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シリア-12-

2013年2月、僕はシリアから帰国ました。帰国して少し経った頃、一通のメールが届きました。現地で一緒になって取材をしていたイタリア人のライターからでした。

「アブドゥッラーが死んだ」

アブドゥッラーはアレッポのメディアセンターを運営している責任者でした。彼は世界各地から訪れるメディアに宿泊先を提供したり、ガイドをしたりして、ときには自由シリア軍の一員として戦ったり、自らカメラを握って撮影したり、その活動は多岐にわたりました。

一方で、メディアセンターに集まるお金の管理も担っていました。各国のメディアから彼に支払われる報酬は多額にのぼりました。それをメディアセンターで働くスタッフに分配されているようでしたが、アブドゥッラーはその仲間の一人に撃たれたそうです。

・混沌とするシリア情勢

僕は次いつシリアに向かおうか考えていました。ただ、取材費が底をつきかけていたので、しばらく日本で働かざるをえませんでした。アブドゥッラーも殺害されて、メディアセンターは廃業していないだろうか。ちゃんとメディアを受け入れる環境は残っているのだろうか。そんなことを考えていました。

2013年、シリア各地では殺戮が起きました。毎日、何十人と殺されている中で、一部では反体制派の村や町を奪還した政府軍や民兵が、無抵抗な市民を一度に何百人と殺していました。

イスラム国がシリアで頭角を現し、事態は急激に悪化する

2013年8月、ダマスカス郊外で化学兵器が使用されました。反体制派の地域に落とされたサリンで、1000人以上が犠牲になりました。当初から、アメリカは軍事介入の条件として「化学兵器の使用」をちらつかせていましたが、国連の仲裁やロシアの介入によって、軍事介入は見送られました。

戦争は落ち着くどころか、じゃんじゃんと燃え上がっていました。さらに、そこに油を注ぐ勢力があらわました。「ISIS」の登場です。のちにイスラム国と呼ばれる組織です。単なるチンピラのような扱いとしてシリアにちょこちょこと顔を出していた彼らは、2013年9月、シリア北部の町、アザーズを陥落させました。

このアザーズはトルコからシリアに入国するためのルートとして、僕も含めてメディアの大半が利用していたことで知られていました。ここを除けば、トルコからシリアに合法的に入国する手段は失われます。果たして自由シリア軍にとって代わった新たな勢力「ISIS」が外国人のメディアを受け入れてくれるのかは疑問でした。

僕は目まぐるしく変わるシリアの情勢を日々、チェックしていました。しかし、ニュースを見ているだけでは、何も分かりません。2014年4月、僕は取材費が貯まり、再び、日本を発つことにしました。シリアの戦争はひどくなる一方です。ひどくなればなるほど、治安は悪化します。反体制派は徐々にアサド政権に追い詰められ、希望を失った人々が、銃を手に取り、身代金目当てに誘拐に手を染める。そんな事件が多発していました。

本当にシリアに入れるのか。それでも、行くしなかなかったのです。シリアのことを誰かが伝えないと。そんな使命感に燃えていました。

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