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シリア-10- イドリブ

僕は自由シリア軍の彼のガイドで、トルコからこっそりとシリアに入国しました。イドリブ県ハーレムという町です。ハーレムは自由シリア軍の支配下にありましたが、町の丘陵にそびえる城塞だけがまだ陥落していませんでした。政府軍が籠城しているのです。ハーレム周辺の村々は自由シリア軍に押さえられているので、アサド政権が地上軍を展開することは困難でした。そのため、アサド政権は連日のように空から爆弾を落としていました。

・70人の命が奪われたモスク

「数日のうちに、城も落とせるだろうよ。完全に俺たちが包囲しているから、武器や弾薬、食料も届けられない。政府軍は瀕死の状態だ」

自由シリア軍の若い兵士が城を指さしながら、僕に言いました。ちなみに、自由シリア軍は反体制派武装勢力の総称になります。実際は、それぞれにしっかりと名前が付いています。例えば、ハーレムに展開する自由シリア軍は「殉教者旅団」と呼ばれていました。総勢で800人です。総司令官はシリアでは少し名の知れた英雄、バーシル・イーサーという40代前半の男性でした。

僕はバーシルから取材の許可を得ると、若い兵士と一緒に町中を移動しました。住民の大半は退避しており、誰もいなくなった建物は殉教者旅団に占有されていました。これはハーレムに限らず、アレッポでも同様のケースが見られました。逃げた人々の家を許可なく使用して、「アサド政権と戦うためだ」という名目で勝手気ままに使用するのです。中には、盗人のような輩も少なくなく、金品や家具を持ち出して、転売するケースも僕は耳にしていました。これは自由シリア軍への市民の信頼を低下させる要因になり、後々、アサド政権にとっても有利に働くことになります。

それはさておき、若い兵士に案内されて連れてこられたのは、町で最も大きなモスクでした。ただ、壁には穴が開き、礼拝する広間は瓦礫が散乱しています。コーランも破れて、床に投げ出されていました。

「昨日は金曜日の集団礼拝だったんだ。昼の祈りの時間、多くの住民が集まっているとき、ここにアサドが爆弾を落としたんだ。一瞬の出来事だった。70人が死んだ。女性や子供もたくさんいた」

金曜礼拝の最中に空爆を受けたモスク

血痕が壁や床に付着しているだけなく、肉片が飛び散ったまま放置されていました。なぜモスクに爆弾なんて落とすんだ。そんな疑問は僕には湧きませんでした。数日前に訪れたアレッポの光景を思い出せば、簡単に答えは出ます。反体制派の地域は全てが標的にされるのです。そこで暮らす人々はアサド政権にとっては、全てがテロリストとして扱われます。

一瞬にして70人の命が奪われた

モスクを案内されている最中、上空を戦闘機が通過しました。「逃げろ」と兵士に言われて、手を引かれました。途端に鈍い音が聞こえました。モスクの崩れ落ちた外壁から1キロ先か2キロ先、黒煙が上がるのが見えました。夕焼けを背景にモクモクと立ち上がる粉塵を見ると、戦闘機が来てから、逃げたところで、何の意味もないなあと思いました。

その日の滞在先として、僕は郊外の自由シリア軍の野営地に連れていかれました。その途中、墓地にたくさんの人々がうずくまっていました。車を止めてもらいました。僕が訪れても、チラッと見るだけで、特に興味を示しません。ここにいる人たちは昨日のモスクの空爆で命を落とした犠牲者の遺族でした。

「あんた、なんでここにいるんだ?」そう声を掛けられて振り向くと、昨日、レイハンリの病院で話を聞いていた医師がいました。彼は空爆で負傷した人々を治療するために、昨夜、レイハンリからここハーレムに駆けつけていたのでした。

「ひどいことが起きた。70人が殺されたんだ。海外のニュースでも報じられたが、たった数行の記事でおわりだ。シリアで何が起きているのか、あんたはここにいる。しっかりとこの殺戮を伝えてくれよ」

医師はそう言って、去っていきました。

・バーシルの死

次の日、殉教者旅団の建物に顔を出すと、「さっさとここから出ていけ」と兵士から言われました。これ以上、町をウロウロされては困るということです。建前上、僕の身の安全を確保するためでしたが、本音では、見られては困るようなことが起きているのだと感じました。ハーレムでは、以前に捕らえられたアサド政権の兵士を公開処刑している様子がメディアで流れ、大きな注目を浴びました。

「ハーレムはもうすぐで解放される。そしたら、また来ればいい」

僕はあと2,3日でもいいから滞在させてくれないかと司令官のバーシルに懇願しました。でも無駄でした。僕は再び、ハーレムからトルコのレイハンリに戻るため、再度の密入国を無事に果たしました。たった二日間の取材でした。悔しいですが、その場所でそこを支配する勢力から許可が得られなければ、撤退するしかありません。シリアに入国した時点で、自分の命を自分で守ることはできません。自分の命は、そこを支配する勢力の手のひらなので、下手に刺激をすることを避ける必要がありました。

翌日、僕が荷物をまとめて、レイハンリを離れようとしたとき、携帯が鳴りました。ハーレムでガイドをしてくれた自由シリア軍の兵士からです。内容は、司令官のバーシルを含めた40人の兵士が空爆で殺害されたというものでした。一瞬、あれっ?と思いました。昨日、ハーレムを去る前に話していたバーシルが死んだのです。その他にも顔を合わせていた兵士が犠牲になっていました。実感が湧きませんでした。

バーシルの死から3週間後、ハーレムの城塞に立てこもっていたアサド政権の兵士が投降しました。あと少しだったのに。そのニュースを見て、バーシルの顔を思い出して、しんみりとしました。

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