【これをツイッターで作詞的にやりたいんだけどそこに踏み込めないなぁ】

1『しかし、まだ真の意味での山口百恵らしい歌ではなかった。同世代の他の歌手が歌っても不思議ではない代替可能な歌だった。逆に言えば、誰にでも歌えた。ということは、もっと若く魅力的なアイドルが生まれれば、やがて山口百恵は飽きられることを意味していた。』
2『それでも山口百恵のスタッフたちは、ともかく作るだけは作ってもらおうという気にはなったらしい。宇崎、阿木のもとに曲の依頼が届いた。』
3『・・・・・さらに、「門からチャペルに続く道」にも憧れたという。表に見える部分の美しさのみをひたすら追求する、中身などはとりあえずはどうでもいい、ちう彼女の行動原理がここにも表れている。』
4『テレビとステレオを手に入れた時点で、すでに中森明菜は歌手になろうと思っていた。その勉強としてテレビの歌番組を見て、ラジオではFMを聴いていた。』
5『「誰かのために詞を書くということが、いったいどういうことなのか、まるで何もわかっていなかった」・・と曲の依頼が来た頃のことを回想する・・の作詞者として注目されつつあったとはいえ、本人も書いているように、「ちゃんとしたプロにもなっていなかった」』
6『これが流行歌だった。流行歌の条件のひとつに、作り手(作詞者・作曲者など)と歌い手とが異なること、というのがあげられる。もちろん、シンガーソングライターによるヒット曲も数多くあるが、そこには限界もある。同心円的にしか歌が広がらないのである。』
7『・・・によれば、作り手と歌い手とが異なる場合は、「作り手と歌い手の角逐のなかに大衆という巨大な第三者を吸収するのであって、大衆の欲望と誤解の総体を乱反射させて、歌手や作曲者を超えて勝手に一人歩きする」。』
8『・・・によって、山口百恵は同世代の女性ファンの獲得に成功した。最大の勝因は、女性の作詞家を得たことだった。』
9『デビュー以来、山口百恵を支えていたファンは、彼女と同世代から五歳前後上までの世代、一九五〇年代後半に生まれた男性だった。その最も上の年齢はそろそろ大学を卒業し、それとともにアイドル・ファンも卒業する頃だった。山口百恵が今後も歌手として人気を持続していくには、女性ファンの獲得が必須だった。山口百恵はそれに成功した。』
10『この〈秋桜〉は明らかに女性をターゲットとしたものだった。名曲であることは誰もが認めるだろうが、男性には実感の抱きようのない歌詞である。これまで山口百恵を支えてきた男性ファンたちは、戸惑いつつも、こういう曲も歌うようになったんだと、とりあえず、自分たちのアイドルの成長を喜ぶしかなかった。これが、山口百恵の一九七七年だった。』
11『これほど簡単に単純に環境に適応できるのが蒲池法子だった。なろうと決めれば何にでもなれる。この少女は後にそうやって芸能人になりきってしまうのだが、今はまだ単なる普通の女子高生でしかない。』
12『一方でしとやかな女子高生を演じながらも、蒲池法子は芸能界への憧れを確実に意識化し、具体化しようとの試みを始めていく』




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