殿の正面階段は急な、69段。最上部は5つの部屋に分かれ、中央の部屋に碑文の刻まれた碑文の石板。各部屋の門柱にはパカル王のレリーフが刻まれている。
バレンケ隆盛を極めた7世紀615年から68年間在位したパカル王の遺体がその基層の墓室に発見され、パカル王の翡翠のマスクが見つかった。その他の多く埋蔵品は素晴らしく、前日に国立人類博物館で見てきていたのでよかった。

パカル王の石棺の浮彫は、横から見るとロケットに乗って操縦桿を握った宇宙飛行士のように見えるため、マヤ文明が宇宙人によって作られた文明であると述べるUHO研究家の間で広く知られ、この説は(1968年スイスのエーリッヒ・フォン・デニケン著『未来の記憶』)今日ではこの図柄は、人物は横たわってその上にトウモロコシを様式化した十字架が描かれていると解釈されている。




宮殿

宮殿は王族の住居としてパレンケの中心に建てられている。東西南北の方角を指しているので「天体観測塔」と呼ばれ、マヤ建築としては珍しい15m
4階建の塔を中央に備えている。塔の踊り場の1つに金星を表す絵文字がある。最上階には星の観測に使ったと思われるテーブルもあった。
この塔から見ると、冬至には太陽がちょうど碑文の神殿に沈むように設計されている。

最初は7世紀から120年かけて増築されている。

天井部がマヤ・アーチになったE楝の通路に、パカル王が双頭のジャガーに座り、母親から王冠を受け取っているレリーフがある。
パカル王は615年に12歳で母親のサック・クク夫人から王位を継承している。

4つの中庭の建物がアーケードや地下通路で繋がる複雑な構造。深さ3mの水路が引かれた建物の地下に、水洗トイレやスチームバスもあった。



太陽の神殿

神殿内部壁面に太陽のシンボルとされていた盾と槍からなる戦いの神(L神)が彫刻されているのでその名前がある。
神殿上部の屋根の保存が良い。内部には、642年パカル王を賞賛する碑銘がある。
パカル王の息子パルーム王は18年の在位中、父パカル王を讃える神殿造りに費やした。

この建物の向かい側の「葉の十字架の神殿」とは声や音が反響するエコールームになっている。


十字架の神殿

パカル王の息子チャン・パールム王によって建造された。内部パネルの中心に十字架の図が見られることから、この名が付いた。現在このパネルは国立人類博物館に所蔵。
2つの部屋の上にあるマヤ・アーチの飾り櫛のような屋根やたばこを吸う老人の浮彫が、美しい状態で復元されている。

葉の十字架

小さな神殿だが、類似アーチの入り口と、上部の左右にあるトウモロコシの葉と人間の首を表す窓が特徴。十字架の図の上、太陽神の顔や雨神のマスクを被ったケツァルの姿が見える。
十字架は萌え生ずるトウモロコシを様式化したもの。大地の生成・豊穣・力の象徴であり、世界樹を表している。


どくろの神殿⇒赤の女王の神殿IN⇒碑文の神殿⇒宮殿⇒太陽の神殿⇒十字架の神殿⇒森の中を歩いた。いずれも「碑文の神殿」に同じくカン・バラム王に奉げられたもので、カン・バラム王について描かれた石板が納められていた。

現代でも熱帯雨林のジャングルの森を抜けて、階段で神殿を昇るのが大変だった。

この巨大な遺跡群の中で7世紀のバレンケ王朝の栄華にしばし浸れたことが、何より自分にとってのハイライトだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?