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僕が処刑されかけた話-2-

写真 : 政府の目が行き届かない貧しい農村を中心にマオイストは支配地域を広げている(2010.6)

西ベンガル州の小さな町、ミドナプル。僕は地元の新聞社からの連絡を待っていました。「何か事件が起きたら、知らせてください」。そう伝えてから、三日目の夜です。携帯の液晶が光りました。この新聞社の記者からの着信です。

「明日、6時にホテルに迎えに行くから、用意して待っていてくれ」

「何かあったの?」

「今日、マオイストが一人、軍の掃討作戦で殺されたらしい。現場に向かえば、何かしら収穫が得られると思う」

早朝6時、僕は彼と共にバイクにまたがり、急いで現場に向かうことにしました。途中にインド軍の検問がありましたが、朝早いためか兵士の姿が見当たらず、素通りすることができました。現場に到着すると、既に3人の記者が駆け付けており、待機していました。昨夜、マオイストが殺害されたのは事実でした。ただ、遺体は村人が回収しており、今、その村への立ち入りの許可を求めているところでした。この辺り一帯はマオイストの支配地域で、記者であろうと迂闊には歩けません。

待つこと2時間、何の音さたもないので、諦めかけていた僕たちに朗報が飛び込んできました。村人が数人、我々のところに出向き、遺体がある場所に案内してくれるというのです。マオイストの取材がうまくいけば、日本では僕が初めてのジャーナリストになると期待に胸が膨らみます。さらに1時間が経過したころ、ようやく村人が二人現れました。

僕も含めて5人の記者が村人の後ろに続きます。周りには田んぼとヤシの木のような熱帯植物が点在しているだけで、足場の悪いあぜ道が一本、くねくねと伸びています。歩いて20分ほどが経ったころ、遠くの方から一台のバイクがのろのろと走ってくるのが見えました。「迎えかしら」。僕はのんきににそんなことを考えていると、一緒にいた記者がなぜかざわざわと騒ぎ始めました。

僕らの一団の前でバイクは止まると、白いヨレヨレのシャツに腰巻を履いた男が二人、鋭い目つきで僕たちを睨みつけました。二人のうち、髪を肩まで伸ばした20代前半ほどの男が、僕に近づき、何やら大声で叫びました。瞳は血走り、ひどい興奮状態で、怒鳴り散らしています。僕は理由が分からず呆然としていると、突如、男は腰のあたりからピストルを取り出し、銃口を向けました。一瞬にして、血の気が引き、反射的に僕は手を上げました。

男は今にも引き金を引きそうです。周りの記者やカメラマンは必死で男たちを説得しているようでした。現地の言葉が分からない僕は相手を刺激しないように黙って地面に腰を下ろしていました。15分ほどで話し合いは終わり、僕はピストルを構えた男に立つように促されました。これから何が起きるのか。頭に銃口を突き付けられて向かった先は、田んぼのど真ん中でした。そこで、僕は理解しました。

彼らの正体はマオイストでした。厳密にはマオイストの下部組織である自警団です。マオイストの支配地域にはインド軍から雇われたスパイが送り込まれています。スパイの報告で相次いでマオイストが殺害、拘束されていました。彼らはそのスパイを見つけ、頻繁に処刑していました。遺体は田んぼの真ん中に捨てられます。インド軍の味方をしたらどうなるのか。見せしめです。すべての農民がマオイストを支持しているわけではありません。なので、恐怖で農民を縛り付けるため、誰でも目に付くような場所、田んぼが格好の処刑場として機能していました。僕はスパイだと疑われました。昨夜、マオイストが殺害されたことで余計に怪しいと思われたようです。

僕は田んぼに座らされました。これから、処刑されるのです。死への恐怖が押し寄せてきました。ただ、逃げようとか、抵抗しようとか、そういった気力は湧いてきませんでした。僕は視線を落として、何気なく地面を見ました。あと数分後には、この世にいません。そのとき、ある異変に気が付きました。それが石です。何の変哲もない泥だらけの石が宝石のように輝いて見えました。驚いて、周りを見渡しました。土や木々、肌をなでる風や空に浮かぶ雲、何もかもが眩しいくらいに輝いていました。僕が生きてる世界はこれほど美しかったのかと感動しました。雑草を手に取ると、その愛おしさに涙があふれてきました。死を覚悟した瞬間、見えている景色が一変したのです。

こめかみに押し当てられた銃の感触なんて忘れていました。戦場で敵に捕らえられた兵士が処刑される動画をネットで見かけたことがあります。彼らは何の抵抗もすることなく無気力に殺されるのを待っていました。なぜ何の抵抗もしないだろうか。僕は映像を見て、不思議に思いました。でも、彼らは無気力なんかではなく、瞳に映るこの世界に見とれていたのだと思います。

突然、大きな声が聞こえました。僕はその声で、現実に引き戻されました。いつの間にか、僕の頭部に押し付けられたピストルはどこかにいっていました。男がどこにいったのか探すと、大勢の村人に取り囲まれています。あとで記者から理由を聞くと、これまでスパイだという明確な根拠がないままマオイストは村人をたくさん殺してきました。その不満が爆発したというのです。さらに、外国人である僕を殺害すれば、後々、インド軍がそのことを理由として、マオイスト掃討作戦の名のもとに村が襲われる可能性がありました。どこの戦争でも、罪のない市民や村人は敵対する者同士の間で板挟みになります。

マオイストの男二人は村人の怒りにひるんで、僕を解放することになりました。安心した途端、不思議と先ほどまで輝いていた景色が、無味乾燥とした荒れた農村に変わり果てていました。そのあと、僕はなぜかその男たちと一緒に付近の村を歩き回ることになりました。僕を殺そうとしていたはずの男は「この辺りの村は食うものさえまともにないんだ。インド政府は農村を見捨てた。さらに外国企業が村人から土地を奪っている。だから、我々は農民を味方につけてインド政府と戦っているんだ」と熱く語っていました。

大変な一日だったなあと思いながら、僕は記者と共に夕方、村を離れました。その帰り道、早朝通ったときは、誰もいなかった検問にインド軍の兵士が見張りについていました。こんなド田舎に外国人がなぜいるのか。問答無用で拘束され尋問を受けました。マオイストと遭遇したことがばれて、ミドナプルの地区管轄の警察署に引き渡されました。さらに尋問は深夜まで続き、強制送還だと脅されながらも、「二度とミドナプルには来るな!」と町から追い出される結果になりました。

今回のマオイストの一件、僕に落ち度はあったのだろうか。カシミールの被弾は自業自得で擁護の余地は一切ありません。でも、マオイストの取材は、地元の記者をガイドにつれて、現場でも村人からの許可が出るまで、辛抱強く待ったのです。マオイストに遭遇してしまったのは運が悪かったのです。注意をしていても、戦場ではリスクを負うことはいくらでもあります。僕はそのことを実感しました。

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